ボイスチェンジャー
牧太 十里
一 ボイスチェンジャー
パソコンのセキュリティーソフトを提供している会社の通販サイトに、ボイスチェンジのアプリ、『ボイスチェンジャー』に関するコマーシャルが載っていた。
興味本位からそのサイトをのぞいてみると、あたしが想像していた以上に、
『声を多彩に変換できるボイスチェンジアプリ・ボイスチェンジャー』
と説明がある。
たんに声の質を変えるだけではなく、幼児の言葉や若い男女の言葉など、あらゆる世代の声と話し方に変換できる。他国語にも変換できる。おまけにペットの鳴き声と行動から、それに見合ったペットの声も再生する。
翻訳機のアプリだ!これは便利だ!スマホでもパソコンでも使える!
スマホをなくさないかぎり、どこへ行っても会話にこまらない!
手元に現金があってよかった・・・。
あたし(中林さなえ)はただちにボイスチェンジャーのダウンロード版を購入する手続きをし、経費をコンビニから振り込んだ。
クレジットもスマホ決済も使いたくなかった。最近、キャッシュレスに必要な情報が流出する事件が多発している。政府はメディアを通じて警戒するよう宣伝しているが、キャッシュレス政策を推進してきたのは政府だ。今さら、現金を使うように広告しても、世の中に現金が不足している。
コンビニから自宅にもどると、ボイスチェンジャーのアプリをダウンロードしてください、とメールがとどいた。スマホやパソコンなど五機種にインストールできる。
あたしはパソコンとスマホに、ボイスチェンジャーをインストールした。
「トラ。こっちむけ」
あたしは飼っているネコにスマホのカメラをむけた。猫なで声をあげてトラがあたしにすり寄ってきた。
「ボク、オナカ、スイタ。オナカ、スイタ・・・」
「ちぃっと、待ってろ・・・」
あたしはトラにスマホのカメラをむけたまま、思わずつぶやいていた。このアプリ、おもしろいなあ・・・。
そう思っている間に、スマホに映ったトラの表情が変った。
「ハヤクシテヨ。ハヤクシテ・・・。ハヤクシロヨ!ハヤクシロッ!」
トラの豹変にあたしはギョッとした。豹変じゃない!猫変だ!化け猫か!
「何だこれ?トラ、お前、そんなに、腹、減ってんのか?」
「ウルセイ!ハヨウ、メシニセンカイ!」
「わかったから待ってろ・・・」
オオ、怖え・・・。何だ、コイツ、オッサンだぞ!
このアプリ、とんでもねえ翻訳だ!トラの気持ちは、ほんとうか?
「ホントニ、キマッテルダロ。オレハ、ホレ、キャットフードハ、アキタゾ。
焼キ鮭ト飯ニシテクレ」
えらそうにトラがスマホの中から、あたしをにらんでいる。あたしはそう思った。
「やっぱ、オッサンだぞ!」
あたしは思わずそう言った。
「キマッテルベ!猫ノ歳デ六歳ダカラ、人間ナラ四十ダ。
ハヨウ、飯ニシテクレ」
トラの背中の毛が逆立ってきた。興奮してる。このままだと引っ掻かれそうだ。
「とりあえず、キャットフード食ってな・・・」
あたしはダイニングキッチンへトラを連れてゆき、トラの小鉢にキャットフードを入れてトラの前に置いた。
「コンナンデ、ゴマカスナヨ・・・」
そういいながらキャットフードを食うトラだが、逆立っていた背中の毛が寝てきた。ちいっとはおちついたらしい。まずは一安心。急いで塩鮭を焼こう・・・。
「わかってるよ・・・」
このアプリ、何だよ?もしかして心の本音を画像にするのか?本音の言葉にすんのか?そうなら、あとでテレビを消音して、字幕とくらべてみよう・・・。
それにしても、トラの豹変は何だ?
あたしはスマホの画面から、視線をトラへ移した。
トラはキャットフードを食ってる。いつものおちついたトラだ。喉をゴロゴロ鳴らしている。直接見れば、今までのトラのままだ。
スマホに映せば・・・、オッサン猫がキャットフード食いながら、あたしを監視してる。
わかったよ。冷蔵庫から鮭をだしてっと・・・。
オーブンに入れたぞ。
「ワカレバ、イインダ。今後ハ、言ワレタコトヲ、早クシロヨ・・・」
スマホのトラを見た。安心してキャットフードを食っているが、言っていることは、やっぱり、オッサンだ・・・。
鮭が焼けた。小鉢に炊飯器のご飯をよそり、焼けた鮭をのせて、トラの食っているキャットフードのボウルの横に置いた。
「オオ、ワルイナ。サナエモ、メシ、食ッテイイゾ・・・・。鮭ハ、ウメエナ・・・」
何だよ。コイツ。えらそうに主人気どりだ。いつもこんなこと考えてたんか?
「腹ガ減ッタトキダケダ・・・。晩飯モ、鮭ヲ焼イテクレ・・・。
食ッタラ、ヒト眠リスルゾ・・・」
トラは鮭とご飯を食って、伸びをしながら欠伸をしている。そのまま、ソファーへ移動して寝転んだ。
やっぱ、オッサンだ・・・。
そう思いながら、あたしはキッチンテーブルで、鮭をお茶漬けにして食べた。
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