Act.12 届かない距離
「それで、どうするか決めてくれたかな?」
――翌朝。女神の部屋で、彼女は集まったリーストたちにそう問いかけた。
リーストはそんな女神に頷き、一歩後ろにいたイオを促す。
「はい。今朝、騎士団長エリーシア・デュ・フォーマルハウトから速達の文が届きました。
曰く――女神アズール・ローゼリア。我が騎士団は、貴女に全面的に協力をする、とのことです」
「うん。僕の方も大臣たちや父上……前王と会議を開きました。
結果は、騎士団の意見と同じ。……貴女に協力します、アズール様」
二人の言葉に、アズールは満足したように微笑んだ。
「そう。ありがとう、リーフェ。イオも」
「……協力、とは言いますが」
そんな彼女に声をかけたのは、リサだった。
「具体的には、どうするのですか? そもそも、【魔王】はどこにいるのでしょう……?」
不安げに両手を胸元で組む獣国の姫。
けれど、それに答えたのは……ユナだった。
「……【魔王】は、霊峰アヴァランシェにいる」
ぽつり、と吐き出された情報に、仲間たちは一斉に彼へと視線を向ける。
ユナはその訝しげな視線に動じることなく、ゆるく笑ってみせた。
「……昨日の夜、そこの女神サマからそう聞いた」
「……そうなのですか?」
いつの間に、と言いたげなイオに、アズールは「うん」と頷く。
霊峰アヴァランシェ。アズリアとヘルメスの間に流れる川の源流がある山だ。
王城の窓からも見えるほど高くそびえ立つその霊峰に、【魔王】がいると言う。
「まあ、確かに潜伏するには持ってこいだし……行方不明者とかのウワサが絶えない場所ではあるけど」
「とにかく、そこへ向かってほしいな。
……【魔王】と対峙したときに、私は君たちにチカラを貸すから」
眉を寄せたリーストに、そう言って笑む女神。
それを受けて、ユナはくるりと踵を返し、ドアへと向かう。
「ゆ、ユナ!」
慌てたようにリサがその後を追い、リーストとイオもお互いに顔を見合わせてからユナを追おうと足を踏み出した。
……が。
「イオ、リーフェ」
背後から聞こえた女神の声に、二人は振り返る。
胸元で手を組んだアズールが、眉を下げて彼らを見ていた。
「……ユナを、よろしくね」
彼女の言葉に、イオとリーストは深く頷く。
再び歩き始めた彼らの背を、アズールは祈るような気持ちで見つめていた。
+++
「オレたちは言わば先発隊だ。
霊峰を調査し、【魔王】の居場所を突き止める。
その後、騎士団と合流し【魔王】を討伐する、という手筈だ」
女神の部屋から出て城の外へと向かう道中、イオはユナたちにそう説明をした。
「霊峰の麓までは馬車で行くよ。
僕はともかくリサちゃんがいるし、無理はしないこと。それが大臣たちや父上と決めた約束だからね」
「……わかったわ。別に、リーストに迷惑をかけたいわけではないもの」
次いでリーストがそう告げれば、リサは神妙に頷いた。
他国の姫君であるリサを巻き込んだ上に怪我までさせてしまったら、再び戦争が起こりかねない……というのが上層部の意見らしい。
リサは「別に構わないのだけど」と独り言ちるが、自身の立場もリーストの立場も理解しているが故に承諾するしかなかった。
「……だったら、城で待ってた方がよくないか?」
とは、ユナの談だ。フードをいつも以上に目深に被った彼の瞳は、見ることすら叶わない。
「ここまで来て仲間外れなんて嫌よ。……知らないところに一人でいるのも、待ってるだけなのも」
「まあそこは、こういうリサちゃんの意見を尊重して連れて行くことになったんだよ」
今朝方、リサとリースト、そして前王とで秘密裏にそう話し合ったらしい。
前王はリサのことを快く迎え入れ、なおかつリサの叔母……ミツキリチアのことを謝罪してくれたのだと、リサは微笑んだ。
馬車に揺られること一時間ほどで、アズリアの街の前を通過した。
かの街の領主は捕らえられ、代わりの者が派遣されるという。
そんな話を耳に入れながら、更に一時間。
ガタン、と馬車が揺れ、到着を告げる御者の声が聞こえた。
「ここが……霊峰アヴァランシェ……」
リサの呟きに、馬車を降りた全員がその山を見上げる。
年中降り注ぐという雪と、凍える冷気。
ふるり、と薄着のリサが震えたのを見て、イオは自身のマントを彼女へと手渡す。
「あ、ありがとう、イオ」
「どういたしまして。……しかし、この山のどこに……」
しかしイオが言い終わる前に、ユナが歩き出してしまった。
「ユナ!?」
「二人とも、追いかけよう!」
迷いなく進んでいく彼の背は、雪に紛れて見えづらくなる。
完全に見失う前に、とリーストは二人を促し、ユナの後を追ったのだった。
「――イオくん」
「何ですか、陛下」
ユナを導べにして歩く一行。
次第に強くなる風花の中でも、彼は歩みを止めることなく進んでいく。
そんな道中、リーストがイオを呼んだ。
「……昨日の夜こと、知ってた?
イオくん、ユナくんと同じ部屋だったよね?」
昨夜のこと。すなわち、“ユナが一人で女神アズールに会っていた”という出来事だ。
イオは思わず前方のユナに視線を向けるが、彼はこちらの会話には気づいていないようだ。
「……いいえ。深く……眠っていたようで」
「君が? ……珍しいね」
イオは騎士である故に、有事の際にすぐに起きられるよう訓練を積んでいる。
それが、昨日は深い眠りについていた。……同室のユナが部屋を出たことに気づかないまま。
「……眠り薬……? いや、君はすぐに気づくか。
となると……魔法かな?」
「そうですね。ユナにそんな魔法が使えるとは思えないので……」
「……別人格……“無意識”くん、か」
二人は前を歩くユナを見やる。風に飛ばされたのか、フードが脱げ長い黒髪が露わになっている。
「……今のユナくんは、どっちなんだろうね」
呟いたリーストに、返る言葉はない。
二人には、ユナのことがもう、わからなくなっていた。
+++
「ユナ、ユナってば!」
リサはユナの背に何度も呼びかける。
けれど振り向かない彼に痺れを切らした彼女は、その腕をぐい、と引っ張った。
「ユナっ!」
「っ……! ……リサ」
やっと視線を合わせた彼に安堵の息を吐きつつ、少女は問う。
「ねえ、ユナ変よ。どうしたの? なんでそんな……」
迷わず進めるのか。なぜいつに増しても言葉が少ないのか。なぜ……。
(そんなに、焦っているの……?)
問い詰める言葉は、どれも音にならなかった。
ユナの腕を強く掴んだまま俯いてしまったそんな彼女に、彼は声をかける。
「リサ」
ゆるゆると顔を上げたリサに、ユナは優しく笑んだ。
……何かを、覚悟したような瞳で。
「ありがとう。……リサがいてくれて、よかった」
「ありがとう……って。そんな、そんな言い方……!」
彼女の手をそっと振り解き、再び歩き出すユナ。
手を伸ばす。彼の背には、もう、届かない。
(そんなの、まるで遺言じゃない……!)
「……リサちゃん?」
呆然とするリサの背にかけられた声。
ハッと我に返った彼女が振り向くと、いつの間に追いついたのかリーストとイオが心配そうに自身を見ていた。
「どうしたの? ……大丈夫?」
「……リースト……わたし……っ」
柔らかな彼の声音に、リサは俯き声を震わせる。
(……でも、何を言うの? ユナが心配だって? ……そんなの、きっとリーストたちも同じなのに?)
溢れる思いに、言葉が紡げない。
ユナの後を追わなければならないのに……そうすることが、怖い。
「リサちゃん……」
困ったようなリーストが、彼女を呼ぶ。
……けれど。
「……お待ちを。……アレは……?」
主の言葉を遮り、イオが何かを見つけた、と声を上げた。
「イオくん? なに……――ッ!?」
訝しげにそんな騎士の視線を辿ったリーストも、それを見つけた。
降り注ぐ雪の中、ぽっかりと大きな口を開けたような巨大な洞窟の入口と、その前に立つ――
「ユナくん……」
彼は仲間たちを一瞥し、黙したまま洞窟内へと入ってしまった。
「――追いかけよう」
歩き出したリーストに、リサとイオも続く。
――一抹の不安を、抱きながら。
+++
冷たい。
冷たい洞窟の中を、黙々と歩く。
(……死刑台に送られる囚人の気持ちって、こんな感じかな)
旅の記憶が走馬燈のように溢れ出す。
迫害されていた日々。リーストたちと出逢って、イオの想いを聞いて、幸福だった日々。
……血に濡れた己の手。故郷を滅ぼした、あの日――
(……そうだ。あの日……オレは、里の子供たちに……遊びと称して、殺されかけた)
ずっと忘れていた“理由”を、今更思い出す。
故郷でも迫害されていた。暴力も暴言も、当たり前だった。
守ってくれる家族なんていない。……ココロは、とっくに壊れていた。
(殴られて、蹴られて。どうやったら死ぬのか試そう、なんて言われて……――)
――剣を、突き立てられかけたのだ。
死ぬのは別に良かった。生きているだけで地獄だった。
だが……彼の体は、動いた。
子供が持っていた剣を奪い、それで子供たちを……。
「ッ……は、あ……っ」
込み上げる吐き気を堪える。心臓を掴むように、左胸を押さえる。
(……やっぱりオレは赦されない。存在してはいけない。
……死ぬんだ、今から)
自死を選ぼうとした。けれど、“無意識”が拒むのか叶わなかった。
だからこれは……この旅は、“殺されるための旅”だった。
リーストと出逢い、リサと親しくなり、イオに想われ。
(死にたくない、なんて思ってしまった。生きていたい、なんて……なんて、傲慢なんだろう……?)
疲弊していた。生きることに。蔑まれることに。
もういいか。もういいよ。
俯いていた顔を上げる。道は行き止まり。この命の、行き着く場所。
洞窟の最奥。氷柱が光るその先に、氷で出来た――玉座があった。
「さよなら、最初で最後の友人たち」
+++
「……この空間は……?」
ユナの後を追い洞窟を進んだ先にあった、氷の玉座。
周囲を警戒するリーストたちを余所に、ユナはその玉座へと近づいた。
「……行き止まりみたい、だけど……誰もいないわね」
辺りを見回しながら呟いたのは、リサだった。
自分たち以外に人の気配がないそこに、一行は首を傾げる。
「ユナ、本当に【魔王】はここに……?」
「いるよ」
イオの問いかけに、ユナは振り返りながら頷いた。
背負った剣を、彼らへと突きつけて――
「っユナ!?」
驚く彼らに、ユナは告げる。
その命を。……蔑まれてきた、本当の意味を。
「……オレが――【魔王】だ」
「な……に、言って……冗談……」
狼狽えるリサに、ユナは緩く笑んで右目の包帯を外す。
露わになる、紅い瞳。
「……具体的には、【魔王】はオレの別人格だった。
……いや、
微笑んだまま告げられたその事実に、リーストたちは絶句する。
「うそ……嘘よね? こんな時に、冗談言わないでよ……!!」
「嘘なんかじゃない。
……故郷のエルフたちを殺した。クレアリーフで、リサの家族とその夫を殺した。他にも……きっと、たくさん。
記憶はないけど、感触を覚えてる。……血の海を、覚えてる」
「いや、嫌よ、ユナ、ねえ、ユナぁっ!!」
じわり、じわりと左目すらも侵食していく、紅。
リサの悲鳴のような嘆きに、ユナは「ごめん」と謝った。
「ごめん。ごめんな。でも、もう……【魔王】が、目覚める」
だから、と、彼は言った。
涙を湛えた瞳で、さいごの言葉を――
「オレを、ころして」
それがきっかけだったのか、彼の目は完全に紅く染まってしまった。
途端に溢れ出す、禍々しい魔力。
歪んだ笑みを浮かべる口元。
一度閉じた瞳が、再度開かれる。
……“そこ”にいたのは、最早ユナではなく……。
「……お前は……ユナの、別人格……!」
「そうだ」
絶望したように膝から崩れ落ちたリサを守るため武器を構えたイオへと、“彼”は頷く。
「我が名は【魔王】。【神族・破壊神】――ヘル・ローゼリアだ」
名乗りと共に、彼は地面を蹴り上げる。
そうして振り上げた剣を、イオへと叩きつけた。
「ッ!!」
「さて、イオルド・ライト。貴様に我が……否、ユナイアル・エルリスが倒せるのか?」
ニヤリと笑んだまま、彼はそう問いかける。
イオは愛弓で【魔王】の凶刃を受け止め、彼を睨みつけた。
(倒せるのか、か……。……できるのか? オレに……!)
脳裏をかけ巡る、ユナとの日々。
笑った顔、怒った顔。不安そうな顔。泣き出しそうな顔。
『オレを、ころして』
(ユナ。……オレは、お前の生きる糧には、なれないのか)
守りたいと願ったその人を、絶望から救えなかった。
過ぎった後悔に、イオは弓を握る手を弱めそうになる。
……けれど。
「……ふざっっけんなあああッッ!!」
――高い声と共に、目の前の男が吹き飛ばされた。
「……へい、か?」
【魔王】を吹き飛ばし……もとい、蹴り飛ばし着地した少年……リーストは、キッとイオを睨んだ。
「しっかりしろ、イオルド・ライト!
君がユナくんを助けなくてどうするんだ!!」
「っ! で、ですが……!」
その厳しい叱咤に、イオは狼狽える。
そうだ、その通りなのだ。しかし、どうすれば救えるのか。何より、あの体はユナのものなのだ。それなのに……。
(傷つける、なんて)
「くく……ははは。お前は“コイツ”を傷つけることに容赦がないようだな?」
蹴り飛ばされてもなお、空中で一回転し何事もなく着地した【魔王】の言葉に、リーストは嫌そうに顔を顰める。
「うるさいな。僕は怒ってるんだよ。
何も相談してくれなかったユナくんに。ユナくんを守れなかった自分に!
何より、【魔王】ヘル、君に!!」
言うや否や、リーストは駆け出した。
そのまま高く飛び上がり、落下の勢いと重力を利用し、【魔王】へと踵を落とす。
【魔王】はそれを当然のように避けるが、着地したリーストも追撃の足技を放った。
自身の蹴りを腕で受け止められても、リーストの瞳はぶれない。
「このままお別れなんて、僕は絶対嫌だ!
だから……ちょっと痛い目見てもらうから、覚悟してよね、ユナくん!」
「っ!」
「戯言を」
【魔王】の中にいるであろうユナに向かって、声を張り上げるリースト。
その言葉に、座り込んでいたリサは顔を上げ、【魔王】は嘲笑を浮かべた。
「今更何を言っても無駄だ。
ユナイアル・エルリスは我が作り出した“幻想”。
アズール・ローゼリアの目を潜り抜けるための、隠れ蓑。
奴の絶望こそが我の魔力。そのための、貴様らだ」
せせら笑う【魔王】に、ぐっと手を握りしめるリースト。
しかし、そんな彼の真横を、【魔王】目掛けて一筋の矢が通り抜けた。
「っ!」
「……なら、オレたちがユナを“本物”にしてみせる!」
「イオくん……!」
リーストが振り向くと、決意の籠ったアメジストの瞳で、イオが弓を構えていた。
【魔王】は軽く舌打ちをすると、瞬時にイオの眼前へと移動する。
(っ速い……ッ!!)
「イオルド・ライト。まずは目障りな貴様から殺そう」
風魔法を応用した移動方法。魔術師であるイオはそれを見抜くが、剣撃を避けるだけで精一杯だった。
「イオくん!」
「……無駄だ、人の王よ」
駆けるリーストが【魔王】へ攻撃するが、彼の剣に弾き飛ばされてしまう。
「っ!」
「リースト!」
けれど壁にぶつかる直前、立ち上がったリサの光の結界魔法に守られ、リーストは無傷で着地した。
「大丈夫……!?」
「ありがと、リサちゃん!」
軽く言葉を交わす二人。
そこにイオも駆けつけ、彼らは揃って【魔王】を睨んだ。
「ふっ……結局は我と――“オレ”と敵対するのか。
お前たちも、“オレ”を虐げる連中と変わらない、ということだな」
「……言ったよね。僕怒ってるって。痛い目見てもらうって。
だから……君に惑わされたりなんてしないよ、【魔王】!」
わざとらしくユナの口調で嘆いた【魔王】だが、動揺すらしないリーストに軽く息を吐く。
「……面倒なものだな、ヒトのココロというものは。
なぜそこまで“ユナイアル・エルリス”に執着する? これはただの偽物だ。貴様らが命を削るほどのモノではないだろうに」
「……貴方は何もわかってないわ、【魔王】」
「……何?」
心底理解ができない、という視線を向ける【魔王】に反論したのは、リサだった。
その紅玉の瞳には、もはや絶望など宿ってはいなかった。
「ユナが作り物でも。貴方の悪意のための贄だとしても。
私たち、ユナを大切に思ってたのよ。その想いは、本物なんだから!」
ユナと過ごした日々は、決して長くはない。
それでもリサは彼の優しさに触れ、守られ、そしてその恋を応援していた。
だから……だからこそ、彼女は叫ぶ。
「私は、私たちは、絶対に貴方を諦めないわ、ユナ――!!」
――誰かの声が聞こえた。
深い深い闇の中で、“彼”は黒い瞳を開ける――
Act.12 Fin.
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