【百合小説】二つの蝶 〜禁断の愛の行方〜

藍埜佑(あいのたすく)

第1章: 邂逅の季節

 秋晴れの朝、久美子は大学の教壇に立っていた。新学期特有の緊張感が教室に漂う中、窓から差し込む柔らかな陽光が、学生たちの若々しい顔を優しく照らしていた。黒板に白亜で書かれた「現代文学概論」の文字が、久美子の背後でひときわ存在感を放っている。


 久美子は深呼吸をして、学生たちを見渡した。教室には新学期特有の緊張感と期待が入り混じった空気が漂っている。窓から差し込む柔らかな陽光が、学生たちの若々しい顔を優しく照らしていた。


 その瞬間、彼女の目は後方の席に座る一人の学生に釘付けになった。時が止まったかのように、久美子の視界にその学生の姿だけが鮮明に浮かび上がる。


 長い黒髪が肩に優雅に垂れ、しなやかな曲線を描いている。その髪は光を受けて、ほのかな艶を放っていた。切れ長の瞳には知的な輝きが宿り、その眼差しには何かを求めるような強い意志が感じられる。高くすっと通った鼻筋、きりりとした唇の輪郭。それらが織りなす表情には、凛とした美しさがあった。


 その姿は10年前の蝶子と瓜二つだった。蝶子……久美子にとって初めての恋人。忘れられない人。


 久美子の心臓が早鐘を打ち始める。手のひらに汗が滲み、喉が乾いていくのを感じた。目の前にいるのは紛れもなく別人なのに、蝶子との思い出が次々と蘇ってくる。図書館での密やかな逢瀬、キャンパスの桜並木での散歩、夏の海での熱い抱擁。それらの記憶が、久美子の中で渦を巻いていく。


 久美子は慌てて視線をそらし、他の学生たちに目を向けようとした。しかし、その女学生の存在が、まるで強力な磁石のように久美子の意識を引き寄せる。再び目が合った瞬間、久美子は息を呑んだ。その瞳の奥に、かつての蝶子の面影を見たような気がしたのだ。


 過去と現在が交錯する不思議な感覚。久美子は自分の心が大きく揺さぶられているのを感じずにはいられなかった。


 心臓が早鐘を打つのを感じながら、久美子は出席簿を手に取った。名前を呼んでいく中、その学生の番になった。


「舞……沢田舞」


 久美子の声が僅かに震えた。その瞬間、教室の空気が一瞬凍りついたかのように感じられた。学生たちの視線が一斉に彼女に向けられる。久美子は咽喉の奥で小さく咳払いをし、平静を装った。


 舞が顔を上げ、微笑みかけてきた。その仕草は、まるで春の陽光が差し込むかのように、教室の雰囲気を一変させた。舞の切れ長の瞳が優しく輝き、唇が柔らかく弧を描く。その表情は、久美子の記憶の中の蝶子と重なり、鮮明に蘇った。


 あまりにも似ている。久美子は一瞬、時が止まったような錯覚に陥った。教室の喧騒が遠のき、視界の端がぼやけていく。過去と現在が交錯する不思議な感覚。10年前の蝶子と目の前の舞が、まるでスライドのように重なり合う。久美子の鼓動が早くなり、手のひらに汗が滲む。


 しかし、その瞬間は束の間だった。後ろの席から聞こえてきたささやき声に、久美子は現実に引き戻された。彼女は慌てて深呼吸をし、気を取り直した。頬に上った僅かな紅潮を隠すように、久美子は出席簿に目を落とした。


「え、えーと……次は……」


 久美子は残りの出席確認を済ませた。名前を呼ぶたびに、彼女の声は徐々に安定を取り戻していった。しかし、時折、舞の方へ視線が向いてしまうのを止められなかった。教室の窓から差し込む柔らかな陽光が、舞の黒髪を艶やかに照らしている。その姿に、久美子は再び心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 講義が終わり、学生たちが退室していく。ざわめきが徐々に遠ざかっていく中、舞だけが残っていた。彼女はゆっくりと教壇に近づいてきた。


「先生、質問があるのですが」


 その声に、久美子は再び過去と現在が交錯する奇妙な感覚に包まれた。窓の外では、秋の風が銀杏の葉を優しく揺らしていた。

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