第四章 再演への準備
或る医者の戯れ言
これは、晩夏誠人が入院していた三日間を記したものである。
…一日目
彼が起き上がった。
起き上がった直前は、眠そうで、疲れていて、呆れた…
数秒彼は静止した。しかし、自分の状態に違和感を持ったのか、困惑した表情に変わり、辺りを見渡す。僕を見つけると、困惑と安堵が混ざった表情を浮かべていた。
「ここ、は、どこ…ですか?」
彼はそう言った。
単調で、少し潰れた声。痛々しい、弱い声だ。
『病院だよ』
僕はそう言って微笑む。作り笑いには自信がある。
「そうですが」
と、彼は言う。安堵した顔と声の裏に、なにか他の感情混ざっている。彼と目が合わない。その目には、焦燥的な、…なにかが浮かんでいた。
『君、自分の名前は覚えているかい?』
唐突にそう聞いてみる。彼は目を泳がせて、少し口を開いたまま、時間が止まったみたいに静止した。
そしてすぐ、息と共に声を吐く
「名前は…えっと、…」
目を合わせようとしない。…思い出せないのだろうか?
『…思い出せない?』
「ぇ、あ…いや、そんな、…ことは」
焦ったようにそう言う彼は、やっと僕と目を合わせた。
黒い、純粋な瞳、…でも、病んだ目だ。
そして、彼はすぐに思い出したのか、息を吸う音が聞こえた。
「…ば、晩夏、誠人、……です、」
包帯だらけの全身に、包帯の隙間から伸びる点滴のチューブに囚われた誠人くんは、そう言った。
運ばれた時は血だらけで、ものすごい損傷で、…現代の医学って凄いなあ、と、感じた。
魔術とか、呪いとか、能力とかがなくてももう、人間はやっていけるんだなあ、と思った。
僕はそういうのに頼りっきりだけれど、人間も成長したよね。微笑ましい。
『そうかい。僕は、君の担当医の、
「は、い。よろしくお願い…しま、す」
『どうしたんだい?』
僕はそう問いかける。
「…そら、そ、蒼空…は」
少し、声が潰れていた。
蒼空、柊 蒼空とは、彼と心中した子。
彼の下敷きになっていた子。
半分くらい原型はとどめていなかった。
即死だ。
けれど、きれいな左手がなんの傷もなく残って、それを、誠人くんが強く握りしめていた。
身元不明だなんだと言っていたけれども、血液検査とかまあ色々したおかげで、蒼空さんと断定された。
僕はすぐにそういうのがわかるけれど。
人は根拠とか証拠とか、そういうものが真実であると考えるのだろうね。
『死んだよ。即死だ』
率直に、短く、そう言うと
「ぁ…そう、…ですか」
喪失したような顔で、彼はそう返した。
可哀想だ。
せっかく、心中しようとしたのに。
…まあ、蒼空さんが引っ張って落としただけだけれども。
「…ぁ、あの、今日は、何月何日…ですか?」
それ、最初に聞く質問じゃないかい…?
『今日は、10月の…5日だ。それがどうしたんだい?目を覚ました時期に指定があった方が良かったかい?』
「いや、そんなこと、は。ただ、…次の日に、すぐ、…目覚めるとは、だって、蒼空は、即死だった…のに」
『一理あるかもね。けれども、君も大分危なかったのだよ?…最近の医療技術は凄いからねえ、ささっと回復してしまったけれど』
「…そうですか」
心底残念そうな、哀しそうな声で彼は呟く。
会話が途切れた。
彼は、なにも言わなくなった。
窓の外、少し雲って、空が見えない。
今日は晴れの予報だったのだけど。
彼はただ、空の壁をを見つめる。
なにもないのに。
なにかを思い出すように。
また、虚像を壁に写し出すように。
僕はまた、小説を読む。
慈愛なる主人公の救済劇だ。
彼のことも、この主人公が救ってくれたらよかったのだろうね。
どうか、彼を救ってくれたまえよ。
…なんて、君に重荷を背負わせ過ぎだね。ごめんね。
三日目
明るい病室、ずっと眠らない、この子。
というか、常に半分眠って半分起きているような、無心で、なにもする気が起きそうにない。鬱に堕ちた人間みたいな状態だ。
僕は今日で五徹目。
特に心身の不調は感じていない。
人間じゃないからね。うん。
寝ることはできるんだけど…寝る意味がないからなあ。
彼の呼吸音、窓から吹き抜ける風の音、点滴が落ちる音、僕が小説の頁をめくる音。
僕が書類を取り替える音、時計秒針と分針と時針が動く音。静かでつまらないからこそ、そんな音たちが妙に歪に、大きく聞こえるものだ。
人間はこれを、寂寥さえ感じさせるような静けさだ。とかなんとか、言いそうだ。
彼は身体を動かさない。
ずっと、眼は伏せられて、涙が溢れそうなのに、乾いた表情をしている。
なにもかも、諦めちゃったのだろうね。
だから、もう、僕はなにも出来ない。
そんな絶望しているなら、もういっそ、死んでしまった方が…なんて思うのだけれど。医師としては生かさないといけないのだよね。
どうしたものか。
…ああ、でも、彼ももうすぐ、その気になりそうだ。
あと一歩手前ってとこかな。
「……せんせい」
無関心な、枯れた声だ。
『ん?なんだい?』
「ちょっと、頼みごと、聞いてくれませんか?」
『物によるけれど、どうしたんだい?』
彼の顔は、負荷のかかった微笑が張り付けてあった。
僕も同じく微笑んでいる。張り付けた笑みだけれども、長い間、張り付けていたものだから、もう違和感は無に等しい。
「おれの、こと…殺してくれたり、しませんよね」
『殺し…かい?僕が?』
「…はい」
少し期待をかけた顔をしている。
『うん、しないかなあ。むやみやたらに患者の命を奪おうとは思わないよ』
「…そうですか」
残念そうな顔だ。
彼の虚ろで、無関心な眼が微笑した僕の深紅の眼と合う。
きっと、何を天秤にかけても、頑張る気力はないだろうね。
家族をかけても、友人をかけても意味がない。
彼は気づいていなかった。最愛の友人を。恋しき愛しき思い人を。
臓物を売りさばこうが、拷問を受けようが、大事なものを破壊されようが。
もし、窓から落とされれば喜んだような、嬉しそうな笑顔を見せるだろうし、メスで首を切っても、首を絞めて殺しても、薬につけても、心臓を刺したりしても、呪い殺しても、焼いても凍らせても溺れさせても。死ねれば、同じ様に至福の表情を浮かべるはずだ。きっと、高所から落とせば尚更。
目茶苦茶に苦しい思いをさせたらどうだろう?生死の境の…ギリギリ…とか。…駄目かあ。どう足掻こうが無理だ。
というか、早めに死ぬのが彼にとっての最適解だ。退院したとして、どうせすぐに自殺するだろうし。きっともう、本心で笑うのも、本心で生きるのも、無理だろう。
…彼を許容してくれたのは、蒼空さんしかいないみたいだ。
もう、その人はいない。
ということは、もう彼は、終わり。
「…じゃあ、自殺…」
『自殺ねぇ…』
「見殺しにしてはくれませんか?」
『うーん』
普通の医師だったら、迷っちゃいけないのだろうけれど、彼のことを考えるならば…一人の患者として、ではなく、一人の少年として、孤独でもう、彼のことを誰も認めてくれはしないのだとして、考えれば。
僕には止める権利はない。医師としての止める義務があろうが、そんなの職にとらわれた囚人だろうから。ふふ、犯罪者かな?まあ、もう今更か。
『好きにしたまえ』
僕はそう、口にした。
してしまった。
「……いいんですか?」
『ああ』
彼は、少し停止したあと、首を傾けた。
「あ、えっと、…何が…?」
『もう、忘れたの?』
「…いや、そんなことはな、い、です、?」
今さら強がる意味はないよ。
彼は、忘れっぽい。
というか、結構な記憶障害だ。
情報を受けても、脳に上手く記憶されず、外に抜け落ちて忘れてしまう。
どんなに大事なことでも、忘れて、覚えていない。記憶の、奥深くに傷をつけなければ。
だから僕が発した言葉だと、頭の奥に届かない。
「…すみせん、忘れました」
『自殺、するとか言ってなかったかい?そうならば僕は席を立つけれど』
「…そんなこと言いました…?殺して…くれたりとか」
また同じこと言ってるなあ。
『最初にしないって言っただろう?ほら、殺してあげないから』
彼はしょぼんとした。けれども。
『死ぬなら潔く自殺したまえ』
と、言う。
僕は席を立つ。
書類と本をもって、病室から出た。
数分後、看護師の悲鳴が聞こえた…ってことは、成功したってことか。
良かったねぇ、誠人くん。
で、だ。
まだまだやることは残ってるのだけれどね。
「彼」の対応がまだ残っている。
誠人くんが死んだってことは、「彼」が来るはずだ。
もうそろそろね。
それまで小説でも読んでいよう。
…救済される前の、予習だね。
次の更新予定
2024年12月22日 23:00 毎週 日曜日 23:00
永眠 中田絵夢 @Lunaticm
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