2.緩潮
波の花は白みはじめた海辺の気まぐれな疾風に身を委ね、あおられるままに中空へ一気に舞い発っては、また険しい岩場に泡立つ水際へといきなり舞い戻って来て、
「
海女姿のうら若い呼び声が二つ、息をはずませて浜を駆けて来る。背後には小高い
「待った?」
「ううん、そんなには」
「ごめんね、
「婆っちゃんも爺っちゃんもとにかく早起きだから」と、美祢。
「見て」
「潮が緩んでいる。きのう言った通りでしょ?」
「凄い」
「さすが鈴ちゃんだ」
「じゃ、行こう」
三人は連れ立って、波の花の乱れ飛ぶ岩棚を伝い降り、岩肌にこびり付く
「行こ」
凍て付く水面に足袋の指を浸して三人は笑い合う。真っ白な息たちが風花めいた潮の泡といっしょに海上を流れて行き、小さな
ひと冬に二度か三度、沖合の荒ぶる潮流にどこからか温かい潮の一団が紛れ込んで来る
ふいに風が凪ぎ、舟足が
「着いたよ。ほら、わかるでしょ?」
「温泉みたいに温ったかい!」
ケラケラ笑いながら手桶に師走の海を汲み取り、恐る恐る背中や頭を濡らして行く。体の慣れたところで今度は頭から一気に水をかぶり、最後に筏の
「う、う」
「死ぬ」
「
三者三様にひと
「誰が行く?」顔を見合わせると、すかさず
「
日露戦争の祝勝気分は村にも
「気をつけて」
鈴音と美祢が
「ひとーつ、ふたーつ …」
不安だ。だが、ふたりが本当に心配し始めるより前に、
「そら!」
海面に首を出すなり破顔一笑した
「凄い」
「やった」
筏に
「
「ただ、底はさすがに冷たかった」
「今度はわたしが行く」
鈴音が勇んでロープを腰に回して行く。
「気を付けて」
「早めに上がって来るのよ」
腰綱の動きに合わせて送り出す美祢と重がまた数を唱え始める。
「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ、よーっつ …」
影はたちまち海に呑まれて行き、綱をどんどん引き込み続けた。
「三十、三十一 …」
小さな風が起ってふたりの頬をかすめて行く。
「七十三、七十四、 」
突然、麻縄が動きを止めた。二人は念のために二、三度軽く引き戻して確かめる。
「あっ‼」
—— 手ごたえが消えていた。命綱が、引かれるままにずるずると戻って来る。
「鈴ちゃん‼」
真っ青な悲鳴を上げて、二人は死にもの狂いでたぐり寄せた。だが、帰って来た綱の端には何もなかった。
「鈴ちゃん!」
「どうしよう⁉」
血の気が引く。
「捜してくる」
「みんなを呼んだ方がいいわ」
べそをかきながら美祢が言う。
「駄目よ、間に合わないでしょ!ふたりで捜すの!——、そうだ」
重は筏にただ一つ積んである小物籠を顔で示す。
「
そう言い置くなり、腰綱を結ぼうとする美弥の手を払いのけて飛び込んで行った。
「鈴ちゃん、鈴ちゃん」
美祢は泣きながら海面を探す。だが、双眼鏡の視野は狭い。
「駄目よ、駄目よ …」
双眼鏡を放し、拳を固めで題目のように祈り続ける。緩潮はのっぺりと表情を閉ざしている。
思いがけなく向こうの水面に
その刹那、美祢の目がふと何かを捉えた。潮目の少し先、海底から唐突に一本突き出たいつもの楊枝岩の波間に白っぽい物が引っ掛かっている。間違いない。鈴だ。
「鈴ちゃん!」
美弥が櫓をとって必死に叫ぶ。
「重ちゃん‼重ちゃん‼鈴がいた!」
自力で何とか筏を寄せて行く。嬉しいことに向こうに
「重ちゃん、早く‼早く来て!鈴がいた!」
潮を横切り、筏に辿り着いた重を引き上げる。重の唇は死人のようだ。
「あそこ!」
二人は潮目を越えて筏を寄せて行く。いきなり筏が一つ大きく煽られる。上体を狭い岩場に乗り上げ、両脚を波に洗われたまま、鈴音が仰向きに揺られていた。
「鈴ちゃん!」
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