第40話 セシリアの自覚と願い




「釣り書き……」


 リカルドの言葉に、セシリアは一瞬なんのことかと目をしばたたかせ。

 少し遅れてようやく、それがリカルドの婚約パーティーの翌日の朝食の席で言われた話だということを思い出した。


「……申し訳ありません。仕事が忙しくて、忘れていました」

「まあ、そんなことだろうと父上と話していた」


 呆れながらもセシリアの額を指先で小突いてくるリカルドは、先ほどの気まずい空気とは打って変わっていつもの兄妹の空気に戻っていた。


「ドヴォルザーク卿とそういった関係でないのであれば。先日父上に言われた通り、釣り書きに目を通して早く返事をするように」

「…………」


 釣り書きの返事をするようにとリカルドに言われて、セシリアは答えを言い淀んだ。

 

「あの……、お兄様」

「なんだ?」

「それは、すぐにお答えしなければならないものでしょうか……」

「……どういう意味だ?」


 再び決まり悪そうに告げてくるセシリアに、リカルドは嫌な予感がした。


「ヴィ……、ドヴォルザーク卿の、帰りを待つと約束したのです……」

「それは――」

「それなのに、釣り書きを選ぶのは不義理にあたるのではと」


 リカルドの予感は的中した。

 

「……帰りを待つとは、どういうことだ」

「…………」

「先ほど、親しくしているだけだと言っていたのは嘘だったのか」

「嘘ではありません……! ただ……、ヴィクター様が戻ったら、わたくしにお話しすることがあるというのを待っているのです」


 それ以上は。

 リカルドとて、皆まで聞かずとも大体のことは想像がついた。


 つまりはこの二人は――、付き合ってはいないが、そういう未来を見ているということだ。

 リカルドはその時になって初めて。

 自分の中に、言いようのない黒い感情が生まれたことを自覚した。


(ドヴォルザーク卿は。男の自分から見ても非のうちようのない好青年だ。そんな人物がセシリアの相手になったら)


 ――誰よりも大事な妹を、取られてしまうかもしれない。


 自らセシリアの手を離しておいて勝手な話ではあるが、前述したとおり、リカルドは胡座あぐらをかいていたのだ。

 セシリアは絶対、自分のことを好きで居続けると。

 心変わりをすることがないという根拠のない自信が、彼の判断を誤らせたのだ。


「私は――、反対だ」


 思わず、言おうとも思っていなかった言葉が、口をついて出ていた。


「えっ……」

「先ほどもお前に伝えたが。嫁入り前の娘の外聞も考えられないような相手が、お前にふさわしいとは思えない」

「でも、それは」

「釣り書きの件は待とう。ドヴォルザーク卿が戻ってくるまで。しかし、彼が戻ったら、ちゃんと彼には断りを入れて、私の選んだ相手の中から結婚相手を決めるように」

「そんな、お兄様」

「話は以上だ。仕事中に邪魔をした」


 リカルドはそう言い捨てると、これ以上話すことはないと身を翻し、セシリアの元を去っていった。

 残されたセシリアは、未だかつてあまり見たことのなかった兄の不機嫌な様子に。

 そして、ヴィクターとのことを反対されたという予想外の出来事に。

 動揺したまま立ち尽くすことしかできなかった。


(……それでも、わたくしは)


 セシリアの身に降りかかった様々な逆境の中で、今、確かに気づいた事実を反芻する。


(ヴィクター様を待ちたいと。戻ってきたヴィクター様から、何と言われるのかを聞きたいと思うほどに――ヴィクター様のことが好きなのだわ……)


 と、セシリアの胸の内に、そんな想いが自然に湧き上がってきて。


 いまここに。

 ヴィクターがいないことが、ものすごく寂しかった。

 あの笑顔で。

 セシリアの名前を呼んで。

 優しく触れてほしかった。


(――早く、紛争が終わればいいのに)


 鮮やかに色づき始めた秋の風景を眺めながら。

 セシリアは切実にそう願ったのだった。















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