第38話 選択肢があるということ



「はあ……。明るいうちに一度家に戻ってくるのって、何か不思議な感じね」

「……あの、セシリア様」


 セシリアがミーナを家まで送り届け、玄関を開けて家に入ったところで。

 ミーナが神妙な面持ちでセシリアに向かって呼びかけてきた。

 

「なあに? ミーナ」

「……私のようなものが、聖女になるということは可能なのでしょうか」

「…………そうねえ」


 ミーナの言葉に、セシリアはあごに手を当て、うーんと考える様子を見せてから口を開く。

 

「正直なところを言うと、他の子たちと比べてずっと道は険しいと思うわ。可能か不可能か、というよりも。貴女が辛い思いをすることが他の子よりもきっと多くあるでしょうね」


 ミーナのいう『私のようなもの』というのが、自分が獣人であることや、かつて奴隷だったことを指しているのだろうということは問い返さなくてもわかった。

 ――彼女が、それを負い目としていることも。


「わたくしはね、ミーナ。こうなるかもしれないことを、少し予想してたの。それが、もしかしたら貴女の人生にとっては余計なお世話かもしれないということも。……でもね。わたくしは、選択肢があるかないかというのは、人生においてとても大きいと思うのよ」

「選択肢……、ですか?」

「ええ」


 そこでセシリアが、ミーナに対して椅子にかけるようにと促すと、自分もすとんと椅子に腰掛けたので、ミーナはそれに素直にならってセシリアと相対するように椅子に座った。


「考えてみて? 貴女は、自分に神聖力がある――しかも、他人よりも多くの力を持っていると知ったから、いま悩むことができているのでしょう? でもそれは、知らなかったらずっと訪れない悩みよ」


 ミーナが自分に神聖力があると知ったからこそ選択肢が増えて悩むことになったのだと説明するセシリアに、ミーナは『それは確かにそうだ』と思った。


「聖女になることを拒んだからと言って、罪に問われることはないわ。まあ……、多少、しばらくの間肩身の狭い思いをすることになるかもしれないけれど」


 でもそれだって一生続くわけではないし、誰も知らない他国にでも移住してしまえば、そんなことを知る人物は周囲からいなくなる。


「獣人の聖職者だって別に禁じられているわけではないのよ? この国では見かけることがないからめずらしく見えるけれど、他国の拠点に行くと、ウルド教の聖職者の中にも獣人の神官や聖女もいるもの」

「……そうなんですか?」

「ええ」


 古参の神官や年配者の中には、古い慣習に縛られ獣人を軽視する人間もいるが、それだって時代と共に変わってきている。

 誰か――世情や風潮を変えるような人物が現れるからこそ、世の中の価値観というのは少しずつ動いていく。

 ミーナにそれを担えと言うわけではないが、獣人にもいつか、そういった存在が現れてくれればいいとセシリアは常々思っていた。


「決めていいのよ。あなたがどうしたいか」


 そう言ってセシリアはミーナに、ふんわりと笑いかける。

 ヴィクターに助けられる前の――奴隷だった時のミーナにはなかった『選択できる』という自由。

 ミーナには今、それがあるのだということを、セシリアは知って欲しかった。


「すぐに結論を出す必要もないわ。……ゆっくり考えなさい」


 それだけを伝えると、セシリアは家まで送り届けてきたミーナを残して「じゃあ、わたくしはそろそろ仕事に戻らないと」と言って仕事に戻っていった。





「……自分で、選ぶ」


 セシリアが出かけた後の室内で、残されたミーナがポツリとつぶやく。

 

 彼女は今。

 セシリアの導きによって、『自立する』ということを、学び始めたのだった。


 

 ◇



 ――セシリアが、ミーナに神聖力の測定をさせて数日。

 

 特段とりたてて大きな事件がおこることもなく、ヴィクターがいないということ以外は、つつがなく日常が過ぎていった。


 ミーナは、自分で今後のことを考え出すようにはなったようで、時折ふと考え込む瞬間を見ることが増えるようにはなったが、セシリアとミーナの二人での生活は相変わらず特に問題もなく、穏やかに流れていく。


 帝国で起こっているナビレラ紛争の方も、帝国が積極的に和平に向けて動き出そうとしていると知らせが入ってきており、セシリアはヴィクターの帰還もそう遠くないだろうと思っていた。


 

 ――そんな中でのことだ。



「――久しぶりに用があって大聖堂に来てみれば、お前が宿舎に住んでいないと言う話を聞いたのだが」


 兄のリカルドが、セシリアの元を訪れてやってきたのは。


「お兄様」

「男の家に住んでいるという話を聞いたのだが――、いったいどういうことだ?」


 ――どういうことだ? というのはセシリアが聞きたかった。

 そんな歪曲した話をお兄様に伝えたのは誰なの――? と思いながら。

 セシリアは兄と対面することとなったのであった。


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