落ちぶれ巫女とタタリガミ 〜日没譚〜
恥目司
今生の月、輪廻の陽 〜巫女と祟神〜
その夜はとても凪いでいた。
山鳩の寂しい囀りがこだまして、木々が緩やかにざわめいていた。
草木が寝静まっている夜の中、土を踏む音が小さく響く。
軽快で落ち着いた音色を奏でる虫のさざめきと時偶に雲の割れ目から現れる月光が、暗黒の恐怖や不気味さを打ち消してくれていた。
ゆらりゆらり、山道を歩く影がいる。
獣にしてはあまりにも精悍な影。
白髪の青年が、ゆったりとした足取りで歩いていた。
雑草が生い茂っている中を、足で掻き分けながら登り続ける。
「いいよ、あたしゃまだ歩けるってのに」
「んな事言ったってお前、人間でいう老齢ってもんだろ。夜中だし、何かがあってからじゃ遅いだろ」
「まったく、神様ってのは羨ましいねぇ。あたしがこんな婆さんになってもまだ若いまま」
「俺がおかしいだけだ。そりゃ何百年も昔に封印されてりゃあ、身体の時は止まっちまうからな」
「あたしも封印されたらよかったのかねぇ」
「バカやろう!!んな事があってたまるかよ!!」
「ほっほっほ、冗談よ」
様々な感情を露わにしながら歩く青年。
その背後で愉快に喋る小さな老婆。
青年は老婆との会話を楽しみながら、ひたすらに道を辿り続けた。
眠りを妨げられた虫は飛び跳ね、獣はそそくさと木の上へと駆けていく。
やがて、彼らが辿り着いたのは古びた社だった。
足が折れ傾いた鳥居には蔦が伸び、社は草木で既に原型をほとんど留めていない。
ただその木屑同然の廃墟はそれは青年にとって、そして背負われている老婆にとっても、とても所縁のある場所だった。
「着いたな……ここに」
「ええ、そうね」
青年は朽ち果てた縁石の上に、老婆を下ろす。
月夜に照らされる二人。
「覚えてるか。ここで俺たちは初めて会ったんだ」
「ええ、ええ。鮮明に覚えてるよ」
「あれはもう随分昔の事だったな。突然転がってきたかと思えば、急に眠っちまって。仕方ねぇから夢に出てきちまったよ」
「ありゃ、そんな理由で出てきたのかい。初めて知ったよ」
「まぁ、言ってなかったからな」
悪戯っ子のようにケラケラ笑う青年。
うつらうつらとなりながらも老婆の顔は微笑んでいた。
二人の会話は月が天上に登るまで続いた。
「こんなに話してるとねぇ、少し眠たくなってしまったよ」
「なんだよ。まだ、話そうぜ」
しかし、老婆は小さく首を振って青年の誘いを断る。
「もう分かってるわよ。もう、お迎えが来てるんだって」
驚く青年。老婆は緩やかな笑みを浮かべながら青年の方を向いた。
「最後の思い出の為に、ここに来たんでしょ?あたしを迎える前に」
青年は黙ったまま俯いてしまう。
「隠さなくても良かったのよ。神様が人の死に立ち会うのは当たり前でしょう」
「…そう、なんだけどな」
「崇神のあなたは、人の死というモノが見えるようになっていた。だからこそ、あたしをここへと連れてきたんだ」
図星を指されていた。
「何十年、一緒に付き合ってきたと思ってるんだい?あなたの考えてる事の一つや二つはあたしにも分かるさ」
そうだな、と苦笑するしかなかった。
かつては可憐だった彼女をここまで見守ってきた。
その中で、互いの想いが以心伝心しているのは自然な事。
それがどれだけ嬉しいものでどれだけ名残惜しいものなのか、彼は分かっていた。
「別れが来るってのはいつまでも寂しいもんだな」
「いつか会えるよ。また、どこかで」
老婆は緩やかに笑みを浮かべて、男の方を見る。
「さて、あたしはそろそろ眠るよ。そろそろ来たみたいだしねぇ」
皺の集まった、細い目が瞑られる。
老婆の声は途切れた。
穏やかな笑顔が月光に照らされていた。
優しく、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
その姿を見守る男。
そっと、老婆の顔に優しく触れる。
「楽しかった。今の今までずっと」
「また1人になるけど、今度らもう寂しくなんかならねぇ」
「おまえに情けないところ見せられないからな」
「だって、俺はお前だけの神様だ」
彼は、静かに影を消していく。
彼は、己の役目を終えた。そう感じて、自らを封印していく。
封印と共に、自らの一生を刻んで、紡いで、描いていく。
「なあ……ヒナタ。また、いつかどこかで会えたとしたら……その時は笑顔で待っててくれないか」
そう言い残して、彼は……忘れ去られた神は消える。
代わりに朽ちた廃墟の中に一つの巻物が現れる。
そこから数千年の時が流れた。
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