第21話 覚えられないほど多い名前

僕たちは宿に帰り、そこで夕食を頂いた。この宿は『サルトスの宿』と呼ばれている。死神の使徒が滞在していただけあって、この町の中では高級な部類の宿である。清潔感があり、料理もおいしい。特別上品ではないが、下品でもない。その分値段も高い。だがその点は気にしなくてもいい。だってルイのおごりだから。僕は16歳の高校生の男。食べるときは食べるのである。

 食後三人でその場でまったりすると一人のエルフが現れる。緑に近い金髪に尖った耳、白に近い肌。そしてすらりとした細い体躯。澄んだグレーの目で周りを見渡している。彼女はこの宿の食堂に用意された小さな舞台に立ち、おじぎをする。彼女はその手にリュートを持っている。どうやらこれから彼女の演奏が始まるようだ。リンが周りに聞こえないような声でルイに話しかける。


「ルイ、彼女は誰じゃ?」

「彼女は吟遊詩人だよ。この宿の客の一人で宿泊費の代わりにここで毎晩演奏しているんだ」

「そうか。面白そうなじゃな」

「そうだね」


 僕も内心ワクワクして同意する。そして彼女は弾き始めた。それはどこかの町の英雄譚だったり、どこかの神の逸話だったりと知らないものばかり。だが彼女はきれいな歌声を持っていた。そして技術の高さを感じる演奏だった。しばらくして彼女は弾き終わり、その場にいた観客が拍手をした。そして最後に堂々と自己紹介した。


「私は旅の吟遊詩人。この場には初めましての方がいるので名乗らせてもらうよ。ぜひ私の名を覚えていってくれると嬉しい。私の名はクワーレリリ・ルシェーシ・スーソー・ゾーハン・オチガ・ブスカー・スユ・ポイスク・レイト・サーキ・クンハー…」

「…」


 名乗りが止まらない。彼女の演奏を初めて聞いた初対面の僕とリンはポカンとした。そして僕とリンは同時に声を上げる。


「長い!」

「長いわ!」


 この場にいる全員が同じことを思っただろう。彼女は僕たちの声が聞こえたのか、こちらを見て少し残念そうにした。


「…やはりそうか。ではリリと覚えて頂ければと。それでは今宵はここまで。また機会がありましたら、ぜひに」


 彼女はそう言ってこの場を閉める。他のテーブルに座っている客が渡したがっているチップを受け取る。そしてその後、こっちのテーブルへ歩いてきた。そして余っていた椅子に座り、口を開く。


「ルイと初めましての方たち、どうだったかな?私の演奏は?」

「良かったよ。さすがエルフだよね。聞くたびにボクの知らない歌が聞けるなんてすごいよ」


 ルイが彼女を手放しで褒める。どうやらルイと彼女は知り合いのようだ。


「そうだろう、そうだろう。では私にこの宿の食事、もしくはおひねりをくれ」


 彼女はルイの賞賛に素直に喜ぶといきなり要求を告げた。だがしかし僕とリンは金銭を持っていない。あげようとしてもあげられないのだ。するとリンがにやにやして、ルイを示しながら答える。


「確かにそなたの歌は素晴らしかった。じゃが、儂とこの仁は金を持ってない。ルイにねだったほうが良いぞ。なんせこやつは死神の使徒じゃからな。使徒として良いものを良いと言った以上、それなりの対応をしてくれるじゃろう」

「さすがルイ!ヌームスなんかとは違って懐が広いね!」

「リン…」


 ルイが勝手に言いたい放題言ったリンに対して悔しそうに唸る。そして諦めたのか溜息を吐いて、素直に食事を奢ることに決めた。それと彼女が言ったヌームスとは、ヌー爺さんのことかな。だとしたら懐が広いのではなく、財布の紐が緩いの間違いではないだろうか。


「今回だけだからね!ボクが出すのは!ここのご飯代は安くないんだから!」


 ルイがプリプリと怒った。僕は彼女の歌に少し感動していたので、彼女に食事で報いるのには内心賛成していた。だが僕も奢られている側なので飛び火しないように黙っていた。


「ありがとう。ルイのそういうところ嫌いじゃないよ。それとあなたたちが仁とリンか。よろしく頼む。改めて私の名はクワーレリリ・ルシェーシ・スーソー・ゾーハン・オチガ…」

「それはさっき聞いたわ!儂らはそなたが先程言ったようにリリと呼ばせてもらう。それで良いじゃろ?」

「そうか…」


 彼女は少し残念そうな顔になった。しかしどうすればあんな長い名前を覚えられるだろうか。僕には不可能だ。そしてそのことでルイに質問する。


「ルイ、彼女の名前が長いのは種族柄のことなの?」

「違うと思うよ。以前別のエルフに会ったときはもっと普通だったと思う」


 ではなぜ彼女の名前はこんなにも長いのだろうか。まぁいい。僕もおとなしくリリさんと呼ばせてもらおう。


「リリさんよろしくお願いします。僕は仁です」

「儂はリンじゃ。よろしく頼む」

「こちらこそよろしくお願いする。あなたたちには会ってみたいと思っていた」

「僕たちを知っているんですか?」

「もちろん。ヌームスの副業にはお世話になっているから」

「副業?小銭稼ぎのことか?儂はそれこそがあやつの本業だと思っておったが」

「そんなことはないよ。彼は神父としての仕事も手を抜かずにやっている」

「そうか。だといいが」


 確かにヌー爺さんは金儲けが好きそうだから、本業に見えてしまう。だが仕事はきちんとやっていたようだ。そしてルイも一緒になってフォローした。


「リン、リリの言っていることは本当だよ。あんな性格だからボクもあまり会いたいとは思わないけど、彼は役目はきちんと果たしている。あんな性格だけどね」


 大事なことなので二回言った。僕はリリさんことが気になり質問する。


「リリさんはエルフなんですよね?失礼かもしれませんが、年齢とかお聞きしてもいいですか?」

「いいよ。ただ年齢はもう数えてないからわからない。それと仁はリンたちみたいに普通に話していい」


 覚えていないらしい。だが覚えていなくなるほど生きているということだろう。


「わかったよ。ちなみに旅の吟遊詩人だって言ってたよね?どれぐらい旅をしているの?」

「結構長いね。ちなみにルイと一緒に旅をしたこともあるよ」

「少しの間だけね」


 どうりでルイとリリは仲が良さそうである。あとエルフの言う『結構長い』とは、どれぐらいなんだろうか。気にはなったが、今度はリンが口を開く。


「ほう。旅をしているわりには武器を持っていないな。危険な目にあったりはせんのか?」

「私は足だけは速いから大丈夫なんだ」

「そうだね。リリは逃げ足だけは速いから。ボクらが旅をしているときは苦労したよ。逃げ足だけは速いから」


 大事なことなので二回言った。だが旅をしているうえで、逃げ足の速さは大事なことなのだろう。この世界にはモンスターもいるし、確信犯な使徒もいるし、少女の姿をした神もいる。何が起こるかわからないのだ。


 こうして僕たちは話をしながら、夜とともに僕らの仲を深めていった。そしてリリはお酒も頼み始めていた。ルイの財布の中身はそのお酒に溶けていき、リリは遠慮くなく飲み干した。

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