第18話 無力でしかない、ただの私。

「冷たいと、思われるでしょうが、私には明確な答えをあなたに差し上げることはできません。」


 私の言葉に、マーガレッタ嬢が顔を上げた。


「ミズリーシャ、様……?」


 青ざめた顔、虚ろに見える緑色の瞳が揺れている。


 彼女が私に求めたのは何か考えた。


 現状を改善できるような解決策?


 私が最的確と考える明確な答え?


 ただただ相手に共感し、憐れむ言葉?


 どれも彼女にかけてあげられるかもしれない。


 院長先生なら、どのように話をするだろうかと考えても、何も浮かばない。


 それでも、追いすがるように私を見る青ざめた顔を向ける彼女に、私は首を横に振った。


「……こんなことを、今どのようなお気持ちなのか想像するのもおこがましいほどに苦しんでいらっしゃる貴女に言っても良い言葉なのか、私はわかりません。 けれど貴女は私に問いかけられましたね、どうしたらいいのか、と。 どうすればよかったのか、と。 それは……どの立場に立つ私から答えを待っていらっしゃいますか?」


 顔を上げ戸惑う彼女を、私はまっすぐ見つめ返す。


「貴方が憧れてくださっていた、王太子の婚約者である公爵令嬢ミズリーシャ・ナザスリーとしての言葉をお待ちであれば、私はこういうしかありません。 『どのように求められても、貴族の令嬢たるもの、婚前交渉をお断りするべきでしたね』と。 なぜならば、私でしたらどのような状況であろうと絶対にお断りしているからです。

 王家に嫁ぐものとして、貴族の方よりも、さらに純潔を求められますから。

 それに、好きな方から求められ、それを断り続けたことでお相手から嫌われるようなことがあったとしても、そんなことで婚約が解消されることはなかったでしょう。 困っているのだとご両親に相談し、両家の親が話し合うべきでした。 万が一、それを理由に婚約者が貴女を邪険にするようなことになったとすれば、それは彼が人として不誠実だった、それだけなのです。 また強引に、貴女の同意なくコトに進まれるようなことがあれば、貴女は純潔を守ったまま、お相手の有責で婚約破棄もできたでしょう……。」


 私は彼女を見つめながら、静かに続ける。


「友として、と言われてしまうと、私は悩みます。 友と言い合うほど、貴女とは長い時間、同じ時を過ごした記憶がございませんから……。 これが学園時代であり、個人的な場所での密談、という形であっても、このお話をお聞きした私は『ひどい婚約者ですね、さぞお辛かったでしょう……これから、良い方法に進めるよう、ご両親とお考えになられた方がよろしいのではないですか?』と、お慰めする事しかできなかったでしょう。」


「ミズリーシャ様……そんな……私は……。」


 すでに傷つき、悩み、苦しんでここにいるローリエのことを考えれば、私は酷く残酷なことを口にしているのは自覚している。


 同じ女として、今の彼女の状況に同情するし、相手の男性の不誠実さには吐き気もする。


 しかし、ここに入る前の、彼女が憧れ、彼女が答えを求めた『私』は一公爵令嬢であっても、王太子の婚約者という公人だった。 感情的にならず、身内や友に肩入れすることなく、得られた情報を客観的に見、すべてを公平に見通し、判断しなければならないと言われていた。


 例え相手が肉親と言えどもだ。


「ミズリーシャ、様も……私が悪いと、お考えなのですね……。」


 それには私は静かに首を振る。


「貴方だけが悪いのではありません……。 この場合、もっとも責められるべきは婚約者である伯爵令息であり、その後の不誠実を増長させた伯爵夫妻と、侯爵家だと私は考えます。 ……しかし、貴族という面倒なしがらみや力関係を考えたとき、優位に立つのもまた、彼らでしょう……。」


「……そんな……」


 絶望したような目で、顔で。 私を見るマーガレッタ嬢に、私は座ったまま深く頭を下げた。


「貴方には大変辛いことを言いました。 深くお詫びを申し上げます。 ……貴女がここに連れてこられ、悲しみと苦しみの中で見つけた私を、一筋の光明と思われたのかもしれません。 確かに私はここにおります、そして、笑って仕事をしております。 ですがそれは、貴女の憧れであったミズリーシャ・ナザスリー公爵令嬢としてではありません。 爵位も、権力もすべて外に捨て置いた修道女見習いのミーシャとして、ここにいるのです。」


 どのような意味合いかわからないが、ふるふると私の言葉に頭を振る彼女に、頭を上げた私はまっすぐとその顔を、目を見据えて言う。


「貴方が今、どのようにお考えか私には解りません。 貴女を傷つけるような事しか言わない私に失望していらっしゃるかもしれません。 しかしこれが、貴女の憧れてくださったミズリーシャ・ザナスリー公爵令嬢としての私の姿です。  ……手を、失礼しますね。」


 断りを入れてから、私はゆっくりと、彼女の手からミルクのカップを取りテーブルに置いた。 それから、空っぽになった手に、両手を添えた。


 拒絶されるかも、とも思ったが、私の手の中で、彼女の手はただ震えていた。


「ですから、ここから先は、一見習い修道女ミーシャとして、お話します。」


 その手を、ぎゅっと強く包み込む。


「先程も申し上げた通り、私には何もありません。 しかし、貴女のお腹の中には、今、愛おしいと思われた命があるのでしょう? おつらいかと思いますが、まずは、無事に産むことを考えませんか?」


 静かに静かに、言う。


「……私、ここに来てから、物を見る目が変わりました。 王太子の婚約者として様々なことを学んできたつもりでしたが、そんなものはここでは何も必要なかった……いえ、役に立たなかったんです。 私は幼少の頃より、王子妃・王太子妃教育を受けて参りました。 そのお陰か、そのほかのことで、辛い、苦しい、大変だと思うことがあまりなかった。 ……しかしここに来て、小さな子に初めて触れあって、お世話をし、共に過ごして、今までの自分はとても偏ったモノであったことを知りました。

 赤ちゃんはとっても小さくて、可愛くて、愛らしい。 でも、お世話は難しく、何をしても、どう頑張っても赤ちゃんが泣き止まないときには、私の方が泣いてしまうようなこともたくさんありました。 途方に暮れたまま朝を迎えたこともあるんです。 正直言えば、ここから逃げ出したいと思ったこともありますわ。 けれど、私に抱っこされて笑ってくれたりすると嬉しいですし……そうですね、言葉にするのはとても難しいのですが、皆、とても愛おしいのです。」


 ぎゅっと、手に力を入れる。


「なにを言っているの? と思われるでしょう。 何も知らないくせにと思うでしょう。 でも今、貴女のお腹の中には赤ちゃんがいて、これから生まれてこようとしているんです。 これはどのようにしても変えられない事実です。 過去を悔やんでも、恨んでも、もう何も知らなかった、なかった頃には戻りません。 どんなに嘆いても、願ってもです。 ですが、これからのことを一緒に考えることが出来ます。 貴女のお力になれるよう、修道院の皆様はきっと一緒に考えてくれます。 もちろん、私も考えます。 ですから、ひとまず、赤ちゃんを無事に産むことを考えませんか?」


 目を合わせ、私は問いかける。


「マーガレッタ様。 ここにいる私は、貴女と、貴女の赤ちゃんの味方ですわ。」


 緑色の瞳から一筋、大きな涙の粒が頬に滑り落ちた。


 それから、ひっとひきつるような声が上がり、ぼたぼたと涙が私の手の上に落ちてきた。


「彼の事を、心から慕っていたのです。」


「えぇ、存じ上げておりますわ。」


 背を擦り、私は頷く。


「子供が出来た時、戸惑いました、どうしようと悩み、苦しかったんです……でも、嬉しかったんです。」


「そうだったのですね。」


「はい……ですから、領地に戻ってお屋敷で大きくなるお腹を撫でながら、あの人が卒業する日を、結婚できる日を、本当に心待ちにしていたのです。」


「お好きな方なのです、当たり前ですとも。」


 ひっっと、嗚咽は大きくなる。


「なのに、父に、私は捨てられたのだと聞いて……苦しくて、憎くて、悔しくて……何故私ばかりと、お腹を殴ってしまった事もあるんです……。 赤ちゃんさえ出来なければと……本当に苦しかったんです……。 苦し、かった……。 大きくなる腹がひどく怖い……怖いんです。 私、一人でどうしたらいいか、解らなかったのですっ!」


 堰を切ったように泣き始めたローリエは、それからただうわごとのように気持ちを吐き出して、吐き出して、そのまま泣き疲れ、気を失うように眠ってしまった。


 様子を見に来た院長先生に手伝ってもらい彼女をベッドに寝かせる。


 白く、ひどくやつれた頬の涙を拭って、シーツをかけ直すと、目覚めた後の事はシモンに任せ、私は院長先生と部屋を後にした。


「どうでしたか? ミーシャ。」


「……そうですね……私という人間が、ひどく人でなしだという事は、よくわかりましたわ。」


 院長先生の問いに、私はそう答えた。


「そうなの?」


「はい。」


 頷いて、静かに続ける。


「ひどく傷つけることを言いました。 彼女はそんな言葉を望んでいなかったでしょうに……院長先生ならばどうお話しされるかとも考えましたが、私は、以前の私と、今の私としての返答しか、出来ませんでした。」


 目を伏せて、泣いていた彼女の顔を思い出す。


「そのうえで、私が出来たことは、問題を先送りにしただけ。 目先の安易な言葉で彼女の不安をごまかしただけにすぎません……私は……無力です。」


 そう言った私の背中を、ポン、と、院長先生は撫でてくれた。


「もしそうなのだとしたら、ミーシャ。 貴女も彼女と共に悩み、育っていくしかありませんね。 ここは、子供が育つ場ですから。」


 そう言った院長先生が頬をハンカチで拭ってくれたことで自分も泣いていると気が付いた私を、先生はただ静かに抱きしめてくれた。

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