第十五話 輝く


 夏休み、自由いっぱいと聞くけれど。

 実はいっぱいの問題がありまして。

 宿題だとか、遊びたいことだとか、現実だとか。


 それもあるけれど。







 

 空調が効いた空間は、デロデロと溶けたアイス状態の人間には天国さを一塩感じさせるなぁと思える、夏。随分と真面目くさい本が並べられている中、読まずに冷やかし程度で休めたら良いのに。そう思ってしまう私、若葉春流。夏休みを去年と同じく自堕落に過ごそうとしている小学四年生。

 ……いや、しようとしていたと書き換えておこう。

 だって、此処はオレンジ煉瓦でお馴染みの市立図書館で、何時ものように絵本の『月の王子様』を借りにいくわけでもないし、何だったら普段なら机の上に数冊の書籍が置かれているのだから!

 一人分の宿題だったら放っておいたって八月三十一日の自分が責任を持つものだから良いが、合同だとかグループだとかでやれと言われてしまうとサボるだなんて気が引けて仕方がない。私は小心者なのだ、笑っておくれよ。


 黒いボブカットの髪を揺らして、花江由希子はファイルから用紙を取り出した。

 あ、新しいヘアクリップだ。彼女の髪に留められたライトウッドのそれを私は見た。ユキコちゃんは私の視線に気付いたのか、クスリと笑いながらヘアクリップをでなぞった。

「担当ね」

 先生から五班に返されたグループ研究のテーマ報告書に目を通したユキコちゃんは、分野担当の確認をする。

「確か、地形はテツ君と私」

「おう!」

 ユキコちゃんの正面に座る呼乃邉哲は元気ある返事をしたが、私達はシィと口元に差し指を立てる。こんな必死こいて小さい声で話すのは、此処が図書館というのもある。しかし、静寂が止むまでカウンターに常駐するブリザードが息を潜めているのを知っているのだ。

 私達がカウンターの方に視線を寄せると、テツ君は分かったらしく、「アレが噂のブリザードか」と呟いていた。おい、思っていても言うんじゃないよ! 当人に聞こえちゃったら、夏だってのに氷像ができあがっちゃうじゃないか‼︎


 コホンと咳をしてユキコちゃんは、「で……」と場の空気を立て直す。

 私はユキコちゃんが手に持っていた用紙を見た。確か、私達は……。

「『れきしはコウヅキと私だって』」

 指文字混じりの手話を形作り、コウヅキの手に伝えた。

『分かっている』

 彼はフンッと鳴らしながら、腕を組んだ。相変わらず、どことなく偉そうに振る舞っている。


 それぞれの担当区分を確認し終えると、テツ君とユキコちゃんは顔を寄せて静かに話し出した。

「でも、全体的に話し合ってからよね」

「それもそうだな」

「月獅子伝説と祭りと地形か……どうする?」

 なかなか良い雰囲気ではないか。何時も私とコウヅキとの仲を事実とは無縁の関係性に仕立て上げようとするユキコちゃんに、一つ言いたいものである。アンタ、テツ君とお似合いよ……。

 一人でムフフと笑っていると、地形図に取り組もうとしていた二人が何か不審者でも目撃したかのような反応をして来たのだ。おい、誰が不審者Fだって……⁉︎ いや、この二人には私の嫌な二つ名はバレていない、大丈夫、ダイジョブ……。


 一人で百面相していると、突然、肩をポンッと軽く叩かれた。

『おい、ワカバ』

「『何よ、コウヅキ』」

 コウヅキはこちらに顔を向けた。やけに真面目な顔をしている所為か、ドキリとする。普段、皮肉めいた言葉を突き付ける彼は、含めた笑みを讃えたイジワルな表情を鳴り潜めれば、本当に絵から出てきた人だと錯覚するくらい美しい。コイツそういう所を分かっているのかしら……、そう思いつつ、私も彼に向かい合った。

『れいのでんせつ……』

「『つきじしでんせつのこと……?』」

 私達が取り組むテーマはズバリ、トビタツ市においての月獅子祭。

 悪しき物怪を神の使いの獅子が月夜に舞い降り倒した、という風にここいらでは伝えられているらしい。トビタツ市に祖父母が住んでいる子なら大抵はそう教えられる。最も、コレは随分と端折ったヤツなんだけど。

『そうだが、違う』

 眉を顰めたヤツの顔は、ちょっとキマすね、頭に。何時も、違うだのそうではないだのと口々と訂正してくるのだ、コウヅキのヤツは。最も、私が知らなかったとか考えもしなかったとかの思慮の足りなささの所為なんだけど。でも、コウヅキって、手話でなくても手書き文字でも話せるが、聞き役の場合が多いというか、寡黙なのだろう。

 私は、コウヅキが何を言いたいのか分からなくて「『何?』」と、胸前で右手人差し指を立てて左右に振る。

『つきじしでんせつのまつり、やってるのそのじんじゃだけかってことだ』

 私はハッとしたのだ。

「『ちょっとまってて!』」

 丁度、パンフレットを拝借、と言っても自分の家の玄関先に置いてあったものだが……、役に立つかと思って鞄に忍ばせていたのだ。ガサガサとプリント入れのファイルから出して、主催から綴られる文字を目でなぞる。

「あ、ウバネ神社の名も入っている!」

 コウヅキが言いたいことの趣旨が一つあらわれ出てきたのだ。


 私は、驚きながら、椅子を引いて立ってしまった。

 するとすかさず、音もなく真後ろに来ていたのだ。

「図書館ではお静かに」

 例の図書館の重鎮、ブリザードが……。

「……すみません」

 綺麗だが、和服の似合いそうなというよりも、モノクロテレビ時代に作られていた怪談とかに出て来そうな顔付きをしている女性が、後ろに佇んでいる。私は声を静かにするようにしながら謝った。

 自分はドジしてしまったことを、口が滑らせてしまうというヘマをしがちだ。私は、何事もなかったかのようにスッと座った。

 数秒くらいは経ったと、コウヅキの方を見ようとした。だが、隣の方にいるユキコちゃんとその真向かい側にいるテツ君がグフグフと笑いを抑えていた、というのはきっと勘違いだ。


 またコイツはと、そんな呆れの目をまた向けられたくないので自分がドジったことは黙ったまま、コウヅキが伝えようとしたことに目を向ける。

『ふくすうのじんじゃの名があるだろ』

「『あった、あった!』」

 彼は視力にハンディキャップがあるけれど、千里眼ではないかと思う時がある。

 でも、きっと、それは違う。

『ぶんぷずは、しゅうへんをわりあてれば良い』

「成程!」

 コウヅキは知ろうとし続けているからだと思う、私は心の中で独りごちた。側から見れば勉強熱心な優等生だけれど、その根底は負けず嫌い。それが、コウヅキだ。


 私は、地形担当の二人組に、思い立ったら吉とばかりに素早く言う。

「コウヅキが言ってた、取り仕切っている神社の周辺を調べれば良いって!」

 それを聞くと、テツ君は目をパチクリとさせた。

「そうか、確かトビタツ市の神社が協力して、祭りをやってんだって……爺ちゃ……」

 テツ君が言いかけようとした時、ガタッと音がしたのだ。

「テツ君‼︎」

 珍しく目を釣り上げているユキコちゃんを見て、ビクリとする。何だ何だ、何事だ?

 ユキコちゃんの身を乗り出した形相を見たテツ君は、やべっと言いつつ。

「いや、その、誰かから、そうだ誰かから聞いたことがあったんだった」

 とやけに滑らかなものの言い方ではないなと思いつつ。

「へぇ、そりゃ、誰に?」

 そう尋ねたら、またもや。

「ハルルちゃん‼︎」

 ユキコちゃんに静かな声で怒られたのである。何故に。

「取り敢えず、山車とかが練り歩くルートも込みの地形図を作るか」

「そっ、そうね」

 何かを誤魔化す勢いよろしく、テツ君とユキコちゃんは下書用の地図をノートに描き始めた。何故に。


 あの二人の態度は怪しさ満点のモヤモヤとした何かが残るけれど、コウヅキの意見でグループ研究が好調に成り行きそうだ。





 私はニンマリと笑いながら、コウヅキの手に手話を綴る。

「『アンタ、凄いじゃない』」

 右手の親指と小指を立てて、親指の先を鼻頭に当て斜め前へとあげる。『凄い』の手話だ。

 コウヅキは目を円くしながら、また何時もの顔に戻した。

『データとして、ひつようなことを言っただけだ』

 そうサラリと彼は伝えて来た。


 けど、でも、それこそ違うじゃないか。

「『コウヅキ、やっぱ凄いよ』」

 私は、何度も繰り返そう。意味がちゃんと伝わるまで。


 彼は眉を顰めた。

『だから……』

 何度も同じことを言わせるな。

 そう形作ろうとしたコウヅキの手に触れた。

「『そうやって、かんがえつくほど、勉強してきたんでしょ?』」

 ゆっくりだけれど、ちゃんと伝わるように。

「『だから凄いなって思ったの』」

 皇月レノンの手が、その時、初めて暖かく感じた。








 夏休み意外と面倒なことがあるけれど。

 実は楽しいこともありまして。

 新しい発見だとか、頑張ろうと思う気持ちだとか、何時もと違う自分になれるとか。


 たくさんあるのだ。

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