第十三話 大きな

 さて、ユキコちゃんがテツ君の事件に関わっている間。

 いつの間にか七月の半ば。

 ハルルちゃんもコウヅキと過ごしているわけでして。

 







 入道雲が空に山々を作り出しているのを窓から眺める。


 何処のクラスもそうだろうが、我が四年三組も浮き足が立っている。だって、明日から夏休みなのだ。ゲーム、キャンプに、レジャープール、遊園地、海外旅行だってあるかもしれないし、きっと面白いこともあるかもしれない。毎日の勉強から抜け出せる開放感によって生み出した高揚が児童の中を取り巻いているのを、皆知ってのことだろう。宿題なんてものは頭に入ってないのも、知ってのことだろうが。

「夏休みは長い休暇のことだ〜」

 間延びした話し方をする、秋柊一、四年三組の担任だ。夏の盛りになって、余計ダレているように見えるが、いつもの調子を変えない教師である。

 そんなアキ先生が当たり前なことをおっしゃるものだから、所属するクラスの児童はヨッと言うもので。

「そんなん三年半も学校に通っていれば誰にだって分かりますよ」

 クラスきってのお調子者が切り込むと、そうだそうだと、皆が呼応し出すのだ。

 囃し立ての群生地と成り果てた教室に、アキ先生は指を挿す。

「そこ〜、ヤジ飛ばさない」

 担当教諭の注意という技が発動したものだから、ザワザワとしながら静かにしようとしだすが、これが終われば夏休みという気分の上々っぷりが終わりそうにない。





 私は何となくだけれども、アキ先生の話も、クラスメイトが織りなす騒めきも、耳に入らなかった。若葉春流はボーとして席に座っていた。


 最近、同じ班で後ろの席の二人組が気になるのだ。

 方や、花江由希子、私の友人。噂好きで色々なモノを仕入れては真実に繋げてしまうという、大人しい雰囲気に反した特技があるユキコちゃんが、何時も教えられる側の私に聞いてくるのだ。

 もう方や、クラスの元気印こと呼乃邉哲。ユキコちゃんが追求している相手らしい。私は、テツ君を怪しいと思ったことはないけど……。

 何があったのか分からないけど、私とコウヅキのことについて揶揄う余裕は無くなっているらしい。きっと、私達のこと他人事に面白がられる立場では無くなっていくに違いない。それはそれでホッとするやら、気になるやら。


 それに、今年度は隣のアイツがいる。

 私は右隣にいる彼をチラリと見た。

 稲穂色にもみえる見事な金髪もあれば青い瞳だって勿論なことにもある美少年が鎮座している。私は思った、めっちゃ眩しい‼︎

 そう彼が、皆の知っての通りの皇月レノン。誰が見てもイケメンだと評される御尊顔、その頭の中にあるものは辛口批評家よろしくの衝撃性を誇っているのだ。彼のイメージ像を崩壊するほどの嫌味な口ぶりを発揮すると、大抵あんぐりと閉口できなくなってしまう。

 そんなコウヅキの手厳しいツッコミの嵐に遭っているのは主に私なのである。まぁ大抵、指文字混じりの手話で話しかけて、私がドジして、コウヅキが冷静にツッコむというオチがいつの間にか出来ていまして。

 そう過ごしていると、変わりない日常になっていくのだ。

 そして何時もツーンと無表情な彼が、時々、本当に稀だけど笑うと、何故だかドキドキと何かが高鳴るのだ。それは何かって? 何が高鳴っているんだって? そんなの私だって知らない‼︎


 それを知ろうとしたら、斜め先に座る叶愛花に、申し訳が付かない気がしてならないのだ。

 容姿だと特徴だとかの目に映るステータス以外で、本気にコウヅキのことをマナカちゃんは好きになったのだ。彼女は、その思いを私に打ち明けてくれたのである。

 学年きっての美少女で、彼女のファン界隈では天使のマナカちゃんと呼ばれている。そう、落ち着いていて、優しく、微笑みを絶やさない彼女。そんなマナカちゃんに、情熱的に誰かを想う心があるだなんて思わなかったのだ。

 だから、私の心の奥にある燻った感覚など忘れなくてはならない。名称なんてつけられないままでいいのだ。


 解放される、と私はワクワクしていたのだ。

 

 楽になれる気持ちいっぱいで。私はメモ帳を一枚破ってポイっと右隣に渡す。

[こうづきのにもつ、すくないね]

 小さい用紙に鉛筆で凸を作って打った点字だ。ちょっと、おざなりかもしれないが、ちょっとしたおしゃべりみたいなものだし、手話をすると目立って「授業中だぞ」と怒られる。最近、編み出した方法なのだ。

 指で点字をなぞった彼は、素早く打ち込み、ソッと渡す。

[あたりまえだ、けいかくてきにもってかえったからな]

 紙を広げると、自慢げに書かれたそれが目に映った。実際、コウヅキの机の上には、先生から渡された夏休みの宿題とプリントしかない。実にスッキリとしている出立ちだ。

[それにFみたいに、さいごにおおにもつ、のこさない]

 最後まで読むと、ゲっとなる。

 私のことを性懲りも無くFと呼んんでいることもそうだ。不審者をローマ字にした時の頭文字がF……。それを辞めてくれと言っているが、ヤツは聞いてくれないのだ。まぁ、助ける為とはいえ、あんなことをした手前なので大手を振って言えないのだが。

 それに加えて、どうして分かったのだろうか。

[なぜ、それを?]

 私の席には長期休暇前の配布物以外にも、持ち帰り損ねてしまったもので溢れている。ギリギリ鞄の中に入る道具箱にリコーダー、何故ここにいまだあるのか分からない地図帳。中でも大物といって良い代物は。ケミカルチックな色に染められているプランターからニョキニョキ生えているプチトマトだ。

[うでにあたっている、うでに!]

 返ってきたメモ用紙に書かれた点字を読むと、コウヅキの腕を見た。私の机に置かれたプチトマトの苗から生えた枝がコウヅキの方へとたむけていた。

[ごめんて]

 私はポツポツと点字を打って、彼の腕に当たっているプチトマトの苗をずらした。


 スペースが余りない机の上でゴソゴソとプランターを移動させていたら、雪崩が来たのである。プリントにペンケースに連絡帳。大掃除したばかりの床に落ちていったのだ。


 一瞬、シーンとしてしまった教室。


 一学期最後だって言うのに……とアキ先生はぼやきながら「先生の話を真面目に聞きなさいよ」と注意した。

「……すみません」

 皆に笑われながら地べたに落ちたものを拾い集める。え〜と、生活習慣のお便り、鉛筆、マーカー、夏休みの友は友ではない敵だ。

 そう落としたものと睨めっこしていると、誰かが机の上から音がした。

『ころがってきたぞ、これ』

 振り返ってみると、見えたのは白い手。コウヅキだ。左手に地図帳を持った彼は、ん、と差し出していた。

「『ありがとう』」

 左手の甲を上にして右手を垂直に立てる。ありがとう、という意味の手話だ。

 コウヅキの手に伝えた後、彼はフンッと鼻を鳴らした。





 やれやれという風に肩を上げたアキ先生は、何て言おうとしていたかと傾げながらも思い出したらしい。

「で、最初は有り余るくらいにあると思うわけだが、だんだん日が経つと、今日は半分も、今日で後十日、……そして今日が最終日‼︎」

「ヒィ‼︎」

 何て嫌なことを靴に出したのだろうか、児童は恐怖に慄いた。いや、生徒思いの先生なら言うだろうが、一言に、それも妙な具体性を付け加えたのだ。毎年毎年、現実から目を背けているタイプの人間にはブッ刺さるわけでして。

「恐ろしいことを言わないでよ、先生‼︎」

 充分に効き目が出た所でアキ先生は、「……てな具合になってしまうからな」とコホンと咳払いをする。

「だから、意外と短いこの夏休みを意義あることに使え」

 そう続けるアキ先生に、疑問を寄せる。

「例えば、どんなことですか?」

 思わぬ問い掛けに、アキ先生はウ〜ンと唸り、アッと思いついたらしい。

「今しかできないことだな」

 自分で言ったことをウンウンと納得しつつ、アキ先生はしたり顔だ。

「今のアタシ達にしかできないこと?」

 首を傾げた児童等は、それはどんなことだろうかと想像する。大掛かりな実験とか? 冒険とか? この街に眠っている宝探し? でも、映画ではないのだからあるわけがないのだ。それらはできることではなく、絵空事なのだ。

 特別な何かが未だ知らないクラスメイトは、お手上げ状態だ。

 

 アキ先生は、そんな私達を面白そうにクックックッと笑いながら言うのだ。

「嗚呼そうだ、大人になったら夏休みなんてものはないぞぉ〜」

 大人になるなら、自由に何でもやれるだなんて思っている児童には聞きたくない台詞ナンバー1。

 夢の一つをパラりとヒビができていくのを感じながら、「えぇ〜イヤだなァ」とブーイングをする。

「時間がある時が挑戦しやすいんだからな」

 そう先生は言い終えると、手を三回軽く叩く。お話は終了。早く帰れ、の合図だ。





 私達に長い休みが下されても蝉の音は止まない。太陽がウンウンと言うくらい眩しく溶けてしまう程に暑くなるのも止まないのだ。

 汗が流れて、私は拭う。

「全く、もう! なんて情ってものがないのだろ‼︎」

 私のこの荷物まみれの状態に誰もが引いていることに違いないが早々と帰って行くなんてと、嘆く。

 いつも一緒に帰る友人のユキコちゃんは、ちょっと愛好会の用事があるからとか言ってたし。何時も面白いことに首を突っ込むテツ君でさえ、私が呆然している姿をゲラゲラ笑った後、良いモン見れたわオレ部活あるんでと、行ってしまった。

「いやさぁ、手伝って欲しいとか図々しいことを願おうとかしようともしてないのに!」

 重たい荷物を背負って運ばなくてはならない私は、何時もみたいに一緒に帰りたかっただけなのに‼︎

 強いて言うならば、ちょっと応援して欲しい位なことなんだけれども……。


 鞄の中にできる限りのものを詰め込んでいると、コウヅキから話掛けられた。正確には、肩をポンッと叩かれたのだ。

 右隣の席には、コウヅキが座っていた。

「『コウヅキ、まだのこっていたの?』」

 こんなことを言ったのが久しぶりな気がする……。あ、五月にコウヅキと学校を探検した時に近しいことを言ったんだっけ。

『むかえがな……』

 これ見覚えがあるなワカバ、彼はフッと笑った。コウヅキも同じことを覚えていたのかと、私は耳が熱くなった。


 私の習得度に合わせて彼は手話を綴った。

『先生がいってたこと、わかるか』

 コウヅキは何か含んだかのような表情をしていた。何時もと変わらない顔だが、何処か違うような気がする。妙に大人びた表情をしていた。

「『何が?』」

 私は、彼の不思議な雰囲気は、他の誰とも出会ったことがないなと思ってしまう。何でだろうか。

 彼の手に、手話を伝える。


 彼は、ゆっくりとした手付きで。

『いまにしかできないこと』

 そう指文字を紡いだのだ。


 私は、彼が伝えてくれたことに、頭を悩ませた。

「『ん〜、わかんない』」

 変に着飾るような見栄を言うよりも、自分が感じたことを言った方が良いのではないかと思ったのだ。自分で言葉に出したものが何なのか分からない癖に、大きいことを言うのは空ぶっているから。

「『なんかね、しょうせつみたいなぼうけんとか、おもいついたけど』」

 今にしか出来ないこと。きっと特別なものに違いない。自分の限りある時間を一心に使うのだから、大袈裟な宣伝が回る映画みたいに始まるものだと思えてならないのだ。


 そんな私に、コウヅキは伝える。

『ワカバらしいな』

 フンッ、私らしいですってよ奥様!

「『げんじつてきではないでしょ?』」

『ふぃくしょん、だから』

 私は、こんなことしか考えつかないと自重した。陳腐なことしか出て来ないんだから、コウヅキとはえらい違いなんだろうな。


 息を吐いた私は言いながら指文字を作る。

「『たぶん、きょねんのくりかえし』」

 凄い夏休みなんてできっこないもの……。自分の情けなさにガックリとする。


 彼は私が綴ったことに、目を見開いた。青い目が輝いていた。破顔しているわけでもないのに、何で宝石みたいにピカピカしているのだろうか。

『おまえもなのか』

 何故、何時も過ごし方が変わらない夏休みのことに、コウヅキはこうも驚くのだろうか。不思議である。


 彼は言うのだ。

『でも、ちがうぞ』

 私は、ちょっとだけ自分が否定された気がした。

『すくなくとも、僕はちがう』

 自分自身が送っていく夏休みが否定されている。そう思うとやるせなかった。


 私はムッとしながら指文字混じりの手話を綴る。

「『それって、どういういみよ!』」

 鼻息荒くなってくのを感じながら言い放った私。


 そんな私に、皇月レノンは。

『たのしみだな、なつやすみ』

 笑ったのだ。


 ポカンとしながら、私は彼を見た。


 こうして、私、若葉春流は夏休みを迎えた。








 プチトマトの黄色い花が待っている。

 入道雲が今か今かと。

 油蝉も命の限りに。

 夏の盛りが訪れることを。

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