第102話 おっさん、迷宮に挑む⑨


「――もう気付かれた!

 くそっ、段取り通りにいくぞ!」

「「「了解!」」」


 草原に身を伏せて作戦を練る俺達だったが、詳細な打ち合わせをする間もなく魔狼フェンリルがその巨体を起こす。

 術式も使わないというのに多人数の隠密行動は敵対意志があると見做されたか。 

 仕方ない、ぶっつけ本番になるが――ここは仕掛けるのみ!

 先手を打って出たのはフィーナの法術だ。


「いと高き偉大なる主に願い奉ります。

 敬虔なる使徒に静寂の恩寵を――主神の奏で手【サイレンサー】」


 祈りを捧げる事により神の寵愛を具現化する祝祷――法術。

 フィーが願ったのは空間そのものに作用する、音を自在に操る法術である。

 教会などの建物内で、どこからか神聖な調べが流れているのは、パイプオルガンの名手が不眠不休で演奏している訳じゃない。

 全てはこの恩寵の賜物だ。

 神に願い出て天上の調べを少しだけお恵み頂くのである。

 あるいは説法の際に民草の野次やざわめきを静まらせ、隅々まで声を届かせる。

 しかし――戦闘に出る法術遣いは物騒な考え方をする。

 音を自在に操るということ――それはつまり魔術の施行に必要なコマンドワード等を封ずることが出来るだろう、と。

 これがいかに重要な要因かは術者にしか分からない。

 対魔術戦は先読みと手札の交換のし合いだ。

 相手がこう来たらこう返すと、常にルールを構築し押し付け合う。

 フィーが仕掛けるのはルールそのものの、盤面の崩壊である。

 空間自体に作用するその奇跡は個の抵抗力など微塵も介さず世界に反映される。

 要は避けようのない致命的なデバフだ。

 だが、弱点もある。

 強大無比なこの法術――効果範囲は自身の触れている箇所から、20平方メートルしか作用しない。

 いや、主神の奏で手だけではない。

 法術の多くが基本接触に近い距離でないと発動しないものが多い。

 その不利を補うのがボルテッカ商店で購入した【銀冠スィルベンズ】の効果だ。

 フィーの額に輝くこの銀冠の効果は術式対象距離の拡大。

 余計に疲労するというデメリットはあるものの、視界にあるもの全てを対象に取れるというのは計り知れないアドバンテージだ。

 現に俺達の行動に対し、遠吠え【ハウリング】系の攻撃を仕掛けようとした魔狼が困惑した様に喉を鳴らす。フィーの視界にいる限り奴は一切の音を立てられない。

 しかし敵もさるもの。

 すぐさま思考を切り替えるや身をブルブル震わせる。

 次の瞬間、フェンリルを中心に巨大な氷の嵐が精製され始めた。

 奴独自の固有能力である【天候操作】だ。

 術式ではなくまた詠唱をしている訳でもないのでこの静寂下でも発動する特技。

 猛烈な突風を伴う氷の嵐は体温を瞬く間に奪うだけでなく人間の肌などズタズタに切り裂き命をも奪うだろう。

 

「吹雪【ブリザード】を超える氷嵐【アイスストーム】がくる!

 俺の背後に退避しろ!」


 険しい顔のまま奴を視界に捉え続けるフィーと術式を紡ぎながらリアが頷く。

 そしてフェンリルから放たれる氷嵐。

 先日のアークメイジの放った吹雪の比ではない。

 もはや雪崩にも近いその絶望的圧力に対し俺は静かに樫名刀の柄に手を添える。

 タイミングが全てだ。

 しくじれば俺はまだしも背後の二人の命はない。

 極度の集中のさなか――時間がゆっくりと流れる様な知覚能力の拡大。

 ――ここだ!


「魔現刃――【裂空】!」


 魂魄の気合いと共に抜き放つ疾風の斬撃。

 それは真っ向から氷嵐にぶち当たるや紙を裂く様に綺麗に断ち割っていく。

 まるで俺達を避ける様に二手に分かれた氷嵐は、雪の結晶と氷の彫刻を大地に刻みながら立ち消える。

 ふう~どうにかうまくいったか。

 心臓がバクバクいってるのを強引に呼吸で抑え込む。

 俺の樫名刀に眠る退魔の力――

 その力を自在に操れる事を自覚したのは今朝である。

 慌ただしい朝の準備中に刀に語り掛ける様にして抜き放った結果、開眼した。

 任意的に発動させる実戦お試しが階層主クラスの固有能力とは我ながら無茶ぶりが過ぎるが――どうにか賭けには勝ったようだ。

 今までの魔現刃に退魔の効果を上乗せする。

 従来の戦いにこれを組み込めばまた新しい戦法を生み出せるだろう。

 感慨深い想いに酔い掛けそうになるが、今はまだ戦闘中だ。

 まず魔狼を斃す事に集中しなくては。

 俺はずっと待機していたリアに指示を飛ばす。


「――リア!」

「ん。示し狂い乱れよ元素――

 万能たるマナよ、我が敵を包む障壁となれ――」


 無詠唱を捨て韻を含んだリアの魔術が発動する。

 歯茎を見せ嘲る様に眼を細めるフェンリル。

 傲慢にも取れる奴の態度。

 それはある意味当然の成り行きだ。

 奴の体毛はしなやかでありながら名剣のごとき鋭さを持ち、並半端な攻撃を弾く強靭な装甲だけでなく炎などの弱点から身を護る鎧にもなる。

 人間程度の術式などいかようにも耐えれると思ったのだろう。

 だが、幾度も言うがそれは驕りだ。

 奴自身は知らない――自らの弱点を思い知るがいい。


「キャワン!?」


 もし音が聞こえていたらそう甲高く叫んだであろう奴の悲鳴を幻聴する。

 何が起こったか分からないとでも言いたげに、駄犬のごとく周囲を転げまわる。

 その巨躯は無数の泡に包まれていた。

 リアの生み出した――界面活性剤系酵素によって。

 魔狼の体毛が強靭なのは、体表から生み出された脂が長い年月を掛けて蓄積し膠のように固まった結果生まれた産物だ。

 だがリアが魔導学院で学んだ化学錬成系術式はその脂を速やかに分解――逆に有害な成分へと変容させる酵素を生み出す。

 まさに化学の生み出した猛毒。

 神経毒などに耐性がある奴も初見の毒には対応できなかったようだ。

 それでも命を奪うまではいかない。

 フェンリルは憎々しげに立ち上がると俺達に目掛け復讐の突進をしてくる。

 だからこそ気付かない。

 奴の鼻を誤魔化す為、俺の【こんなこともあろうかと】で刺激物を撒き続け――

 ずっと匂いごと隠された伏兵の存在に。

 暗殺者のように突如死角から飛び込んできたシアの存在に、奴は最後まで気付かなかっただろう。

 狼といえど犬と構造は一緒、つまり死角も同様なのだ。

 奴の死角――それは長い鼻。

 目が側面についていることと、鼻が邪魔になることで顔の正面下が死角になる。

 だからこそ地面に伏せ、腕の力だけで這い寄り近付いていたシアの存在に気付かなかった。

 そして何より自慢の体毛が酵素のせいでぐにゃぐにゃに軟化していた事にも。

 あとは簡単だ。

 俺達の中でも最高の攻撃力を持つシアの狙い澄ました一撃が顎から突き刺さる。


「魔法剣――」


 すかさず放たれる雷撃系の魔法剣。

 魔狼の体内で発動されたその効果により、奴の体液は瞬時に沸騰――絶命する。

 しかし油断はせずフェンリルが動かない事を確認。

 野生動物は心臓が止まっても数秒は生きている事がざらにある。

 こいつもその例外かもしれない。

 警戒したまま10秒が経過し――やがて風化していく魔狼の巨体。

 どうやら本当に絶命していたらしい。

 顔を見合わせ安堵する俺達。

 終わってみれば何ともあっけない幕切れだった。


 

 

 


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