つばさにのせて

くーこ

1話完結

 ピピピ、ピピピ。目を開けると見慣れた天井が見える。寝ぼけながら手探りで目覚まし時計を探し、私はやっとのことでそれを止めた。むくりと起き上がった私はそのまま重い足を洗面所へと運ぶ。……鏡に映った不機嫌そうな顔が、私のやる気を一層削いだ。歯を磨き、顔を洗った後、革紐を二本重ねて適当に髪を結った。毎日朝ご飯は時間が無くて摂らないのだが、今日は時間があるし食べることにした。冷蔵庫にあった賞味期限の分からない食パンを焼き、いつ食べてもいいように買っておいた即席スープを作った。温かいスープを飲んだ途端、指先までぬくもりが伝わり日々の疲れが少し和らぐ。いつも通りスマホで天気を確認する。11月3日、午後から雨だ。私は折りたたみ傘をカバンに入れる。リビングの壁掛け時計の短針が「7」を指しているのに気づき、私は急いで玄関に向かった。ドアノブをひねると私の目に大小様々なビルが立ち並んだ、都会の街並みが映る。上京して2年半、このマンションから見える風景にも慣れてきたーはずだが、なぜか今日はその景色が目に止まった。いや"景色”というより”景色の中の一点”かもしれない。素晴らしく綺麗な白い鳥が目に止まったのだ。しばらく時間も忘れて見とれていると、同じマンションの隣人から

「あの〜……すみません、通ってもいいですか?」

と声をかけられ我に返った。

「あ、すみません。すぐどきます。」

私は足早にその場を去った。


 電車は嫌いだ。なんせ電車トラブルなんてなおさらだ。今朝は人身事故でもあったらしく、電車が遅延していてより一層駅のホームが混んでいた。

「まもなく電車が参ります〜黄色い点字ブロックの内側までお下がりください〜本日、人身事故の影響で車内大変混雑しております〜中程までお進みください〜」

おなじみのアナウンスとともに電車がやってきた。うわ、めっちゃ混んでるじゃん最悪、と内心思った。列の後ろの方にいた私がぎりぎりで電車に乗り込むと、後ろにいた中年男性が無理やり車内に乗り込んできた。車内の人もこれ以上詰められない、というような怪訝な顔で、私は自分が申し訳なくなった。なんとか扉はしまったのだが、かなりきつい。男性が斜めにして持っている傘がずいぶんと場所をとっていたのもあるだろう。あまりの窮屈さで私は声をかけてしまった。

「あの、申し訳ないのですが、傘を…。」

男性はギロリと私を睨み、付けていたワイヤレスイヤホンを片耳外した。チッとかすかに聞こえるくらいの大きさで男性は舌打ちをし、その場はそれで終わった。次の駅まで車内ムードは険悪だったが、男性は次の駅で降りたため私はドキドキしていた胸をなでおろした。それにしても朝からそんな目に遭い、私の気分は一気にどん底に落とされた。

 やっとのことで会社にたどり着いた私はまたしても今日が最悪な1日になりそうな予感がした。今日の会議で使う、頼まれていた資料を丸ごと部屋に置いてきたのだ。どうして私はいつもこうなのだろうと、今朝悠々と朝食を食べていた自分を心の中で責めた。

「杉原さん、またですか?ほんとに頼むよ……。」

上司の呆れ声がオフィス中に響く。

「す、すみません。データはパソコンにあるので、いまからコンビニに印刷に行ってきても良いですか?部数は足りないかもしれないんですけど…なんとかします……。」

「なんとかなんとかって、だいたいさあ、杉原さんはいつもいつもー……」

その先の記憶はあまりない。とにかく上司に怒られ、会議も思うようにうまくはいかずいつも通りの残業で気付いたら夜の10時。大雨の中帰宅して、気づいたら部屋のベットで横になっていた。

「はぁぁー……、疲れた。」

疲れた。その言葉を噛み締め、心のなかで唱える。毎日毎日毎日毎日。繰り返す毎日、嫌な日常、報われない努力。人間に情なんてない。この世界にあるのは”冷酷”そのものだ。

「どこか別の場所で、人間じゃない別の生き物として、のんびり生涯を終えたい……。」

ぽつりとつぶやいた。ふっと、今朝玄関を出たときに見たあの美しい鳥を思い出す。白く輝くまるで光とでも言えようか。

「鳥なんてすごくいいんじゃない……?……大空に包みこまれて……」

ひどく疲れていたため、そのまま眠りについてしまった。


 朝日が眩しい。目が開けられない。私の部屋っていつもこんなに明るかったっけ?それに体が軽いような……。朦朧とした意識の中で目を覚ます。

「…?外…?」

気づいたら自分が外にいる。昨日の夜を思い出す。いや、私はたしかに家に帰った。ひどく疲れていてなにか考え事をしていた気がする。何を考えていたっけ?いやそんなことはどうでもいいのだ。私はなぜ自分が外にいるのか考えるのに専念することにした。今自分がいるのは川辺だった。私の住むマンションの近くを通る大きな川。眼の前に私の部屋が見える。ふと冷静になってよくよく体を見ると、妙に白い。というか、羽?それに足元には朱色の脚が見えた。白い体に羽、足元にはすっと細く綺麗な朱色の脚。

「まるで鳥じゃない!」

そう声に出そうとした瞬間、口からギィーという奇声を発していた。顔から血の気が引く。まさか、という思いで水辺に映った自分の顔を覗き込む。何がどうなっているのか、本当にわけがわからなくなっていく。『まるで”鳥”』どころでなく、『どこからどう見ても鳥”』である。そこに映ったのは白く、小柄で可愛げな鳥だったのだ。それも昨日の朝見たような。

夢だろうか、どういうことだ、と最初は考えていたが、そのうち理由なんてどうでもよくなった。夢だろうが現実だろうが、私は今”鳥”である。今だけでもあの忌々しい人間世界とおさらばだ! 朝苦しまぎれに起きなくても良いし、嫌な思いをすることも、上司に怒られることもないのだから。そう考えた瞬間、これは神様が私にくれたチャンスなのではないかと思った。こうなった以上、鳥生活を楽しむことにした。


 鳥といえば大空を舞うように飛ぶ姿。私は羽を広げてまず空を飛ぼうとした。なかなか最初が難しい。汚れ一つない白い羽を大きく使い、ボートをオールで漕ぐように空気をうまくかいてうまく風に乗れたとき、私は空にいた。瞬間、何もかも忘れるようなほどの快感に陥る。全身で感じる心地よい秋風。下には普段自分がいる世界、人間の町並みが見えた。自分が人間のころは思ったこともなかったが、こうして鳥になって空から見ると、人間の世界も綺麗だな、なんて思ったりもした。

 少し空の旅を楽しんだ後地上に降りてみると、そこはよくある住宅街の公園だった。ふと、6歳くらいの一人の小さな女の子が目に留まる。ベンチに座ってうつむいているのだ。私はその子に近づいた。

「……鳥さんこんにちは。」

……なにか嫌なことでもあったのだろうか、その子の目の周りが心なしか赤く感じた。

「お話聞いてくれるの……?」

女の子は少し泣き出しそうになりながら話し始めた。

「……あのね、ゆきのおばあちゃんがね、今日にゅーいんしちゃったの。こーけつあつ?っていうびょうきで倒れちゃったんだって。ゆきね、今すぐお見舞いに行きたいけどおかーさんはお仕事で、一人じゃいけなくって。それでね、お手紙おばあちゃんに書いたんだけど、どうやって届けたらいいかわかんないの……」

なるほど、それでこんなに悲しそうな顔をしてたのか。それならと私は女の子と会話をするかのように、その子の持っていた手紙をくちばしでつついてみる。

「……もしかして、持っていってくれるの?」

頷くように見つめ返す。

「鳥さん……ありがとう、あそこにみえるおっきなたてものの、五階にいるの、おばあちゃん。」

ふわっと、すぐに飛び去った。


 ゆきちゃんのおばあちゃんは思いの外すぐに見つかった。おばあさんのテーブルの上に写真が飾ってあったからだ。

「……あら、綺麗なユリカモメ。久々にこんな綺麗なもの見れたわ、ふふ。」

私はちょっと誇らしげになりながら、口にくわえていた手紙を差し出した。

「…あら、なにかしら……私に?まあ、ゆきちゃんからだわ!」

おばあさんは嬉しそうに何度も何度も手紙を読み返す。私は最後までそれを眺めた。

「かもめさん、どうもありがとうね。ゆきちゃんにお礼言っといてくれるかしら。ゆきちゃんの好きな飴ちゃん、届けてほしくってね。」

と、テーブルにあった飴を二つ渡した。

「一つはかもめさんへの軽いお礼よ。」

とおばあさんは可愛らしげにウインクをした。私はゆきちゃんの元に向かった。

 「鳥さん……!なあにこれ、あ、飴だ!おばあちゃんから?!」

私はまた、”同意”の意味で見つめ返す。

「おばあちゃん、元気だった?……よかったぁぁ〜。」

女の子はみるみる元気になった。その顔を見るだけで、自分まで心が和らいでいくのがわかった。

「鳥さん本当にありがとう!ゆき、鳥さんのこと忘れないから!」

そういって少女と別れた。

 夕暮れ、ビルの屋上で街を見下ろしながら、私は考えた。人間の生活は嫌なことだけじゃなかった。生きていると、あんな心温まる人と、それをとりまく心温かいエピソードもある。”冷酷”なんかじゃない、人の世界は光で満ち溢れている。光があるから、影もある。自分は大切なことを忘れていたんだって。そう思った途端、私は白い閃光に包まれた。


 ピピピ、ピピピ。目を開けると見慣れた天井。私は勢いよく飛び起きる。も、戻った……。いつも通り支度を済ませると、マンションの扉を力強く開けた。また、いつも通り都会のビル街が目に映る。ふと、あの白い鳥が見えた。たしかー

「ユリカモメ。」

呟く。鳥は今日も思いのまま、心地よさそうに飛んでいった。どこまでも、どこまでも、

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