一八章 そんなに心配するなんて……

 そうして、充分じゅうぶんな量の『商品』ができあがると、ふたりは下水道を通ってまちに向かった。頭からすっぽりシーツをかぶって姿を隠し、大きな三つの袋を担いでいる。

 袋のうちひとつは中身がいっぱいにつまってパンパンにふくらんでいた。ひとつはぺったこんで、最後のひとつはなかのものがなにやらモゾモゾと動いていた。

 ふたりはシーツに隠された顔をこれから起きることへの期待に輝かせ、下水道のなかを駆け抜ける。

 あみのように複雑ふくざつに入り組んだ下水道もふたりにとっては馴染なじみの場所。どこをどう駆けようと迷う心配はない。まちがいなく目的地につける自信があった。

 目当ての場所にたどりついた。

 ハシゴをのぼり、マンホールのふたをそっとあげる。外の様子をうかがった。ニンマリした。予定どおり、マーフィの店のすぐ裏手うらて路地ろじだった。

 ふたりはいそいそと下水道からはいだした。辺りの様子をうかがいながら路地ろじに隠れるようにして店に近づく。

 ――う~、ドキドキする。

 エルは緊張に身をふるわせた。小さな体をギュッとちぢこめる。

 これから行なうことは日々、冒険を重ねてきたエルにとってもはじめての体験。今後の暮らしを左右する大仕事だ。そんな仕事の前となれば心臓がバクバク言うのも当然だった。

 でも、不安とか緊張とかではない。はじめての挑戦に対する興奮こうふんと、なによりも『楽しくてたのしくて仕方がない』という思いだ。エルの顔にはキラキラとこぼれるような笑顔が浮いていた。

 マーフィの店はまちの中心部にあるような大きな店ではない。町外れにあるこじんまりとした雑貨屋ざっかやだ。このあたりは人も少なく他に店がないので、この店だけで食料品から衣類、日用雑貨、ちょっとした薬にいたるまでなんでも売っている。

 いくら必要なものを手に入れるためとはいえ、まちの中心部を訪れるのはさすがにまずい。

 人通りも多いし、一族の人間もしょっちゅう、出入りしている。もちろん、自分の店のメイドたちだってこれらの店で買い物するのだ。

 それに、中心部の店は規模は大きいけどほとんどが専門店だ。食料品店は食料だけ、衣料品店は衣服だけしか売っていない。必要なものをそろえるにはいくつもの店をめぐらなければならない。いくつもの店をめぐればそれだけ発見される危険が大きくなる。

 その点、町外れのこの店なら人通りもさほどない。顔見知りが訪れることもまずない。そしてなにより、ここなら一軒の店で必要なものはなんでもそろう。

 店主のマーフィのこともよく知っていた。

 ダナ家やミレシア家の人間は普通、こんな町外れの小さな店などやってこない。でも、エルやニーニョは別。冒険の日々のなかでこの店にもよく顔を出していた。

 マーフィはふたりの父親ほどの歳のおじさんで、超のつくほどののんびり屋。しかもお人好し。やってくるといつだって歓迎してくれたし、売れ残りのお菓子を分けてくれたこともある。

 『マーフィおじさんなら、なにかみょうなことがあってもたいして気にはしないだろう』

 そう、ふたりの意見が一致したのだ。

 もちろん、それぞれの品揃しなぞろえや品質という点では中心部の専門店に遠く及ばない。高級品を必要としているわけではないからこの店に置いてあるもので充分なのだ。

 店の表側に近付くと話し声がした。

 マーフィおじさんが誰かと話しているらしい。エルとニーニョは耳をそばだてて盗み聞きした。別に声をひそめているわけでもないので簡単に聞きとれた。

 どうやら相手は下界げかいから商品を届けにきた商人らしい。

 空に浮かぶまちであるゾディアックには、住民全員が必要とするだけの食料や衣類を作るための土地がない。そのため、必要なものは大半が下界げかいからの輸入ゆにゅうなのだ。

 「はい、ご苦労さま。では、こちらが今回のお代」

 マーフィおじさんの声がした。それと硬貨こうかのふれあうチャリチャリいう音。

 「はい、たしかに」

 と、別の声が答える。

 商品を届けにきた商人の声だろう。マーフィおじさんののんびりした声がした。

 「だけど、あんたたちも、いつもいつも大変だねえ。あの長い坂をのぼってくるのは馬車だってつらいだろう?」

 「そりゃあ、まあね。でも、坂は一本道だからまだいいよ。問題はまち街道かいどうだよ。なんだってあんなにあちこち曲がってるんだい? まるで迷路めいろだよ。おかげでいまだに迷いそうになるんだ。どうしてもっと真っすぐな街道かいどうに作り替えないんだい? その方がずっと効率的だろうに」

 「まあ、この街道かいどうまちができたときからこうだからねえ。わしらも何度も『作り替えたらどうか』って言ってるんだけどね。ダナ家も、ミレシア家も全然、耳を貸してくれなくってねえ」

 「そりゃまたなぜ?」

 「敵襲てきしゅうそなえるため。そう言ってるよ」

 商人の驚いたような声がした。

 「敵襲てきしゅうだって? おいおい、冗談言っちゃいけないよ。空に浮かぶゾディアックのまちに攻め込む敵なんてどこにいるって言うんだい? たとえ攻め込まれたとしても坂を封鎖ふうさすればすむ話じゃないか。街中まちなかを通りにくくする必要はないだろう」

 「まあ、そうなんだけどね」

 マーフィおじさんは口ごもったようだった。でも、もともとがのんきでゆったりした口調なのであまりそうは感じられない。

 「ほら、このまちは外から攻められる心配はないけど、しょっちゅう、内輪うちわめしてるから」

 あっ、そうか、と、商人は声をひそめた。

 「あの両家の仲の悪さはこっちでも有名だからな。そう言えば今日はいつにもましてあちこちに騎士が立ってたっけ。なんか雰囲気ふんいきもいつもよりピリピリしてたみたいだし。なんかあったのかい?」

 「うん、まあ……」

 「なにがあったんだい?」

 商人は食いつくようにたずねた。大事な商売相手の異変は聞き逃せない、ということだ。

 マーフィおじさんはしばらく答えなかった。言っていいものかどうか迷っていのだろう。それでも、根っからのお人好しの彼には聞かれて答えずにいることはできなかった。

 「実はね。ダナ家とミレシア家の子供が行方不明になったとかで……」

 「行方不明⁉」

 「ああ。なんでも、ダナ家の女の子とミレシア家の男の子が同じ日に家のなかからいなくなったんだって」

 「家のなかから? 家出でもしたのかい? それともまさか、さらわれたとか?」

 「さあね。くわしいことはわからないよ。とにかく、その日以来、騎士団が躍起やっきになって捜しまわってるんだ。ほら、あんなポスターまであちこちに張ってまわってね」

 「ああ。あの子たちか。そう言えばここにくる途中でもあちこちで見かけたっけな。しかし、見ればまだ一〇歳ぐらいじゃないか。行方ゆくえ不明ふめいなんて親御おやごさんたちはさぞ心配してるだろうな」

 「そりゃあそうだよ。もし、自分の子供がいなくなったらと思うと……」

 マーフィおじさんの声がふるえた。

 「うわさじゃあ、おふくろさんなんかはもう、はん狂乱きょうらんだそうだよ。ダナ家のほうはめしのどを通らないし、ミレシア家にいたってはとうとう寝込んじまったってさ」

 盗み聞きしていたエルはその言葉に胸をつかれた。

 ――母さま、そんなに心配してるんだ……。

 これまでそんなことは考えもしなかった。自分たちの新しい暮らしに夢中で他人のことなんて気にもしなかったのだ。

 でも、そうと聞くと『悪いことをした』という思いが心のなかでムクムクとき起こってきた。

 ――せめて手紙ぐらい出しておこうかな。『元気で暮らしてます』って。でも、ただそう言っただけじゃ納得なっとくしないだろうなあ。といって、くわしいことなんてもちろん書けないし……。

 途方とほうに暮れていると耳元でささやく声がした。

 「……母さん」

 ギョッとした。思わず飛びあがるところだった。内心の不安を指摘してきされたような気がしたのだ。

 けれど、声のぬしであるニーニョは自分の思いを口にしただけだった。

 「……そんなに心配するなんて思わなかったな。一度ぐらい、顔を見せておこうかな」

 「なに言ってるのよ! そんなことしたら二度と外に出られなくなるわよ」

 「わ、わかってるよ。でも、母親をあんまり心配させるのは男として……」

 「なによ。まさかいまの暮らしをあきらめて、ママのもとに帰ろうって言うんじゃないでしょうね?」

 「そ、そんなわけないだろ!」

 「どうだか。男の子って、いくつになってもママにべったりだって聞くものね」

 「バカ言うな! おれはそんな情けない男じゃないぞ。そういうお前こそ帰りたくなったんじゃないか。『ママッー、エル、さびしかったよお』なんて泣きわめいてさ」

 「なんですって⁉」

 怒りのあまりエルは叫んでいた。

 それがまずかった。その声はすぐそばにいた店主と商人にもはっきりと聞きとられてしまった。

 「ん? 誰かいるのか?」

 マーフィおじさんの声がした。同時に足音が近づいてくる。

 ヤバい!

 ふたりはあわてふためいた。

 「ニーニョ! はじめるわよ、早く例のもの……!」

 「あ、ああ……」

 エルに言われてニーニョはあわてて袋のひとつを取り出した。

 なにやら中身がゴソゴソ動いている例の袋だ。口をしばっていたひもはずし、中身を地面にぶちまける。袋のなかから出てきたものは――。

 何匹もの大きなネズミ!

 袋に閉じこめられてパニック状態におちいっていたネズミたちはいきなり外に出され、さらに驚いた。奇声きせいをあげながらめったやたらに走りまわった。

 「わわっ、なんだこいつら!」

 さすがのんびり屋のマーフィおじさんも声がひっくり返っている。

 「わっ、なんだこいつら、どこから出てきた⁉ こら! 店に入るな! 売り物をかじったりしたら承知しないぞ」

 「うわわっ、ウマの背中に乗るな、かじるな。うわっ、おちつけ、暴れるな、大丈夫だからおとなしくしろ!」

 これは予想外の大成果だ。ネズミの群れに驚いた商人のウマが暴れはじめたらしい。

 外はすっかり大騒ぎ。他の人はもちろん、マーフィおじさんでさえウマを押さえるのに必死になって店を気にするどころではなかった。

 ふたりはそのすきのがさなかった。

 勝手かってぐちから素早く店内に潜り込むとパンやら、チーズやら、ジャムやら、衣服やら、その他、必要なものをかたぱしから空っぽの袋に放り込んだ。

 その他にもちょっとしたアクセサリーやら新しい本やら、非常用の薬やら、ほしいものがいっぱいあった。

 ふたりでじっくり打ち合わせして本当に必要なものだけを選び、それだけを手に入れるよう約束していたのに、目の前に並んでいるのを見るとどれもこれもほしくなる。

 ――でも、我慢がまんがまん。よけいなものまで手に入れてたら時間がかかるし、それだけ見つかりやすくなっちゃう。それに、荷物だって重くなりすぎるし。やっぱりいまは予定通りものだけにしておかないと。他のものは次の機会に手に入れればいいんだから。

 そう自分に言い聞かせ、打ち合わせておいた通りのものだけを袋に放り込む。

 ――でも、もらいっぱなしじゃないわよ。捕まるわけにいかないから堂々と買い物にはこれないけど、泥棒とろぼうじゃないんだから。ちゃんと、代金は用意してあるのよ。

 もうひとつの袋から『代金』を取り出し、失敬しっけいしたもののかわりに置いていく。

 それは大きなミツバチの巣に干し肉、干し魚、干し貝、干し果実。ふたりが丘のなかで手に入れた『商品』だ。

 実のところ、これらの『商品』に手に入れたものの代価としてふさわしい価値があるのかどうか、ふたりにはよくわからない。

 それでも、ミツバチの巣は貴重品で高価なものだ。蜜がたっぷりつまっているし、巣の材料であるミツロウは最高のロウソクになるからだ。

 ミツロウ一〇〇パーセントのロウソクはけむりが少なくて香りがよく、すすもでない。そのため、教会などではステンドグラスの天井絵の美しさを守るためミツロウのロウソクを使っている。

 その他にも木工製品をみがくワックスや石鹸せっけん化粧けしょうひんなどさまざまな用途ようとがある。

 でも、ひとつの巣からとれるミツロウの量なんてたかが知れている。そのため、いつでも貴重品で高い値がつく。それが野性の巣が丸ごととなればどれだけの値がつくことか。

 いただいた品々しなじなの代金としては充分じゅうぶんな価値があるはずだった。

 とにかく、欲しいものは手に入れたし、代金も置いた。あとは騒ぎがおさまり、姿を見られる前にさっさと退散たいさんすることだ。

 ふたりはすっぽりかぶったシーツをひるがえし、勝手かってぐちから外に飛び出した。手近のマンホールから下水道に飛び込み、いまではふたりの大事な家であるほら穴に飛んで帰っていった。

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