ファルの恋のお相手

 夏の日差しが強くなり始めたある日。


 「ファル、お帰り。新婚旅行は楽しめた?」


 大量のお土産を片手に帰還報告をしに来たファルを、アンは笑顔で出迎える。


 「ただいま、アン。最高だったよ。丁度南は海水浴日和でね」


 「ふふ。それはなによりだわ。

 海水浴……というより人前で脱ぐ訳にはいかなかったから、泳いだことないのどけど。お風呂と違って海は深いのでしょう?怖くは無いの?」

 「そんな事は無いよ。現地ではスキューバダイビングも体験出来てね。透き通る青い海の中にサンゴ礁が生えていてね、そこを泳ぐ色取り取りの熱帯魚達は綺麗で感動的だったよ」

 「わぁ、それは是非拝見したいわ」

 「是非行ってみて」

 「うん、きっと」

 

 想像の中でフォルと青い海とサンゴ礁(は何か判らなかったので、生えているという言葉から木々を想像する)と可愛いカラフルな魚達と泳ぐ自分を想像し、夢見るアン。


 「そうだわ。ファルが返ってきたら聞きたかったの」

 「うん?なんだい?何でも聞いてよ」

 「ファルのコイバナが聞きたいわ」


 目を輝かせて聞くアンに、目をパチクリさせるファルだったが、直ぐに満面の笑みで返す。


 「いいとも。

 でもアンはオトコノコだろう?つまらない話になるかもしれないよ?」

 「?コイバナに男女って関係あるの?

 私、よく姉上達や実家の義母上達のコイバナを聞いていたわよ?」

 「ははは。そうだね。恋に性別は関係なかったね。ごめんよ」

 「ふふ。それじゃあ、お話して?」


 上目遣いにお願いのポーズをするアンに、これはオルに言ったら嫉妬されるな。よし後で言おうと決心して、語り始める。



 ***ファル過去のお話***


 私と今の旦那が出会ったのは、偶然だった。

 その日私は、沢山の女の子達と街にショッピングに出かけていたんだ。

 女の子の一人が誕生日でね、誕生日プレゼントに彼女が欲しがっていたブローチをあげて、お洒落なカフェで食事をしてご満悦で帰宅する途中。野暮ったい恰好をした男性が大量の書類や書籍を盛大に通路上にぶちまけたのさ。

 髭を生やしていったい最後に体を洗ったのはいつ?って聞きたくなるような草臥れた中年男性でね。とろい仕草で、でも一生懸命に拾い集めているというのは見て取れた。流石に危ない風体をしたそれもいい年に見える男性を心配はしても助けようとする女性はいなかった。数人のたまたま近くにいた男性くらいだよ。助けていたのは。

 その近くにたまたま私がいたのさ。それも真ん前にね。


 その人はうず高く積み上げられた書類や書籍で前が見え辛かったんだろう。書籍の横から顔を出していたとはいえ私に気付くのが遅れて、私も別の場所を見ていたものだから気付くのが遅れた。いや、普段だったら近づく人の気配には敏感なんだよ。ホントだよ。

 お互いに遅れて、先に気付いたのはその人だった。


 「わっ。危ない」


 のっそりとした様な声に気付いて振り向いた時には、私を避けようとしたんだろう。急な方向転換に付いて来られなかった書籍の束が私の前で散乱したという訳さ。


 流石に目の前で、それも明かに私が原因だろうにほっておくなんて出来ないだろう。だから手伝った。

 

 別にその時は別段恋に落ちる様な特別な事はなかったから、拾い終わったらお礼を言われて、それぞれ別方向へ去っただけだった。


 暫くしてオルの学会発表を見学する機会があって、そこで偶然にも再開したのさ。

 何せその人は医学会の名誉博士だったのだから。

 今でも本当に疑う時があるよ。何せ初見が野暮ったい髭の生やした汚らしい中年男性だったからね。

 その人曰く、あの時は学会発表間近で寝る間も無く研究と論文作成に追われていたんだって言い訳していたけれど。


 「やあやあ、あの時のお嬢さんだね。あの時は本当にありがとう」


 先に気付いたのはその人の方。

 流石に発表当日だから身綺麗にしていた男性が、あの時の男性だとは言われるまで結びつかなかったんだよ。

 何せ髭も剃って少し若返っていたからね。


 「いえ。ええと、ずいぶんと様変わりされましたね」


 若干引き気味で答えると、別段褒めている訳でもないのに照れるものだから、ちょっと可愛い人だなって思った。

 

 「これから発表ですか?」

 「ええ。時間がありましたら是非聞いてください」


 間抜けた笑顔で言われて、まあ暇もしてたしオルの発表もあるしで最後まで拝聴した。

 その発表は今まで難病とされて来た病の完全なる治療方法で、すでに臨床試験も終わり成功を修めていた。

 その病には私も心を痛めていたから、発表が終わった時に皆に混ざってスタンディングオベレーションをしたものさ。泣いている人までいたよ。患者さんのご家族の方だったんだろうね。

 拍手をしている時、不意にその人と視線があった。大勢いる中で何故か私とだよ?視線があった瞬間ほころんだように笑うものだから、迂闊にも「キュン」ときてしまったね。

 女性なら兎も角男性にそんな感情を抱くなんて初めての経験で胸を押さえて驚愕した。

 と言ってもそこで恋した訳でも無い。多分。

 その日は発表の言祝ぎだけして別れた。だって発表会の後はオルの打ち上げがあったから。

 2度だけ邂逅しただけのちょっと知り合った人より、オルを揶揄う方がよっぽど重要で、有意義なひと時の方が重要だろう?


 それから暫く会うこともなくて、忘れ掛けた頃。事件があった。


 その日は今にも降り出しそうな空模様で、誰も彼もが急ぎ足で行き過ぎていた。

 そこに顔色の悪いお腹の出ている女性がふらふら歩いていたものだから、心配になった私は迷わず声を掛けた。


 「顔色が悪い。暖かいところで休んだ方がいいだろう」


 腰を支えて額の熱を測るとほのかに暖かい。冷え切っているわけでは無いし、熱がある訳でもなさそうなので少し安心した。

 けれど横からあの男性が現れて、彼女の様子をしっかり診始めてびっくりした。


 「もしかしてお腹がいたいですか?」


 喋れないのか、うなりながらもコクリと頷く女性にその人は私の反対側から女性を支えた。


 「ここでは場所が悪い。そこのレストランで場所を借りましょう」


 その通りなので女性に負担がかからない様にゆっくりとレストランへと入る。

 入り口に有るカウチへ女性を座らせて、その人はレストランの店長へ事情を説明し協力を要請していた。

 私はその間彼女が心細くない様にずっと手を握っていたんだけれど、その人が戻ってくる前に女性は倒れてしまった。


 「これはいかん!店長さん先程頼んだ通りの準備をお願いします!」


 すぐに気付いたその人が駆け付けた。


 「掛かりつけの産婆は近くですか?」


 腰をさすり様子を診ながら聞くその人に、女性は緩く首を横に振るので緊張感が一気に漂った。

 ひとつ頷くと慌てて店員さんが用意したブランケットを女性の下に優しくひき、その上にもかけてあげる。

 さらに目隠し用の衝立が周りに置かれて私達はすっかり周りから隠れた。

 店員さんが用意した道具が揃うと、両手を清め、更に私の両手も清める様に支持した。


 「よく頑張りましたね。もう力んでも大丈夫ですよ。私は医師です。すべてお任せください」


 そう言って、以前ののっそりした様子何て微塵も感じさせないきびきびとした動きだしたものだから、私の驚きはバーゲンセールでもしているのじゃないかと驚いたよ。

 女性の力む声や衝立の向こうで「頑張って!」「もう少しだよ!」「あとちょっと頑張れば赤ちゃんと会えるよ!」「赤ちゃんがあなたに会うために頑張ってるわ!」と女性陣が声援を送る中、ふいに不意に一つの泣き声が木霊した。


 「おぎゃああ!おぎゃああ!」

 『!やったー!生まれたー!』


 レストラン内は感動の渦に飲み込まれた。赤ちゃんが生まれた瞬間は私まで泣けてしまったよ。

 不意にその人の顔が見たくなった。

 その時見たあの人の優しく慈しむような笑みは未だに忘れない。一生忘れないよ。

 だって、それが私が不覚にも男性に生まれて初めて恋した瞬間だったからね。


 だから私は決めたんだ。絶対にこの人と結婚するんだって。


 そう決めた後がまた大変でさ。その人熱く口説く私に「年が離れすぎている。君にはもっと相応しい人がいる」って断ってきてさ。離れてるって言ってもたかだか10程度だよ?たいした差じゃないじゃん?しかも口説いている相手に他の男を進めるなんてさ。俄然落とす気になったね。

 毎日のように口説いてその度に「年が離れている」「君は華やかな人だ。凡庸とした私とでは釣り合わない」「私なんかでは世の男性が納得しないよ」とか目も合わせずのらりくらりと躱すものだからどんどん向きになって。

 雨の日も風の日も巨大台風が直撃した日も口説きに行った。

 だってさ、私、一言も「恋愛対象として見れない」なんて言われていないんだ。そりゃ頑張るしかないよね。


 でも流石に台風はまずかった。濡れネズミで帰った私は、意気消沈したままお風呂にも入らず、乾かすのも忘れ、そのまま朝まで眠った。

 そりゃ、風邪も引くってものだよね。私だって生きた生身の人間なんだから。


 それから2日間熱にうなされながらベッドとオトモダチになって、過ぎていく時間の無常さに嘆いていた翌日。

 その人はお見舞いに来てくれた。大量の薬や、体に良い食べ物を前が見えないほど抱えてね。

 毎日の様に訪れていた私が来ず、しかも前日の台風の事もあって心配で私の事を片っ端から聞いたみたい。そういえば口説いていたけど私の家って教えたことなかったな。ってうなされながらもぼんやり思ったよ。


 「大丈夫ですか!?大丈夫ではないですよね!水分は取っていますか?ちゃんと食べてますか?薬は……これですね。……何だこれは今の彼女にはこれよりも此方の生薬の方があっているだろう!あとでこれを処方した医師を教えてくれ!みっちり扱いてやる!」


 凄い剣幕で言い切るものだから何を言われたのか良く判らなかったけど、心配されている事だけは伝わった。

 嬉しさで2度目の涙をその人に見せる事になったけど、そんなことはどうでもいいくらいに嬉しかった。


 「ふふ。愛しているあなたにそんなに思われるなら、風邪もひいてみるものだね」


 肩肘をついて起き上がりながらその人に手を伸ばすと、しっかり手を握って起き上がろうとした体をまたデッドへと戻された。


 「まだ、寝ていてください」

 「いやだ。せっかくあなたがいるのに勿体無い」


 息を飲んで真っ赤に染まった顔を横に向けられて、ちょっと寂しかったけれどその横顔も可愛かったからまあいいかと思った。


 「わかりました」

 「え?」

 「判りました。貴方と結婚しますから、今は大人しく寝ていてください」

 「ほんとう!?」


 しっかりばっちり聞き取った私は熱何て忘れて飛び起きた。忘れても熱はあるからすぐベッドへ倒れたけど。


 「ああ、ほら大人しくしていてください。

 貴方が心配で研究も手が付かないんです。治るまで傍にいますから」


 そうして私は嬉しすぎて治らないにやけ顔のまま、風邪が治るまで看病されましたとさ。



 ***話は戻って現在***


 「どうだい?感動してくれたかな?」

 「うん。良かったねぇ、想いが通じて」


 感動で滂沱の涙を流すアンにギュッと抱きしめられたファルは、入り口で物凄い形相で睨むフォルにニヤリと笑いぎゅううっと抱きしめ返すのであった。


 なお、後日血の涙を流すフォルに詰られるファルは、それさえもひらりと躱し揶揄い返す姿を件の旦那が微笑ましそうに見守っていたらしい。

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