姫と王子の男女問題!?

蒼穹月

第1話 問題のはじまり

 王族も十六人兄弟の末まで行くと存外自由が利くものだと、良く母上は笑って言った。


 十六人のうち十人が男だから気にされなかっただけというのが正直なところだと私は思う。十人の兄と五人の姉。私は一番下のそれも妹だという事で、兄上達、姉上達にそれはもう愛された。側室の子なうえ、母上は私以外に子を持たなかった為、母子共々王位継承争いからは茅の外だった。つまり今まで何の苦労も危険な事も無くすくすくと育った。自慢じゃないが、愛されて育った私は絶世の美少女として名高かった。しかしそんな私にとてつもない大事件が起こってしまった。十六の歳を迎える少し前、父上がいきなり他国の王子との縁談話を持ち込んだのだ。上の姉上達は十六と共に他国の王子の元へ嫁ぎ、残った姫は私だけだったのだ。

 けど父上?今まで父上兄上達を騙していましたけど……。


 実は私、男なのです。


 王位継承権を持つ王子は、常に派閥争いなどにも巻き込まれやすく、その中で命を落とす王子も少なくない。そんな目に合わせたくないと生まれた日から母が姫だとでっち上げただけなのです。


 つまり、嫁は無理。


 行った先でばれでもしたら国際問題で戦争になりかねません。

 焦った私は何とか縁談話を断ろうと思案し、苦肉の策で


 「冷戦状態にある隣国の王子に恋をしていてその方以外とは共になれません。無理にしようというならこの世から姫はいなくなります。(死ぬとは断じて言っていない。)しかしかの国とは冷戦状態であることは承知しているので、共になる事は諦めております」


 と、苦肉の策を講じたのだ。それに頷き縁談話を白紙にした父上に安堵したのも束の間、後日隣国の使者を紹介された。

 曰く、可愛い末娘の為なら例え戦争中の相手とだって和解して見せよう。そしてその想いに隣国の王子が答えてくださった。別れは辛いが愛する男の元へ嫁ぐが良い。と。

 愛しすぎでしょう。末だろうと何だろうと、冷戦状態の相手にそこまでするか?あんた王だろう。国の威厳は何処へ捨て去りやがりましたか。

 まあ、しかし唖然としようとも身から出た錆。取り敢えずは隣国へ嫁ぐより他無い状態である。因みに事の元凶の母上は昨年亡くなってしまったので、文句を言う相手はいない。侍女達は私の事を知っているが、相談しても彼女達にはどうしようもない。さらに実は姉上達も知ってはいるが、今は遠い異国の地。相談どころか会うのにだって時間がかかる。

 つまり八方塞がり。

 残る手段は相手に嫌われ、相手にされなくなればいい。まさか初日から床を共にもすまい。そうなる前になんとか嫌われなくては。

 かくしてかなりの不安と開き直りを胸に、私は隣国へと嫁いで行った。


 武と芸に秀でた祖国とは違い、隣国は学と農に秀でた国だった。

 街々は祖国と違い派手さがない。活気はあるが祖国に比べると地味な印象を受ける。良くこんなので父上に制圧されなかったものだ。内心で驚嘆している内に城についた。祖国の城よりいささか小さく感じる。

 玉座に通され、王と件の王子と顔合わせをした。実を言うと王子に会うのは今日この時が初めてであった。幼い頃冷戦状態にするにあたっておとずれていたのを遠目で見ただけだった。幼いあの頃と違い、とても精悍な青年に成長を遂げていた。きっととても多くの令嬢に好意を寄せられている事だろう。なぜ冷戦状態の相手の話に乗ったのかまるで分らない。

 兎にも角にも無難に挨拶を済ませ、まずはさっさとこの場を終わらせよう。

 挨拶をしてみると、隣国の王はとても穏やかそうな人だ。およそ戦争などは起こしそうにない。思い起こしてみると、そもそも冷戦を提案したのはこの王だったか。それに隣国から祖国に攻め入ったという話も聞いた事がないな。いつも祖国が攻めに行っていた。成程、平和至上主義というやつか。まあ、私も戦争がしたい訳ではないが。しかしそうなると我が祖国と対等にやり合った手腕が気になってきた。さっさとオサラバしようと思っていたが……。少し内情を探ってみたくなったぞ。

 王が一通りの会話を終わらせると、王子に私を案内するよう提案してきた。

 断る理由が無いし、上手くすれば嫌われるきっかけ作りになるかと、私はその申し出を受け入れた。

 謁見の間を出て、王子が最初に向かったのは長い階段を上った先の屋上庭園だった。向かう途中は、他愛のない道中の話をしただけだった。危険が無かったか心配をしてくれていたらしい。まあ、この国に嫁ぐ事をよく思わない、祖国の一部の者に襲われはしたが。私の事情を知る選りすぐりの侍女達は、戦闘にも長けている上に、父上が用意した最強の護衛により、面白いぐらいに何事も無く到着したのだが。祖国の不利益になりそうな情報は話す訳にはいかないので、割愛。

 庭園に出ると城正面に位置する方へ歩み、城外が見渡せる位置で止まる。


 「隣国の姫。今貴女がご覧になっているのが、我らが生き、生活をしている国です」


 広がる街並みを指示し、私に見る様に促す。やはり戦争を仕掛けてきた国の者だから警戒をされているのだろうか。これを見せればいかに戦争の愚かしさを理解するだろうかと?しかしながら、生まれた時から戦争が当たり前で、だからと言って自ら赴く事が無かった私には、それ程の感情は芽生えなかった。

 ただ。

 そこに広がる景色は、世界遺産に登録をしたくなるほど美しかった。

 緑があふれ、色彩の豊かな花達が咲き誇り、人々が暮らす街並みもその景観を壊すどころか上手く溶け込んでまるで一つの絵画の様。


 「美しいと思いませんか?この国は私の誇りなのです。私はこれを守り、支えていく為に今ここにいるのです。出来れば貴女にもそうなって頂けると良いのだが」


 そう、笑んだ王子の顔はとても幸せそうで、後ろめたい事情がある私は、少々胸が痛んだ。言葉を返せず、私はただその景色を目に焼き付けるかの様に見つめていた。


 「さて、では城内を案内しようか」


 暫くその景色を見て、体が石像になったのと勘違いをしそうになった頃、王子が切り出した。もう少し見ていても良かったが、場所は覚えた。また、見に来ればいいだろう。

 そう思って、私はかなりこの場所が気に入った事に気付いた。そう言えば私は、武よりも芸に興味があったな。

 案内された城内は、閑散として質素だが、清潔感があふれ、落ち着いた空気を醸し出していた。部屋数は少なく、直ぐに城内の間取りが覚えられそうだった。庭も広く庭園が広がり、そして田畑まであった。さすが農の国。王宮までが農家かい。

 すれ違う人々は誰もかれもが穏やかで幸せそうだった。かつての敵国の姫(いや王子なのだが)にも優しく親切だった。打算と謀略の渦巻く環境で育った私は、それが少し怖かった。家族は私に優しかったが、私以外には家族同士でも口論が飛び交い、城勤めの者達は策略を講じ権威の無い私には当たり障りのない係わり方しかしなかった。だからだろうか、目頭がちょっと熱くなっているのは。

 一通り城内を回り人々の紹介をされると、今日はもう疲れただろうと私の部屋(隣国の王子の隣の部屋だった)に通される。武芸にもそれなりに心得のある私はこれしきの事では疲れなかったが、頭の整理もしたかったので、有り難く休ませて貰う。

 一人になって頭を落ち着けると、ヘマをしそこなった事に気付き、自己嫌悪に陥る。

 次はちゃんとヘマしよう。

 そう言えば兵士は殆んど見なかったけど。演習か何か、かな?また明日探りを入れてみるか。

 食事は王子の家族と一つの食卓に着いて他愛も無い会話をしながらだった。

 これも祖国では無い習慣だ。食事はいつも母と一緒か一人だった。父王とは卓を共にした事が無い。そして食事はとてもおいしかった。と言うよりも美味だった。素材の味を引き出し、また互いの味で喧嘩をせず上手く溶け込み協調している。けちの付けようが無かった。全てを綺麗に平らげてしまってから、王妃が私に言う。


 「お口にあったかしら?何か好きな料理があったら教えてね。今度はそれを作るわ」


 ……って。この料理王妃が作ったんかい!庶民は自分で料理を作ると聞いていたが、他国の王家は王族も作るのか!?今度姉上達に聞いてみよう。

 食事が終ると、王妃は籠の林檎を一つ取った。何をするのかと見ていたら、今度は籠に添えられていた果物ナイフを手にする。そしてそのまま林檎を剥き始めた。

 えぇえええ!?そろそろ理解のキャパが壊れそうだ。

 剥いた林檎は6等分に切り分け、一つずつ小皿に盛る。そしてそれを一人一人に手渡しだした。勿論それは私にも。二つ余る計算になるが、その一つは王に、一つは私の小皿に入っている。

 毒でも入っているのだろうか。冷や汗が出そうなのを堪えつつ、林檎を見つめる。

 毒を盛ってもデメリットしか生まないか……。どうでもいい末娘だしな。

 意を決して林檎を齧る。そしてジューシーだった。蜜がタップリ入ったその実は、齧るとシャリッと音がして噛むと甘い蜜汁が口いっぱいに広がる。……幸せ~……。

 そしてまたも平らげた私は満腹感と満足感をいっぱいに部屋に戻った。

 って。またへまやり損った。あ~。なんだか、手強い?

 いやいやいや。まだまだこれから。大丈夫。大丈夫。

 そうだ、今からやらかしに行くか?

 いや、でもなんだか、とっても眠いな。明日でいいか。


 布団に入るなり、熟睡してしまった私は、朝けたたましい鶏の鳴き声で起こされた。『コケコッコー』の大合唱だ。皆はあれで起こされないのか!?

 目が覚めてしまった私は、同じく鶏に起こされて、眠気眼な侍女達に着せ替えられて外に出る。するとそこには既に活発に仕事をこなす城勤め達が。誰も彼もがすっきりした顔で、生き生き仕事をしている。何だかその光景が眩しい。

 思わず目を窄めてしまう私達。


 「なんだか、人々が元気なお国ですね」


 思わず吐息を吐くように漏らしてしまう侍女の言葉に、私達は思わず同意してしまう。

 私の祖国では、侍女は自ら口を開かないものだ。口を開いてしまった侍女が、しまったという顔をしていたので、「釣られてしまうね」と苦笑いで和ませる。恐縮した侍女は軽く礼を取り、直に顔を正す。

 すれ違う人すれ違う人、一様に皆良い笑顔で朝の挨拶をしてくるものだから、私達はその度に眩しそうに目を窄めてしどろもどろと、挨拶を返す事になる。

 そうして、一息入れたくなった私は、昨日案内された畑の在る庭に歩を進ませることにした。そこでまたも愕然とする事になる。

 王自ら畑を耕していたのだ。

 それだけではなく、王子と王妃も一緒に畑仕事をしている。

 ……うん。この国の人々は早起きが標準装備なのだネ。

 それはまぁ、もういいや。

 けど、何で王自ら畑仕事ですか。

 出来た野菜を収穫するならまだ、微笑ましい。耕すて。泥にまみれてますやん。

 私は眩暈を覚えて、額を押さえつつしゃがみ込む。


 「アンジュ姫!」


 私に気付いた王子。鍬を置き、タオルで手を拭きながら駆け寄ってくる。


 「おはようございます。良く眠れましたか?」


 土で汚れていても、眩しい笑顔だ。女はこういう男に惚れるのだろうか。少々、心が乱されつつも立ち上がり、負けじと男を魅了する笑みを作る。


 「おはようございます。これ程早起きをしたのは初めてですわ」


 わざと嫌味を言い、王子の出方を窺う。

 昨日はへまをしそこなったから、汚名返上だ。


 「それは申し訳ない事をしました。しかし彼等もそれが仕事故、ご考慮頂きたい」


 彼らて、鶏に仕事て。

 全く気にした風でも無く、むしろ陳謝されてしまうと、妙に胸が痛む気がする。


 「いえ。ここでは畑仕事に精が出せるほど、政務に余裕が御有りなのですね」


 更に嫌みで畳み掛けてみる。しかも半眼のおまけ付きだ。


 「そうですね。この国の人々が一人一人頑張ってくれているお陰です」


 ニコニコと全く堪えた風も無く言い切られる。

 何!?このお国事情わっ!

 余りの衝撃に唖然としてしまう。民が王族の為に力を尽くすのは当たり前の事だと教わってはいるが。何やら内容が祖国とは違う気がする。父上は、何時も政務に追われていた気がする。

 まあ。戦争ばかりしていたから。というのが理由の一端だとは思うけど。それにしたって、ここまで余裕が出るものだろうか。これは益々をもって、この国の秘密を解き明かしたくなった。

 嫌われつつ、且つ、内情を調べねば。


 「ふふ。では、今日は一日畑仕事をしているのですか?」


 背後に闘志を燃やしつつ、探りを入れてみる。まあ、一日畑仕事は無いだろうから、きっとこの後に政務の秘密を見る事が出来るだろう。


 「ははは。一日はしていないよ」


 そうだろう、そうだろう。

 勝ち誇りつつ、内心で盛大に頷く。


 「午後からは田圃の世話をするよ」


 私の心が凍り付く小気味良い音を聞いた気がする。


 「……はい?」


 作り笑いのまま、訳が分からず聞き返してしまう。それに意味が無い事は理解している。それでも、聞き返さずにはいられなかった。


 「お昼まで畑の手入れをして、お昼を取った後は田圃の手入れをするのです。それが終ったら、私は勉強ですね。まだまだ、学ぶ事が尽きなくて」


 私の状況を理解したのだろうか。懇切丁寧に、スケジュールを教えてくれる。勿論ほぼ一日野良仕事なんて、到底理解できないが。

 しかしそうか、ちゃんと教義が有るのだな。では、その教義に参加すれば、少しはこの国の成り立ちを知る事が出来るかもしれない。


 「まあ、そうなのですか。では、その教義に私もご一緒しても宜しいかしら」


 秘儀、男たらしの上目遣い攻撃だ。これに掛かって、断る男は未だかつていない。


 「ええ、是非。そうして頂けると私も嬉しいですよ」


 うん。確かに断られなかったけど……。何か違う。キラキラ笑顔で無邪気に笑い掛けられるとは、思わなんだ。

 くっ。この王子かなり手強いな。それともこの容姿だ。もしかしたら、女には慣れまくって今更動じなくなっているのかも?


 「では、早速ですが」


 え?いきなり教義をする事に予定変更か?

 キョトンと王子を見上げると、隙だらけの手を握られる。ていうかっ、手が汚れるっ。

 こちらの動揺などどこ吹く風で、王子は私の手を取ったまま、畑の方へ私を誘う。


 「あ、あの。どちらへ」


 堪らず尋ねると、王子は微笑み畑の赤く実った野菜を指し示す。


 「ちょうどトマトが収穫時なのです」


 こちらが戸惑っている間に、王子はぐんぐんと私を畑まで連れて行ってしまう。私の侍女は余りの光景に茫然と間抜けみたいに口を開けていたが、ハッと我に返ったのか、小走りで私達に駆け寄る。


 「あの、申し訳ございません。差し出がましい事と存じますが、姫様が汚れてしまいます故、ご勘弁を頂きたく申し上げます」


 恭しく礼を取り、許可なく口を開けた事への恐れで震えつつも助け船を出してくれる。

 グッジョブだ、我が侍女よ!しかもだ。もし王子が侍女に酷い仕打ちをしてくれるなら、それを逆手に罵る事が出来るぞ。


 「ああ、そうか。それはすまない事をしてしまった。ありがとう、教えてくれて。

 アンジュ姫は良い侍女をお持ちだね」


 私に、詫びを入れたうえ、酷い所か侍女に対して良い笑顔で礼を述べる。考えたらこの国の民は、一様に馴れ馴れしくするのが当たり前なのだったか。

 当てが外れたが、取り敢えずは畑仕事からは逃れられたようだ。

 ほっと安堵したのも束の間。


 「母上。畑用の衣服をアンジュ姫にお貸し下さい」


 はい?


 「ええ。では、こちらへアンジュ姫」


 王子に同意して、すぐ近くにある部屋へ招く王妃。

 いやいやいや。畑仕事自体をしたくは無いのだが。


 「あの、王子?お勉強をされるのではなかったのですか?」


 作り笑いにも限界が来ている気がする。口が引き攣る感覚がするので、手で口元を隠しながら、何とか笑みを向ける。


 「ええ。畑仕事と言うのは中々に奥が深く、学ぶ事が尽きないものですよ」


 野良仕事も勉強のうちなの!?

 学と農に秀でた国と言うのは、そういうものなのだろうか。これは、口は災いの元と言うが、身から出た錆とはいえ、きつ過ぎる。

 しかも王と王妃までニコニコと私を待ち侘びている様子。ここで断ったら、この国には合わないかもしれないと言って、破談になるかもしれないだろうか。もしそうなったら、有り難いが、内情を知れないのは悔しいし。それが理由では父上に他の縁談を持ち掛けられるかもしれない。

 これが俗に言う、八方塞がりというやつだろうか。


 「そうですか。これもお勉強の内ですか」


 若干声が涙声になってしまったが、ここで弱みを見せる訳にはいかない。泣くのは心の中だけに留めておく。

 異様な空気に気押されつつ、仕方なく王妃に着替えを借り受ける。着替えを手伝おうとする王妃に、何とか退場願って侍女達に着替えを手伝わせる。王妃は侍女にも同じ様な服を残して行ったので、道連れとばかりに着替えさせる。

 それにしても、私がこのような野良作業服を着る事になるとは。

 恥ずかしくて祖国には絶対に見せられない。それにここから出るのも嫌だ。


 「アンジュ姫。終わりましたか?」


 扉の外で王妃が聞いてくる。

 出ない訳にはいかないだろう。覚悟を決めて、恐る恐る外に出る。

 外に出ると、野良姿の私を見た王子が頬を染めるのを見た。

 ちょっと待て、こんな泥臭くも男みたいなズボン服で赤面するか!?この王子。もしかして趣味悪い?

 半笑いで顔を引きつらせ、何故か負けた気がするのを精神力で押さえつける。


 「それで、私は何をすればよいのでしょうか?」


 半ばやけになって王子のもとへ近付く。

 すると王子は私の手を取り、赤く実ったトマトまで導く。


 「うん。これが良い」


 いくつも実ったトマトの中から一つを選ぶと、私によく見える様に示してくれる。


 「アンジュ姫。このトマトをもいでみて下さい」

 「これですか?」


 王子が示したトマトにそっと触れてみる。

 思ったより張りがあり、且つ弾力に満ちている。思えば今まで私は調理済みの野菜しか見たことが無い上に、素手で触ったことさえ初めてだ。ということに今更ながら気付く。

 その初めての感覚に戸惑いながらも、何故か内心ドキドキが止まらなかった。

 そっと触れるだけではなく、トマトの形を確かめる様に触れてみる。

 すると何故かは知れないが、何とはなくトマトの脈動?の様なものが感じた気がした。


 「ええ」


 目を見開き驚きで凝視していた私は、王子が慈しむ様な瞳で私を見ている事に全く気付かずにいた為、王子の返答にそちらを見た瞬間ハッとして赤面した。

 恥ずかしさで今すぐにでも引き籠りになりたい……。

 しかしここで負ける訳にはいかないので顔を背け、トマトを取る事に集中しようと試みた。

 うん。試みた。

 でも取れませんでした。マル。

 ……。

 えぇぇぇ!?なんで取れないんだ!?だってこんなに細っこい茎なのにっ。人間のが太いのに戦争ではばっきばきのぼっきぼきなのに。(いや私は経験した事も見た事も無いが、兄上達の武勇伝を聞くと簡単な感じだった。)

 くっ。植物の分際で人間様の力でねじ伏せられないだと!?

 悔しくて四苦八苦していると、隣から微かな苦笑が漏れた。

 ムカついたのでふくれっ面で王子を睨むと、片手を上げて「すまない」と謝ってきた。しかし笑いが治まっていない状態では私を落ち着かせる効果は無い。全くもって無い。このヤロウ。


 「本当にすまない。馬鹿にした訳では無いんだ」


 じゃあ何のつもりなのだと喰って掛ろうとしたら、頭なでなでされた。

 思わずぽかんと見上げると、陽の光をバックに味方を付けた最上級の笑みで


 「あまりにも可愛かったから。つい」


 とかのたまいやがりました。こいつ。

 暫く意味も分からずぽけらっとしていたが、何とはなく理解をしだすとその理解度に応じて顔が熱くなる。

 タラしか。こいつはタラシなんだなっ!?

 くぅ、同じ男として何か悔しい。

 絶対負かせてみせる。今にみておれ。

 王子は平静を装いつつ内心あたふたしている私に、自分が見本を見せると言ってトマトを取ってみせた。


 「ここを支点にしてこう、すれば、ね?」


 その説明をうけ見よう見まねでやってみた。


 「取れた!」


 さっきの苦戦はなんだったんだろうと思える程すんなり取れました。

 自分の手に乗っているマルっとしたトマトに感動してしまう。


 「ふふ。初めての収穫ですね。折角だから早速食べてみましょう」


 王子がそう言うので、調理して貰うつもりの私は王子に渡そうとトマトを差しだそうとした。

 が、目の前の王子の行動に固まる。

 だってそのまま齧り付くんだもんっ。(ぷりっと風味に心で拗ねてみる。)


 「は、は、は」

 「?どうしましたか?」


 言いたい事が上手く言葉に出ず、パクパクしている私に王子は顔を寄せて心配する。

 その行為に息を呑んで一歩後退る。


 「はし、はしたないですよ!?」


 なんとか、言葉に出すと今度は王子がキョトンとする。


 「こうして食べるのが一番美味しいですよ?」


 悪びれもせず、笑顔で返されるがこれは流石に長年教育されたマナーの矜持に係わる。

 否定の意を示す様に緩く首を横に振るが、思案した王子の次の言葉で意を決しなければいけなくなる。


 「郷に入っては郷に従え。ですよ?少なくともアンジュ姫はご自分の意思で来られた訳ですから」


 此処にきて初めてニッする若干人の悪い笑みを見せられ愕然とする。しかし今の私の立場状況感情の全てが、この顔が極悪そうな顔に見せている。

 ヤバい。非常にヤバい。このままでは芋づる式に私の秘密がばれてしまうかもしれない。(冷静に考えればそれだけでばれる訳も無いのだろうが。この時の私は非日常&非常識の連続でネガティブな事しか考えられなかった。)

 意を決してトマトを見る。

 今だかつて経験した事の無いような試練を前にした気分で生唾を飲み込む。

 震える手で少しずつ口に近づけ、目をギュッとつむり小さく齧りつく。

 ……シャクリ……。

 ……。


 「……美味しい……」


 その果物の様な豊満な甘さと酸味が口に広がり、思わず漏らす。

 その味が口に広がった瞬間、私は全てのしがらみや教養私とトマト以外の全ての存在を忘れた。

 トマトという物がこれほど美味しい物だとは……。


 「むしろ今まで食べていたのはトマトの偽物か」


 ぼそりと呟き、残ったトマトを平らげるべく齧りつく。


 「お気に召したようで何よりです。アンジュ姫」


 私がトマトを平らげた後で王子は言った。

 それも私の唇から滴るトマトの汁をハンカチで拭いながら。


 「!?」


 思わず飛び退る。

 お。お、落ち着けっ。これ位は普通。普通だろう。(たぶん。)

 何せ相手は私を女と信じて疑わないだろうから。私でも同じ状況なら女性にはそうするだろう。使用するのはポケットスクエアだろうが……。

 いやこの状況でポケットスクエアは持ち歩かないか?

 顔を真っ赤に染めながらグルグル考えていると、王子は何を思ったのか頬を染め、緩みそうな口を、ハンカチを持った手で隠す。


 「すまない。驚かせたか」

 「い、いえ。……大丈夫、です……」


 ゆっくり呼吸を繰り返す努力をしながら、何とか虚勢をはる。

 ううう。しまった。ここで一つ重大な事実に気付いてしまった。

 宝物の様に育てられたせいか……。

 家族以外の男性と接した事が今までなかった。

 身の回りの世話も教育も武術も全て女性が行っていた。他の男はすれ違うことはあっても、直接関わることがない。

 男としての見本が父上兄上だけとか。本気で凹みそうだ。


 「えー。それではこの様に色づいたトマトの収穫をお願いしてもよろしいですか?」

 「ええ。任されましたわ」


 お互いに目を合わせる事無くギクシャクと傍を離れる。

 王子が元居た持ち場に戻るのを確認して、やっと安堵した。


 「ここでの生活って存外心臓に悪い気がする」


 ゲンナリしながらトマトをもぐ。

 これがなかなか始めると面白いように取れてハマってしまった。気付くと既に籠がいっぱいだったのでもぐのを止める。

 最後の一個がどうしても籠から落ちてしまうので、侍女以外誰も見ていない事を確認してトマトを割り一つを傍まで付いてきていた侍女に一つを自分が食べた。

 侍女も最初は躊躇っていたが、食べてしまえばその欲求に反抗出来なかったようで直ぐに平らげた。

 っし。共犯確保(笑)。

 取り敢えず口の周りを拭いて証拠隠滅を図った後で、王子を探し近くに寄る。

 王子は少し離れた所で種植えをしていた。


 「あの。籠がいっぱいになりましたわ」

 「ありがとうございます」


 私に気付くと、腰を上げて、顔を拭いながら礼を述べられる。

 うぅ。さっきより泥だらけになっている……。

 これでも王族、なんだよね。


 「では次にこちらの里芋に水やりをお願いします」


 へ?まだ何かやるの!??

 通された所には大きな葉っぱの植物が沢山植えられている。

 しかし、私が思い描くお芋は何処にも見当たらない。


 「あの。里芋はどちらですか?」


 至極真面目に聞くと、何故かキョトンとした顔で凝視された。

 何か可笑しな事を言っただろうか。


 「あの。芋は土の中で育つのですよ」


 困った様に笑われて、今度は私がキョトンとする番。

 何せ食べ物の生態なんて言う物を見た事も聞いた事も学んだ事も無かったので、思わず王子の袖を掴んでしまう。


 「土の中でどうやってもぐのですか??」

 「土を掘るのです。宝探しみたいでなかなか楽しいですよ」


 掴まれた袖をそのままに、もう一方の手で私の掴んでいる手に優しく添える。

 しかし私には「宝探し」というフレーズで瞬間的に目が輝いてしまい、全く気付く事が出来ないでいる。

 宝探し。城から出る事が出来なかった私にとって、それは夢の言葉。

 兄上達から聞かされる冒険譚の数々に何度目を輝かせた事か。


 「いつっ。いつ『宝探し』は行えるのですか?」


 わくわくしながら聞いてみると、収穫は晩秋になると言われがっかりしてしまう。


 「その収穫もお世話を怠ると哀しい結果になってしまいます。里芋は乾燥に弱いですからね。しっかり水やりをしてあげて下さいね」


 哀しい収穫を想像し、半泣きになった私は力強く頷くとせっせと井戸と畑を往復した。

 思いのほか水やりは楽しかった。やっている最中に何度か虹が出来てとても綺麗だったのだ。

 考えてみたら武芸以外にここまで体を動かした事が今まで無かった様な気がする。

 水やりを終えた頃には、王子達もひと段落ついたらしい。

 汚れた体を洗う為に近くの浴場に案内される。そこからは硫黄の匂いが立ち込めていてこれが温泉だと窺い知れる。

 城に温泉ってなんて羨ましい環境だ。

 私なんて城から出られなかったから温泉は汲んで運んで来させたものしか入った事が無いのに。

 侍女にきれいにしてもらい、ゆっくりと温泉に体を沈めていく。

 ……ぁぁぁ。凝り固まった体が解れていくぅぅ。

 一時全てを忘れて、「はふー」と浸っていたが、温泉が馴染んでくると次には色々考えだしてしまう。

 結局、昨日からしてやられるばかりで、何も出来ていない。

 いや、やったつもりが効いていないとか本当に凹む。

 嫌味が通じない人間がこの世に存在するなんて……。

 むしろ、こっちが向こうのペースに飲まれている。これではいけない。

 そう思いつつも、先ほどの王子のやり取りを思い出しては赤面し、男相手に何をと思っては蒼褪め、里芋を思っては夢見心地になってしまう。

 しかし宝探しはしたい。ぜひしたい。とてもしたい。

 しかし晩秋。あと1・2ヶ月は先だろうか。

 それまで何とか男だとばれずに乗り切り、かつ秘密を解き明かさなくてはなるまい。


 「侍女よ……」


 頭から煙を吐き出さん勢いで考えても埒が明かない為、肝心要のところを確認すべく、厳かに侍女を呼んでみる。


 「はい」


 低頭の状態を維持したまま、そばに拠る侍女に視線を向け至極真面目な顔をする。


 「とても重要な、且つ重大な事を確認しなければならない」


 慎重に一言一言を確認するように、ゆっくりと侍女へと向き直る。

 侍女はごくりと固唾を飲んだようだ。

 緊張をはらんだ空気があたりに張り詰めるのを感じる。


 「通常。嫁に来た姫は裸の付き合いをするのにどれだけの時間がある?」


 そして一瞬にして空気が抜けるどころか乾燥して、幻覚の木の葉まで風でひゅるると飛ばされていった。

 侍女は、一瞬呼吸を忘れたようだが、直ぐに立ち直り記憶をあさっているようだ。

 んむ。可愛いところもあるものだ。

 ひとり悦に入る。


 「恐れながら、我らが祖国における常識だと……」


 うん?

 何やら言いよどんでいるが、不都合な情報でもあるのだろうか。


 「早い貴族は当日。王族でも他国より嫁がれてくる場合、翌日には婚姻の議をするので翌日には……一線を越えてらっしゃいます」


 ……!

 衝撃の事実に後ろで落雷が起こったようだ。

 え?今日!?

 いやまて、婚姻の議はまだしていない。あれ?今日婚姻の議なの?何も聞いてないし準備も出来てないけど!?


「ど、ど、ど!どうしよう!?どうしたらいい!?

 隠れる?逃げる!?思っていたのと違うのだけれど!」


 だれの婚姻の議も関わってこられなかった弊害がここに!

 こんな事なら姉上達にみっちりきっちり教わっていればよかった!うぅ。……自分には関係ないと高をくくりすぎていた……。


 「落ち着いてくださいませ!

 あくまで祖国ではの常識であります。嫁がれていかれた姉姫様方はもう少しお時間を掛けられておいででした」


 私が入浴中にあたふたした事で、お湯をかぶる事になった侍女だが、冷静に諭してくれる。


 「どのくらい?」


 戦々恐々としながらも意図せず潤んでしまった目を上目遣いにきいてみる。

 侍女はまっすぐ私を見ていると見せかけて、よく見ると視線を逸らした状態で口を開く。


 「遅くて半年。早くてひと月程だと伺っております」


 おうふ。

 微妙。まさに微妙な期間。

 死んだ目で天を仰いでいたけれど、不意に人の気配が近づいて我に返る。


 「アンジュ姫。大丈夫ですか?」


 王子だった。

 流石に浴室内には入ってこないようだけれど、入り口付近まではいるようだ。

 動かぬ証拠(男の裸)を見られないように顎まで湯船につかり、さらにタオルもかぶせる。


 「何がでしょうか」


 心配されているようだけれど何かあっただろうか。

 はて。と首をかしげる。


 「いえ。なかなか出てこられないので、何かあったのではないかと心配になりまして」


 んん?そんなに長湯していたかな?

 いや、それより王子自ら確認に来るものか?来るのかこの国は。

 そうか。この国は祖国とは違うのだ。

 この国の事は何も知らないのだな。


 「いえ。温泉に初めて入りましたので、少々堪能しすぎてしまったようですわ。

 もう上がります。ご心配おかけしてごめんなさい」

 「そうでしたか。気に入られたようで、良かったです。

 大切な方なので心配するのは当たり前の事です。どうぞお気になさらず、どんどん心配をさせてください」


 !またそういう!

 相手は男!男なのだから赤面しちゃ駄目なのにぃ!

 く、悔しい!私だって男なのに、男なのに~!


 「……はい」


 今はこう言うのが精いっぱい。

 遠ざかる気配を感じて、私は決意する。

 決定的瞬間を迎える前に、絶対あの男に男度で勝ってみせると。

 あと、嫌われつつこの国の秘密を暴くと。


 近くでこれ無理ゲーじゃない?とぼやいている侍女にも気付かずに。


 決意だけは固くするのだった。

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