第31話

 はっと誰かが飛び退く気配がして、僕もそれに従った。新しいゴーレムか?


 僕はナイフを翳し、樹凛に下がっているようにと腕を振り回した。

 すると、先ほどまで樹凛の立っていたところに、ゴーレムの遺骸が倒れ込んできた。

 ドズン、という轟音が、地下施設内に響き渡る。


「樹凛! 君まで戦いに出るなんて!」

「だって一対多数じゃ勝ち目がないもの、あたしだって役に立つよ!」


 残る一体のゴーレムを相手に、樹凛はナイフの切っ先を向ける。


「樹凛、忘れたわけじゃないんだろう? 西浦はゴーレムのうちのどれかなんだ! もうほとんど殺しちゃったけど……。でも、まだ彼を救う手立ては……!」

「ないよ、あんなクズ人間」

「!?」


 驚いた。仰天したと言ってもいい。そのくらい、今の言葉は樹凛に不似合いなものだった。

 僕はカッと怒りが湧くのを感じた。


「樹凛、どうしちゃったんだよ? 君だって、西浦を救出するために僕についてきてくれて――」

「残念だけど違うんだよ、碧くん」


 樹凛はゆっくりと目を閉じ、深呼吸を一つ。そして、少しばかりの静寂が訪れた。

自衛隊の特殊部隊は徐々に撤退していき、エルフたちも互いに治癒魔法を施していく。残る一体のゴーレムは、じっとこちらの様子を見計らっていた。


「西浦剛……。こいつにいじめられていたのは、自分一人だと思ってた? 男子ばっかり狙うような、柔なやつだと?」

「えっ……」


 僕は、自分の心に大穴が空くのを感じ取った。それは恐怖や怒り、悲しみといったものだったと思う。

 それも、心から出ていったから消えてしまった、という都合のいい感情ではない。


 僕は確かに見たのだ。

 砂時計に閉じ込められた砂塵のような悪感情。その向こう側に、人間のどす黒いものが蠢いている。それは悪意だったり、欲望だったりするのだろうが、見定めるのは困難だった。


 その沈黙を破ったのは、件の樹凛だった。


「あたし、西浦に脅されてたの。知らないうちに、あたしは西浦に自分の写真を何枚も撮られてて、西浦はそれを人質に、あたしにお金をせびってたの。金を出せ、でなきゃそれをネットに流すぞ、ってね」


 僕は呼吸すら忘れ、硬直した。


「ま、いやらしい写真じゃなかったみたい。それだけはマシかと思ったこともあったけどね。結局のところ、馬鹿に付ける薬はないんだよ。一回くらい地獄ってものを経験させなきゃ」


 何というか、もう西浦を許すとか助けるとか、そんな次元の話ではなくなってきたような気がする。樹凛にそんな脅しをかけていたなんて……。僕の胸中にあった、西浦への僅かな憐憫の念が消し飛んだ。


 僕の場合『いじめられている対象が僕だから』という理由で耐えてこられた。

 しかし、いじめの対象が僕の友人に及んでいたとすれば話は別だ。


 僕は振り返り、残り一体のゴーレムを見上げた。そこに戦意はなく、何かに怯えた様子ですらある。


「こりゃあ、許されないよな」

「そうだね。最初から迷いなく片づけておけばよかった」


 樹凛が駆け出すのと、僕がナイフを投擲したのは同時。振りかぶった自分の腕が指先から、殺気そのものが飛んでいく。それだけの現象が、僕には異様に長い時間をかけて行われているように感じられた。


 そして樹凛がゴーレムの腕を駆け上がり、思いっきり額に突き刺すと同時、僕の放ったナイフはゴーレムの左胸を抉った。


 ぷしゅっ、というなんとも間抜けな音を立てて、ゴーレムは倒れ伏した。これが西浦なのかどうかは分からないけれど。

 ゴーレムを全滅させてしまった以上、西浦もまた、それに巻き込まれて息絶えたとみていいだろう。


(ふうむ……。流石にオッドアイ二体を相手にするのは無理があったか。かといって、ボクが君たち二人を殺してしまうのも味気ない。ポイントがマイナスになっちゃうからね)


 なんとか呼吸を保ちながら、僕と樹凛は神様に向かってナイフを翳した。

 僕の思考は止まっている。一つだけ分かるのは、もし何かを考え出したら、恐怖に取り巻かれて全身が焼かれてしまうだろうということ。

 こうなっては最早、僕とて暴力を振るい、神様に戦いを挑むしかない。


(ん~、二人共緊張してるなあ。ボクに天国まで同行してもらえれば、それだけで済むのだけれど)

「そういうのを、昔の日本語で『たわけ』っていうんだ。この星から、同僚たちと一緒に立ち去れ。天国で地上界に売ってるテレビゲームでもやってろ。そうやってのんびり過ごすのも悪くない」


 くはははっ、と腰を折って笑う神様。なかなか面白いことを言うね、と褒められた。


(ま、それはいいんだけど。そうだな、ボクの技でも見せておこうか。二人の戦い方は存分に見させてもらったし、ボクだけが技を封印したまま、ってのはフェアじゃない)


 腕を天に向ける神様。ここは地下空間なのだから、薄暗い照明以外の光源はない。

 それでも僕には、神様の頭上から光が降り注いでいるように見えた。

 ほんの僅かな時間差を以て、神様は『雷』とだけ声にした。


 ごぉん、と大きな鐘をつくような重低音。はっとした僕と樹凛は、互いを遠ざけるように押しやって転倒、慌てて立ち上がった。


(ふふふ)


 神様は玉座から動いてすらいない。すらっとした足を組み、膝の上に指を絡ませた両手を載せている。

 それから、二、三秒の間を置いて、僕は状況を理解した。

 頭上から日光が差していること、その穴が何層にも及ぶ地下施設を貫通したこと、そして地面が狭く深く抉り取られ、岩肌が木端微塵にされて巻きあがったこと。


 これらの情報を素早く理解できたのは、やはりオッドアイのお陰、ということだろう。だとしたら――。


 僕は日光と雷光で目をやられながらも、思いっきりナイフを投擲した。


「でいっ!」

(うおっとぉ!)


 かぶりを振って神様と相対する。だんだん視力が戻ってきたところで、僕のナイフが神様の腹部に突き刺さっているのが見えた。明らかに命中の手応えだ。


(う、うあっ! 血が、血があああ!!)


 神様はすぐさま余裕を失い、慌てて両手を腹部に当てた。その血は、真っ赤なものではなかった。日光に晒してみても、真っ黒であることが分かる。


「茶番はやめなよ、神様。大したことないんだろ、そんな傷?」

(ん? あぁ、バレてたか。はははは……)


 神様はすぐに嘘泣きをやめ、すっと腹部からナイフを引き抜いた。出血はすぐさま収まり、ナイフの持ち手は神様の手中へ。


(でもいいのかい、碧くん? ボクは君が手にしていた唯一の武器を、こうして奪ってしまったわけだけど)

「……」

(投げようか? もし避けることができたら、このナイフは再び君のものに――)


 ああもう、うざったい。遠隔軌道修正でもやって、一撃必中の攻撃をする気だろう。僕に勝ち目はない。だがそれは、もしナイフ投げ対決だった場合は、の話だ。


 僕は神様に応じることなく、タンッ、と大きくサイドステップした。神様が言葉を切り、微かに首を傾げる。数瞬後、神様は持ち手を指先で摘まみ、さも適当であるかのようにナイフを投げ放った。

 

 しかし、ナイフは途中で弾かれた。僕が放った、自動小銃のフルオート射撃によって。キン、と音を立てて落下したナイフを、樹凛が慌てて回収する。

 自動小銃など扱うどころか、触ったことすらない。だが、僕の魔眼は自動小銃の構造と使い方を一瞬で読み取った。


「碧くん!」

「樹凛、捨てられた武器がそこら中に散らばってる! それを持ってここから離れろ!」


 神様が、今度こそ本当に呆気に取られているのを僕は見て取った。銃口を神様に合わせたまま、さっと頭を巡らせる。――よし。


「樹凛、エレベーターが生きてる! それに向かって走れ!」

(させるか!)


 神様が再び、『雷』と呟くのを察した僕は、神様の腕を狙って自動小銃を撃ちまくった。

 すると突如として、先ほどの数倍はあろうかという光球が、神様の手元で膨らんだ。


 自分の悲鳴ばかりは思念に託すことができなかったようだ。

 神様は右腕の肘から先を押さえて、片膝をついた。


(まさか……。オッドアイの念力で銃弾の運動量を増加させるとは……)

「運動量の話なんて、今時の高校生なら知ってるよ。でもどうだい? 自分で喰らってみた感想、聞かせてほしいな」

(くっ……! 地球の原生生物に過ぎないお前らが……!)

「無理して喋らなくていい。今、あんたを任務から外してやる。天国で上司に向けて、反省文でも書いてろ」


 そう言い放った直後。

 ザスッ、と気色悪い音がして、僕は自分の体幹が歪むのを感じた。

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