第26話
※
樹凛が喉を潤したところで、僕たち二人は食堂を出た。廊下の隅にぼんやりと立ったまま肩を並べる。
「で、どこに行こうか」
「あれ? あたしは碧くんが考えてくれてるものとばかり……」
「ぼ、僕? そんな、初めて来た場所なのに?」
「それもそうだね、ごめん……」
「い、いや、樹凛が謝ることはないよ」
なんだか会話がたどたどしいな。あまり不快ではないけど。
しかし、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。
しばらくぼーっとしていたら、突然学校のチャイムのような音がした。
二人であたりを見回してみると、天使たちは一様に動きを止め、僅かに首を傾げている。
すると全く唐突に、こめかみのあたりから鋭い棘のようなものが生えてきた。
「うわっ!」
よくよく見てみると、気色悪いものではなかった。喩えるなら、エルフの耳だ。長い耳を有しているというのはファンタジー世界だけの話だと思っていたが、どうやら本当だったらしい。
問題は、チャイムと同様に聞こえてきた放送だった。
(緊急連絡、緊急連絡。地上界での敵対勢力の展開を確認。現地時間・深夜二十三時。場所は日本・神奈川県横須賀市。米軍施設内部で、何らかの兵器の最終試験中と推定。戦闘魔法を有する天使は、総員戦闘配置に就け。繰り返す――)
すると、僕の視界の中にいた天使――今はエルフと呼んでおこう――たちが一斉に蠢いた。僕と樹凛は慌てて自分の背中を壁に押しつけた。
大波のようなエルフの動きに巻き込まれたが最後、あっという間にぺしゃんこにされてしまう。僕の本能がそう告げていた。
「ど、どうしよう樹凛、動けなくなっちゃった……」
「あたしも動けない……」
その時、ちょうど聞き慣れた声、というか思念が僕たちの脳に流れ込んできた。
(碧くん、樹凛さん! まずはここから離れましょう! 今回の事案の詳細は、別室でも聞けますので! この人混みの頭上を飛んで離脱しましょう)
顔を上げると、治癒魔法で全快した白亜が翼を広げていた。
「白亜! よかった! でも僕と樹凛をぶら提げながら部屋に戻れる?」
(そのへんは心配すんな。あたいもいるぜ)
「おお、黒木も!」
取り敢えず、白亜が樹凛の、黒木が僕の腕を取った。翼をはためかせて、人混みの上空を通過していく。
それにしてもエルフって、かなり体力あるんだな……。
先ほど川野と話した部屋が、僕たちの待機場所に宛がわれているらしい。
四人で居座るにはちょうどいい広さで――。ん? 四人?
(おい、西浦のやつはどうしたんだ? 碧と樹凛はここにいるのに)
降ろされてから四方八方を見回したが、西浦の姿は見えない。
一瞬。ほんの一瞬だけ、僕は白亜の頬が痙攣するのを目にした。しかしすぐに、白亜は穏やかな笑みを再構築した。
(神様にお会いになれば分かりますわ。もっとも、神様はとっくに下方の臨時作戦司令室にいらっしゃいますけれども)
ふむ。最高司令官にはそれに見合った場所と任務がある、というわけか。
それにしても、皆こういう事態に対して、妙に慣れているような気がするな。もっと温和な人たちだと思っていたのだが。
彼らも暴力の渦に巻き込まれてしまうのだろうか?
(黒木、場所は下部三十二層の部屋でよろしいんですわね?)
(おう、あたいはそう聞いてるぜ)
白亜は先ほど川野が覗いていた水晶玉を手に取った。神様がいるという作戦司令室の内部を映し出す。
流石、神様のための作戦司令室だ。広い。食堂よりも広いんじゃないか。
そして派手だ。何もない空中に、文字やら地図やらが書かれている。まるでクリスマスの街路の電飾に包囲されているような気分だ。文字は読めなかったけれど。
(では、人間のお二人はここで座っていらしてください。お二人の待機場所を確かめて参りますので。ここなら地上界と近いですし、防護壁の性能も優秀ですから、ご安心くださいね)
白亜の言葉に、僕と樹凛は素直に頷いた。
だが、西浦はどうなってしまったのだろう? 食事に行く前あたりから姿が見えないのだが。それが分からない現状に、僕は焦りを感じつつあった。
しばしの沈黙の後、白亜が戻ってきた。
(碧くん、樹凛さん、下部二十八層に向かっていただくことになりました。振り回すようで恐縮ですが、こちらへ)
白亜の態度は今まで通り、礼節や品性に満ちたものだった。
しかしなんなのだろう? この違和感は。さっきからずっと、喉に魚の小骨が刺さったような、妙な感じがする。
(碧、どうしましたか?)
「あっ、いえ……」
誘導された階段を上り切ると、『28』の文字が見えてきた。ここでは人影はまばらで、狭い廊下も難なくすれ違うことができる。
それは構わないのだが、いい加減話してもいいのではないか? 僕は僅かな苛立ちを込めて、白亜を呼び止めた。
「白亜、一つ気になるんですけど」
(はい、何でしょうか? 碧くん)
「西浦の姿が見えないんです。あいつ、怪我でもしたんですか? それとも、天国での食事が口に合わなくて、空腹でぶっ倒れたとか……」
(どちらも違います)
白亜はふっと息を吸って、ホバリングしながら説明を始めた。
(これは地上界に暮らす方々への、最大の御恩であることをご承知の上、受け取っていただきたく存じます。ショッキングであろうことは、わたくし共も承知しております。碧くん、樹凛さん、ご覚悟のほどは?)
「教えてください。偶然とはいえ、僕たちに科せられた権利と義務は果たさなければ」
僕たちがあまりに即決したので、白亜は目を丸くした。黒木はこくこくと頷きながら、横目で白亜の方を一瞥する。
(実はあたいも知らないんだよ、西浦に何があったのか……。白亜、あたいが見ても構わないよな?)
(もちろんですわ、黒木。あなたも天国の治安維持に携わっていましたものね)
(となると――。四人か。だったらテレポートの方が早いな)
(そうですわね。碧、樹凛、相手の上腕あたりにしがみついて! 急いで!)
黒木に急かされ、僕は慌てて白亜にしがみついた。って、上腕柔らかい! まるでシルクの布で手を拭いているような……って、女性の上腕もシルクの布も、触ったことはなかったけれど……。
僕が一人で勝手に挙動不審に陥っていると、黒木が片手を差し出して、掌からエネルギーを発していた。
やがて、ヴン、という音と共に、目の前に円形の扉が現れた。マンホールを縦に設置したような形だ。
よっこらせと黒木が把手を引くと、その先には再び夜空の星々とオーロラが映し出されている。緊張緩和とかストレス軽減とか、そういう意味合いがあるのだろうか。
知らないものを深く考えても仕方がない。
僕は白亜に身を寄せるようにして、円形の扉を跨いだ。
※
その直後、僕を取り巻いたのは、天国の一部とは思えない場所だった。
鋭利な岩が剥き出しになっている、仄暗い洞窟だ。こんなところに西浦がいるのか?
僕がきょろきょろしていると、がこん、といって岩肌が崩れた。
咄嗟に横っ飛びして回避する。すると、その奥から何か光り輝くものが見えた。
なんとなくだが、僕はそれが何かの目に見えた。もう一回、今度は離れるようにステップ。直後、壁面に無数のひびが入り、小石と砂塵を撒き散らしながら何かが出てきた。
二足歩行の生き物だ。人間より一回りは大きく、肩をそびやかして歩いてくる。まさに筋骨隆々といった容貌。
目はもともと一つしかないようで、真っ赤な閃光をあたりに巡らしている。
ゆっくりと歩み出したので、僕は警戒しながら道を開けた。すると岩の巨人――ゴーレムは白亜の前でひざまずき、従順な姿勢を示した。
「白亜、このゴーレムは僕たちの味方なのかい?」
(もちろんですわ。だって、西浦くんですもの。さっきまでは人間でしたけどね)
「え?」
僕は自分の耳を疑った。
こいつが……西浦だって?
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