第24話【第五章】

【第五章】


 その『監察官』が地球を訪れたのは、ちょうど四〇〇万年ほど前のことらしい。

 恐竜はとうの昔に地上から姿を消し、哺乳類が急速に進化を遂げていった時代。


 後に『霊長類』と呼ばれるようになる動物を発見した監察官は、地球が他の惑星や銀河系の害悪にならないよう、見張り役として『神様』というイメージを霊長類の脳に植え付けた。

 その神様役に抜擢されたのが、僕や樹凛が邂逅を果たした、やたらとチャラくて人間臭い存在だったらしい。


 それから現在まで、疫病や殺し合い、地球環境の大規模変動などを経て、どうにか現生人類は生存と進化を遂げてきた。

 月に到達したり、火星を目指したりしたことは、神様にとっても計算外だった。だが、ひとまずは様子見ということで、人類は神様による天誅を下されることなく、のうのうと生活しながら現在に至るというわけだ。


(しかし、監視官や神様も流石に焦り始めたのだよ。『人口爆発』と言われる、急激な人口の増加にね)


         ※


 眉をハの字に曲げながら、川野は続けた。

 地球に存在するエネルギー源の激減を鑑みるに、多少の人類の間引きが必要なのではないかと。地球の監察官として、後程派遣された神様たちも同意見だった。


 しかし、一様に間引くことなど可能なのか? 可能だとしても、誰を、どうやって間引くのか? 様々な案が提示されたが、最も有力だったのが現在の手法だった。


(人類の身体、肉体というものを敢えて脆弱に設定し、魂を離脱させるのだ。我々はそれに直接触れることができる。だから、まだ生存価値があると判定された人間の魂は地上界へ戻し、価値のない者、あるいは立派に生を全うした者の魂は為すがままにさせておく。原理としては至極簡単だと思うのだが)


 その理屈は、直感的には理解できた。

 ふと横を見ると、川野に同意するかのように頷く樹凛がいる。さらに首を伸ばすと、西浦がいる。


 それは分かるのだが、奇妙なことに気づいた。西浦が、ぴくりとも動かないのだ。まるで石化の魔法を受けてしまったように。


 まさか、僕たちが川野の話に耳を傾けている間に殺されてしまったんじゃ……!

 と、いうのは僕の認識が甘かっただけだ。

 西浦はちゃんと自分で呼吸をしている。殺されていると勘違いさせられたのは、彼の目のせいだ。それこそちょうど『死んだ魚のような目』である。


 僕は声を掛けようとしたが、その直前になって西浦は、ぎらり、と目を光らせて立ち上がった。あまりの勢いに、椅子が後退してすぐ後ろの机を押し倒す。


(どうかしたかね、西浦くん?)

「俺を……。俺を死刑にしてください」


 一瞬で室内の空気が凍りついた。


         ※


「俺を死刑にしてください!」


 ぐいっと顔を上げながら、西浦は繰り返した。ぎゅっと結ばれた唇からは、既に顎へと血が滴り落ちている。


「そこにいる葉桜碧は、俺のせいで酷い目に遭ってきたんです。いや、俺が酷い目に遭わせてきたんです。いじめられっ子の気持ちは分かりませんけど、俺は自分がやってきたことが許されないことだって、それは分かります。その……あんまりにも酷い、です」

(ふむ)


 川野は腕を組んで西浦に向き合った。どうやら話を聞いてやるつもりらしい。

 僕にとっても気になることだ。


(では西浦くん、話してみてくれ。それと、口元の血はこれで拭っておくように)


 川野は胸ポケットからハンカチを取り出し、ふわっ、と宙に漂わせた。ちょうど風に舞う木の葉のように。ハンカチは西浦の下へ舞い降りて、すっとその両手に収まった。


「どうもすみません……」


 こっちが憐みをかけたくなるほどの弱々しい声で、西浦は語り出した。


         ※


 西浦が三歳の時、実母は病死した。

 実父は健在だが女性関係に問題があり、西浦は常に無視されるか、暴力的虐待を受けるか、その二択しか与えられなかった。


 酒を煽る父と、見知らぬ女性。西浦は、もうこの世にいない実母を思いながら、目を閉じ耳を押さえ、部屋の隅でうずくまることしかできなかった。


 だが、そんな経験は西浦に十分な勉強をさせた。どこをどう殴れば他者を容易に傷つけることができるのか、それを学習する絶好の機会を与えられたのだ。


 それを聞いて、僕はとても平静ではいられなかった。あの時――西浦に逆襲した時の自分も、同じような状況にあったのではないか、と。下手をすれば樹凛も、彼女と戦っていた小柄な手刀使いの人物も。


 この三人に共通して言えるのは、戦闘体勢に入った時にオッドアイが露見する、ということだ。逆に相違点は、輝く方の瞳の色が何色なのか、ということ。


 僕がこうして自分なりに考察していたのも一瞬のこと。西浦は口元に手を遣りながら、話を続けた。


 西浦からすれば、学校というのはまさに自分の征服地に他ならなかった。というより、是が非でも征服しなければならない場所であり、時間であり、拠り所だった。

 親の関心事から、自分を除外させることができる。それだけで、かなり歪な形ではあるけれど、西浦は自分の帝国を築いていたのだ。


 一度築いた自分の牙城を、他者に奪還されるわけにはいかない。

 西浦はいつしか、そう思うようになった。単純に考えれば、自分が強いことを皆にアピールできればそれでいい。しかし、クラス全体を敵に回すことは、帝国の崩壊と同じことになってしまう。


 そこで思いついた、というか無意識から意識に上がってきたのが、誰か一人を生贄にする形でいじめの対象とし、暴力の輪を自分から周囲へ広げていくことだった。

 その前段階を実行に移すべくクラスメイトを観察し、偶然目に入ったのがこの僕、葉桜碧だったというわけだ。


         ※


「そこからは皆が知っている通りです。本当は俺も、いい加減いじめなんてしたくなかったんですけど……。でも、周りの連中が悪事を思いつく度に好き勝手やらせておかないと、俺は仲間から外されて、今度は俺がいじめられることになるんじゃないか。それが怖かったんです」


 そう言って、西浦は崩れるように椅子に腰を下ろした。


(ありがとう、西浦くん。君のバックボーンの概要は掴めてきたよ)


 川野は落ち着いた表情で、西浦をじっと見つめた。西浦は俯いて、その視線は机の上をふらふらとさまよっている。


(君とは個別にもう少し話をしたいんだが、どうかね?)

「俺は、大丈夫です」

(了解だ。白亜、黒木。碧くんと樹凛さんを食堂へお連れしてくれ。だいぶ話が長引いてしまったが)

(分かりました。黒木、参りますわよ)

(へいへい。行くぜ、人間二名様)


 僕は樹凛の横顔を一瞥し、ゆっくりと席を立った。


         ※


 天国にある食堂は、これでもかというほど広大だった。

いったいどれほどの床面積があるのか。天井はどうなっているのか。照明となる光源はどこにあるのか。


 謎ばかりだったが、そんな疑問は一瞬で消し飛んだ。

 何だ? 何なんだ?

 この香ばしく刺激的で、かつそれらをそっと内包していくような滑らかな優しい香りは!?


(はいは~い、今日のランチはハンバーグのカレーソース和えでーす! いかがでしょうか~?)


 食堂のおばちゃんの声は、高校の学食のおばちゃんのそれとさして変わらない。だが、天国の方では足が思わず注文口に向かってフラついてしまうような、謎の魅力があった。そもそも、こんなにいい香りを提供している時点で罪なのだ。


「ううっ、人の胃袋を何だと思ってるんだ……」


 少しくらい場を和ませることができれば。

 そう思って口にした言葉だが、誰からも反応はなし。滑ったな。


「ご、ごめん、樹凛、あんな深刻な話をした直後だっていうのに、不謹慎だよね、僕」

「……」


 僕は振り返り、樹凛を正面から見つめた。そしてようやく気づいた。彼女の顔面から、笑顔が完全に失われていることに。


(おっと、いけない! 神様への報告担当官はわたくしでしたわね! 昼食はまた後に致しますわ。それでは)

(ああ、あたいもちょっくら用事! 悪いけど、昼飯は二人で済ませてくれ。完全無料だから、好きなもんを好きなだけ食っておけ! んじゃっ!)


 白亜と黒木が同時にいなくなり、僕は固まってしまった。

 なにぶん、テンションどん底状態の樹凛と二人っきりなのだ。それに、僕が面白味に欠ける人間だということは、さっきの台詞と皆のリアクションが証明している。


「ご飯を貰いに行きましょう、碧くん。冷めちゃったら勿体ないし」

「そうだね、僕も行くよ」

「うん」


 樹凛は平静を装っていたが、胸中は荒波立っているに違いない。微かに手先が震えていたから。

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