第四十二話 光射す方へ

 それから私はグエンに事の顛末を全て教えてもらった。


 私を送り届けてすぐに兄様のもとへ連れて行かれたこと、殿下の考えるこの国の未来のこと、そして儀式の真相。



 何もかも全てを知った。




「じゃあ、儀式をするのは最初から私じゃなくてもよかったんですね」


 


 あの儀式は本来はこの国の上に立つ者の覚悟を問うていて、それを王室の血が色濃く出たフェアリーダイヤの乙女が直系王族の補助のもと代行していた。そしてそれを、殿下はあるべき姿に戻した。


 儀式は成功し、私もグエンも死なずに済んだ。辺境伯は国外追放、メンバーたちは政党としてこの国の新たな未来を歩み始める。


 何もかもが上手くいった。ハッピーエンドだ。



 なのに、どこか喜びきれないのはなぜなんだろう。


 


「……私は、乙女であることを嫌だと思ったことはありません。そう育ったからと言われたらそれまでのことですが、儀式は私の存在意義だったんです」

「ティーニャ……」

「儀式を成せなかった乙女なんて聞いたことがありません。これから私は一体どう生きていけばいいんでしょうか」


 


 ぼんやりと窓の景色を眺める。向かいに座ったグエンはかける言葉が見つからないのか、黙って私の目を見るだけだった。


 


「この歳から士官学校に入って……いや、軍務は諦めて別の道に進んだほうが」


 


 下手に兄弟と同じ道に行くよりも、違う道を選んだ方が兄弟に引け目を感じなくていいのかもしれない。


 そう思ってぽつりと呟くとグエンが突然驚いたように声を上げた。



 

「えっ、俺と旅するって話は?」

「え?」

「言ってたじゃん、この先の世界に行ってみたいって」



 

 勿論そう言ったことは覚えてる。夕日の先にある世界はどんなものかと、そこにグエンと行けたらどんなに楽しいかと夢想したあの日は私にとって忘れられない一日だ。


 でもそれは出来ないからこそ気軽に言えたことであって、実現するには立場が許さないだろう。


 


「行きたいのは山々なんですけどね。私にも貴族としての責務がありますし、家のために働かなければいけないので」

「……その家って、決定権は当主にあるんだよね?」

「はい」

「もっと言うと、侯爵家の主君である王室にあるってわけだ」

「はい、そうです」



 

 そうだ、兄様にも恩返しをしなければいけない。私のために忙しい中殿下と共に奔走してくださったのだ。


 殿下と兄様のためにも、これからのことをきちんと考えなければいけない。



 グエンと旅に出たいのは勿論本心だけど断らないと。


 そう思って口を開こうとして、グエンが差し出してきたものに目を見開いた。


 


「実は俺、こんなもの持ってるんだよね」

「……嘘、なんでこれ……」

「ん?まぁ身内の尻拭いって殿下は言ってたけど。なんでもいいじゃん」


 


 王室の薔薇の紋が透ける上質な紙、そこに書かれていたのはあまりに私にとって都合が良すぎる話だった。


 


「光輝の侯爵家第三子エグランティーノ、交易活性化を目的とした交易隊結成に先駆け、西方の視察を命ずる」

「嘘、だってそんなの……聞いたことない」

「聞いたことのないことをするのがこれからの国だよ。だって俺みたいな平民にまで同じ勅令を殿下自ら発してくださるんだから」


 


 グエンが出したもう一枚の勅令には全く同じ文面がグエン宛に書かれている。


 信じられない、だって私は自分の責務を全うできなかったのに。こんな嬉しいことがあっていいのだろうか。


 


「うちの妹は知識はあるが経験は少ないから、軍務や政治の前に世間を知ってもらわねば……ってアレクシスも言ってたよ」

「兄様……!」


 


 胸が熱くなって涙で視界が滲む。


 嬉しい、昨日とは見える世界がまるで違う。こんなにもあたたかくて、嬉しくて、幸せで、希望に満ち溢れている。


 


「ティーニャ、おいで」

 



 いつかのようにグエンの横に腰掛けて、穏やかな瞳をじっと見つめる。


 


「ティーニャの本心を聴かせて。エグランティーノじゃなくて、ティーニャはどう思ってるの」



 

 私の頬に伸びる手の熱さを感じながら、こつんと額が合わさった。


 本心、私の素直な気持ち、そんなの沢山ありすぎて伝えきれない。でも一番最初に思ったのは……


 


「う、嬉しかった……私、わたし……グエンが生きててよかった……!!」

「俺も、ティーニャが無事でよかった」

「グエンを好きでいられるのが嬉しい、家族を好きでいられるのが嬉しい、グエンに心をあげられたのが……人生で一番嬉しい」



 

 ポロポロと涙が溢れて止まらない。ドクドクと心臓の鼓動がうるさいくらい聞こえて、頬を伝う涙が熱くて熱くてたまらない。


 幸せすぎて夢なんじゃないかと怖くなった私の唇に、触れるだけのキスが落とされる。



 

「そういえばまだ返事を聞いてなかった。ティーニャ、また俺と旅に出てくれる?」

「うん……うん、行く!グエンとずっと一緒にいる……」


 


 生きている、グエンも私もまたこうして一緒にいられる。

 抱き締めた大きな身体はトクトクと優しいリズムを刻んでいて、私は自分の気持ちのままにその身体に身を寄せた。


 


「あ、そうだ。グエン、あの宝石まだ持ってますか?」

「ん?ここにあるけど」

「よかった……」


 


 変わらぬ輝きを放つゴールデンベリルを受け取り、その美しさに思わず見惚れてしまう。


 本当にグエンの瞳みたいにあたたかくて優しくて綺麗な宝石だ。


 


「本当はあのとき、こう言いたかったんです」


 


 私の心をあげられないと思っていたから言えなかった言葉。


 想いを交わしたときのように手のひらにゴールデンベリルをのせて、グエンに差し出す。


 


「グエンの心を私にください」

 



 玉心の雫ではないそれは決して光を放つことはないけど、グエンの顔を見ればその気持ちは十分に分かった。


 薄い唇が金に輝くそれに寄せられて胸が熱くなる。


 


「勿論、心だけと言わず全部もってってよ」

「いいんですか?私、もしかしたら『やっぱ好きじゃないかも』ってなるかもしれませんよ」

「それは困る。でもそのときはまた好きにさせるよ。たった数日でティーニャが俺のことを好きになったみたいに、人間の心なんて簡単に変わるんだから」


 


 どこかで聞いたことのあるフレーズに笑みが溢れる。


 そうだ、私たちにはこれからの人生がある。

 もしかしたら今までよりも辛いことが起こるかもしれないし、お互いが嫌になるときが来てしまうのかもしれない。


 それでも、そんな嫌なことさえも二人で経験できるのが嬉しくてしょうがなかった。



 

「ティーニャ、結婚しよう」

「ふふ……勿論!」


 


 そうしてもう一度キスをしようとしたとき、ふと馬車が止まった。



 

「こらこら、いつまでもいちゃつくな」

「で、殿下!」



 

 開いた扉の先にいた殿下にバッチリ抱き合っているところを見られてしまった。幸いにも姉様には見られていなかったみたいだけど、主君にこんなところを見られるなんて恥ずかしすぎる。


 


「若いな。我が夫も合流したことだし、私も励むとするかな」

「お、夫!?婚約の話なんてありましたっけ?」

「いや、私が勝手にそう呼んでるだけだ。お前達も祭りを楽しめ。私も行ってくる」


 


 驚いた、次期国王の婚礼ともなれば大々的に祝われるはずなのに、とうとう私はそこまで世間知らずになってしまったのかと……


 でも行動力のある殿下のことだ。きっとその言葉をいつか現実にしてみせるのだろう。



 

「……あの人も恋愛とかするんだ」

「まぁ、綺麗な人ですから」

「俺のイメージ言っていい?絶対尻に敷いてる」

「グエンも充分敷かれてますよ」

「俺はいいんだよ」


 


 別働隊から合流した黒髪の鴉のような護衛を引き連れてウキウキと祭りの席に向かう殿下は大仕事をしたという感じでは一切なく、普通に日々の仕事を終えた後のような雰囲気だった。


 


 この礼拝堂での出来事は私にとっては天地がひっくり返るような正に青天の霹靂だったけど、彼女にすれば全て読み通り……殿下の中でこうなることは既に決まっていたのだろう。



 

「どうぞ、俺の乙女」


 


 地面に降り立って差し出されたグエンの手をぎゅっと握り締める。



 

「私たちも行きましょうか」

「そうだね。ちょうど盛り上がってるところみたいだし」


 


 私を見下ろす優しい目に微笑み返してそっと身を寄せ合う。



 全く想像もしてなかった未来が訪れた。これから先の人生がどうなるのかなんてちっとも想像がつかないけど、でも不思議と怖くはなかった。


 嬉しいことも悲しいことも、感じられる幸せが私達にはある。

 



 満点の星空では、それはそれは美しい満月が隈なく世を照らしていた。

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