第四十一話 私を殺してフェアリーダイヤにキスをして
「ところで、この宝石は君のか?」
礼拝堂に向けて発つ直前、殿下がゴールデンベリルを机の上に載せた。
「あ……それはティーニャにもらった……」
「さっきも思ったが、うちの妹をティーニャなどと呼んでいるのか!?」
「あははは!バカップルってやつだな」
苦々しそうな顔をするティーニャの兄にしまったと思ったものの、言ってしまったものは仕方がない。
それにしても失くしていなくてよかった。騎士の勲章はここに連れて来られる途中で落としてしまったらしいけど、そんなものよりもティーニャからのプレゼントの方が大切だった。
「アレクシス、宝石をやるなんて健気な妹御だな」
「健気というか、危機感がないというか……」
「いや、俺も高価すぎるって一回は断ったんですけど」
アレクシスは首を横に振ると、深いため息をついて頭を抱えた。
「値段の話ではない……宝石を異性に贈るのは我が侯爵家のプロポーズの決まりなんだ」
「乙女の挿絵でも天馬に玉心の雫を捧げるときにキスをしているんだが、あれは別に儀礼的なルールではなく玉心の雫を扱う時の侯爵家の風習なんだ。結婚を申し込むときは自分の玉心の雫にキスをして相手に捧げる、というね」
まさかの事実に思わず目を見開く。
ティーニャ、これくれるとき石にキスしてたよな。いやこれは別にただの宝石だしティーニャの心ではないんだけど、でもきっとティーニャは多分そういう意図でくれたんだろう。
嬉しい、可愛すぎる。なんだそれ、知ってたらもっと喜べたのに。
「ニヤけるんじゃない!本当に一大事なんだぞ。そこから正体がバレでもしたら……」
「殿下、相手に心を捧げるって仰ってましたけど出来るんですか。天馬に捧げるってのは何回も聞いたんですけど」
「ん?できるぞ。なぁアレクシス」
「はぁ……まぁ、互いに想い合っていれば心が自然と応えるそうだ」
その直後に続いたアレクシスの言葉を思い出しながら、重ねた手の中にあるティーニャの玉心の雫をギュッと握りしめる。
陰から様子を見ていたけど、確かに辺境伯がここに突入する直前にティーニャは宝石にキスをしていた。
するなら今がチャンスだ。
天秤に向けて手を伸ばそうとするティーニャの手を力尽くで引き止めるとキッと榛色の瞳に睨みつけられる。
「グエン、離して!私はこのために生きてきたんです!」
「離さない」
全力で足掻こうとする腕は俺の手の力のせいで赤くなっているけど、性差のせいでちっとも動かない。
ごめんねティーニャ、痛いよね。でも俺も譲れないんだ。
震える腕を前に、いつかしたときと同じようにティーニャの前に跪く。
「ティーニャはこんなものに心を捧げるために生まれてきたんじゃないよ」
ギュッと閉じた手を無理矢理広げさせると、ほのかに色を濃くしたティーニャの心が顔を出した。
なんとか手を閉じようと力む手を易々と押さえつけて、そのあたたかな薔薇色のダイヤモンドに顔を近づける。
「グエン!駄目!」
「ティーニャのダメは嫌じゃないでしょ」
「屁理屈言わないで!」
忌々しげに俺を見るティーニャに少し傷つきつつも、目の前の宝石がどんどん熱くなっていくことにホッとする。
よかった、ティーニャの心は本当には嫌がってない。
真っ白な花嫁衣装みたいな服が自分のためではないのが腹立たしいけど、それでもその服はティーニャの柔らかな雰囲気によく似合っていて、夜の闇の中にいると星みたいにキラキラと輝いていた。
「ティーニャ……いや、エグランティーノ。俺から君に願いがある」
「グエン、本当にやめて。それだけは……それだけは本当に駄目なの」
顔を青くするティーニャをよそに、闇夜に光る玉心の雫に唇を寄せる。
これは俺の一世一代の言葉だ。だから頼むティーニャ、俺の気持ちに応えてくれ。
「俺を世界で一番幸せな人間にしてほしい。ティーニャの心を俺にちょうだい」
その瞬間、夜空の星屑が落ちてきたみたいにティーニャの心が小さく輝き始めた。
「俺と一緒に生きてくれないか」
ハッと目を見開いてその光をじっと見つめるティーニャの瞳がいつかと同じようにじんわりと淡い薔薇色に染まっていく。瞳だけじゃない、陶器みたいに真っ白だった肌もほんのりと瞳と同じ色に染まって、手の中の光はどんどん眩くなっていく。
「あぁ……そんな、こんなはずじゃ……」
光の粒が弾けると共に、膝から崩れ落ちそうになるティーニャを抱き止める。はらはらと涙を流す彼女には悪いけど、俺はティーニャの正体を知ってから初めて心の底から安心できた。
そして、俺たちの姿を一瞥した皇女が天秤に向けて軽く息を吹きかける。
ふわりと天秤に舞い落ちた花弁は天秤を動かし、月が現れるその寸前に水晶に光が満ちた。
「心配するなエグランティーノ、儀式は成功だ」
「え……?」
目を真っ赤にしたティーニャは俺のシャツをギュッと握りしめ、呆然とその光を見上げる。
天馬の羽のように伸びた水晶はそれはそれは美しく輝き夜の闇を照らしてくれた。
「我々は仲間だ。その騎士も、私も、アレクシスもな」
「兄様と殿下はまだしも、グエンも……?」
「そうだ、最初はうちの妹に手を出す不埒者として始末しようかと思ったが……彼はずっとお前を気遣ってくれていただろう」
厳しい眼差しを向けられて思わずアレクシスから目を逸らす。
一体どこまで見られていたのかと内心ドキドキするが、認めてもらえたなら取り敢えず良かった。
「ティーニャ、俺たちはティーニャの邪魔をしにきたんじゃない」
「でも、私は儀式のために生きてきたのに」
「エグランティーノ、そんなことを言うな」
殿下がいつも手慰みに持っていた宝石をアレクシスに渡す。宝石の王様とも言われるそれは、いつかティーニャが見せてくれたときと同じようにアレクシスの体の中に入っていった。
途端、アレクシスの目からボロボロと涙が零れ落ちる。皇子を伴って現れたグレース侯女も目を赤くしていて、ティーニャは二人の元に駆け出した。
「兄様、姉様……」
「よかった、本当に良かった……エグランティーノ」
「うっ、エグランティーノっ……グレース、っう……」
今までの仏頂面が信じられないくらい男泣きをするアレクシスに驚いていると、ニタニタと笑いながら皇女がこちらに向かって歩いてきた。
「あれは昔から心根が優しい男だ。下の兄弟が戦場に出ることもエグランティーノが心を失うこともずっと気に病んでいてな……根っからの軍人で感情をあまり表に出さないグレースと違って、こうして玉心の雫を預かってやらないとすぐ泣いてしまうんだ」
一番泣いてるだろう、という冷静な殿下の言葉通り、しくしくと涙を流すティーニャよりもアレクシスはよく泣いていた。そしてそんな二人を侯女は確かめるように優しく包み込む……なんとなく彼らの兄弟関係が分かったような気がする。
この人たちの一体どこが薄情なんだ。家族に会うことさえずっと避けてきた俺よりもよっぽど家族思いじゃないか。
静かに立ち上がって三人の抱擁を見守っていると、気まずそうに目を彷徨かせた第一皇子が王立軍の護衛と共に礼拝堂を出て行った。
彼も無事保護されたらしい。
「兄上も無事でよかった。あんなんだが私にとっては家族だからね」
その言葉に偽りはないと、殿下の表情を見れば分かった。
「殿下」
一通り感情の波が落ち着いたのか、ティーニャが目元を押さえながら殿下の前に跪いた。
「儀式を最後まで果たすことができず、申し訳ありません」
「いや、本来は違うんだよ。我々が担わなければいけないことを瞳の色だけで押し付けて……騎士、帰りの馬車で彼女にも説明をしておいてくれるか」
殿下の指示に頷いてティーニャの手を取る。本当は今すぐにでも抱き締めたいけど、家族の前ではよろしくないだろう。
「さて、そろそろ外に出ようか。街ではもう祭りが始まっている、我々も帰ろう」
***
礼拝堂を出ると、その前には投降した兵士たちが集められていた。
山で見張りをしていた男、アジトで話したことのある男、そしてレイモンド。
冷たい目で俺を睨み付けるレイモンドは俺の横に立つティーニャを見て憎々しげに表情を歪ませた。
「どうも諸君、君達の懸命な判断にまずは感謝しよう」
落胆する者、レイモンドのように睨み付けるもの、呆然とする者、様々な表情を浴びても尚殿下は朗々と声をあげた。
「此度の襲撃は現政治体制への市民の声だと我々も理解している。無論無実の乙女を標的にしたことは許されることではないが、その咎は辺境伯に負ってもらう」
「僕たちは無罪放免だと?信じられるか」
「安心しろ、諸君らにも償いはしてもらう」
そこから語られたのが、以前俺にも伝えられたこれからのこの国の方向性についてだった。
「私が王についたら内政改革を行う。王室と癒着した一族のみで組織されたサロンを拡大化、制度化し、議会を作り上げるつもりだ。そしてそこでは試験を突破した貴族と選挙を潜り抜けた市民からなる議院を設置し、それぞれに意見の合う者たちと徒党を組んでもらう」
「そんな綺麗事、どうせ選挙に出られるのは一部のブルジョワジーだけだろう」
「物事には段取りというものがある。それに人の話は最後まで聞くことだ」
落ち着けレイモンド、気持ちは分からなくもないが。
いきなり理想形に辿り着くにはこの国にはまだまだ至らない点がありすぎる。
初等教育、国防の強化、労使関係、財政の健全化、一つずつこなしていくしかないんだ。
「私が君たちに課す償い、それはこの国の豊かな未来を作ることだ。暴力に訴えずとも言論で世を変えられる時代を私が作る。そこで諸君らは知識を得、議論を深め、君たちの理想とするこの国の未来を作っていってほしい。私一人では出来ない。皆の力が必要だ」
この場の空気は完全に殿下のものとなっている。ティーニャも彼女の言葉に目を輝かせているし、ギラついた目をしていたレイモンドも少し考えるように目を伏せている。
これが王室のもつ魅力の祝福……いや、殿下の持つカリスマ性か。
「ここまでこの国のために動いた行動力を、次は私のもとで活かしてもらう。話は以上だ。アレクシス、彼らを駐屯地まで」
「かしこまりました」
捕虜を任されたアレクシスを置いて殿下とグレース侯女が馬車に乗り込む。
それに続いて俺たちも別の馬車に乗り込めば、ようやく俺たち二人の時間が訪れた。
何から話そうか、何を伝えようか。ティーニャに言いたいことが多すぎて言葉が出てこない。
でも大丈夫、時間は沢山ある。
そうして何度も何度も考えて、ようやく出てきた言葉は至ってシンプルなものだった。
「会いたかったよ、ティーニャ」
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