第二章 爛漫の都

第八話 爛漫の都

「ティーニャ、ティーニャ、着いたってさ」

「んん……?」


 


 ゆさゆさと大きな手に肩を揺さぶられて意識が浮上する。



 眠い目を擦って目を開けると、寝ぼけ眼のグエンが欠伸をしながら荷物の準備をしていた。



 

「着いた……?」



 

 遠くで鶏がけたたましく鳴き声を上げる。ぽつりと小さく呟いた私の声に、グエンは馬車のカーテンを開けて応えた。


 

 

「そ、都だよ」


 


 少しずつ意識が覚醒していく。

 ふと膝を見下ろせば、肩までかけていたはずの上着が膝の上でぐしゃぐしゃになっていて、私は羞恥で思わず頬を赤らめた。こんなに寝汚くなるほど熟睡していたらしい。


 グエンが隣にいるのにこんなに油断するなんて。どうしよう、いびきとか寝言とか歯軋りとか聞かれてたら……涎垂れてない?白目剥いてなかった?



 

「あ、あの、熟睡しちゃってたんですけど、私うるさくありませんでしたか?」

「全然、寧ろ生きてるか心配になるくらい静かだったよ」

「よかったぁ……」

「心配しなくても俺も熟睡だったから」


 


 取り敢えず恥ずかしいところは見られてなさそうで胸を撫で下ろす。

 グエンがそういう失態を揶揄うことはないだろうと思える程度にはグエンのことを信用してるけど、信用しつつあるからこそ私のだらしないところを見て幻滅されるのが嫌だった。


 


「それより荷物とか他の心配はしなくていいの?」

「え?」

「……や、なんでもない。さて、準備が済んだら早く降りよう。風呂入りたくない?公衆浴場行こうかな」

「私は……宿で水を借ります」

「それがいいよ、男はまだしも特に貴族の娘が行くところじゃない」


 


 確かにそろそろ身体を拭きたい気分だ。川に入って足はスッキリしてるけど、ずっと座ってたせいで背中とかがベタベタしてる気もする。


 


「グエンは人探しをするんですよね。都にはどのくらい滞在する予定なんですか?」

「知り合いも探してくれてるからそこまで長居はしないよ。数日くらいかなぁ。ま、でも旅に出るのに家の契約切っちゃったから、今回は宿借りないとね」


 


 そっか、グエンも前までは都に住んでたんだった。


 ぼんやりと寝起きの髪に櫛を通して毛先を編んでいく。自分の見えないところを編むのはやはり難しい。


 


 手間取ってもたもたと腕を動かしている私をグエンはとうとう見かねたらしい。


 


「俺が編んであげようか?髪に触ってもいいなら、だけど」

「いいんですか?お願いします」


 


 お言葉に甘えると、この髪型に慣れているグエンは手際よく髪を束に分けてスムーズに髪を編んでいく。

 

 知り合ったばかりの相手に頭を触らせるなんて、私たちも短期間で随分と打ち解けたものだ。


 


「あの、取り敢えず都までって約束でしたけど、どうします?グエンさえよければ私はこのまま一緒に行けたらって思うんですけど」

「いいよ、俺たち気が合いそうだし。俺もちょうどそう思ってたとこ」

「よかったぁ」

 



 グエンは男性だけど姉様が言うような色情魔ではないし、身分や金銭的な余裕があるからか私のお金を盗むなんてこともしない。

 旅をするうえでこれ以上のパートナーはいないと思っていたから、彼と旅を続けられるのはかなり心強かった。


 


「はい完成。人の髪を編むのは初めてだけど結構良い感じにできたよ」

「流石ですね」


 


 満足げにうんうんと頷くグエンに礼を言って帽子を被る。


 馬車の扉を開けると、村と違って早朝にもかかわらず賑やかな声が聞こえてくる。どうやら私たちと同じように馬車で都まで来た人たちがここに集まっているらしい。


 


「ありがとうございました、これお代とチップです」

「これは俺からね」

「毎度あり!」


 


 御者に礼を言って地面に降り立つ。


 統一感のある街並みを忙しなく行き交う人々の空気感を初めて目の当たりにして私は圧倒された。

 同じ都でも雰囲気が全然違う。私の住んできた区画がまるで鳥籠みたいに思えるほどこの街は豊かで自由で華やかで、どこかよそよそしい。


 

 知らなかった、この街はこんな顔をしていたんだ。


 


「あれ、都の街にも出たことないの?」

「はい、恥ずかしながら」

「恥ずかしくないって。来なよ、俺が案内してあげる」

「あ……」


 


 私を置いて歩き出してしまったグエンのあとを慌てて追いかける。


 私が住んでいたのは都の中でも皇城近くの貴族の屋敷が立ち並ぶセパヌイール地区。限られた人間しか入ることができない、賑わいとは真逆の閑静な街だった。


 グエンがいてくれて本当によかった。私だけだったら宿を取る前に日が暮れていてもおかしくない。


 


「屋敷には寄らないんだよね、先に宿取ろっか」

「はい。あの、それなんですけど、宿も同じ部屋にできたらなって……」

「は?!」


 


 暗殺者は勿論変質者という意味でも宿は特に押し入られたら危険だと姉様に口酸っぱく言われた。グエンは私に変な気を起こすこともないし、部屋だって一人一部屋よりも二人で一部屋にしたほうが安く済む。



 

「あ、でも恋人とか奥さんがいるなら全然断ってくれても……」

「や、いないけど。俺結婚とかまだしたくないし」


 


 唸りながら首筋を押さえるグエンにやっぱりダメかと肩を落とす。そうだよね、そんな気はなくても未婚の男女が同じ部屋なんてはしたないし、悪いこと言っちゃったな。


 


「あの、やっぱり……」

「……や、いいよ。あんたに恥はかかせられない。お互い着替える時は部屋の外で待てばいいし、確かに男同士の二人旅で別の部屋を取る方がおかしい。その代わりベッドは二つだよ」

「当たり前です!」


 


 よし、これで一先ず宿の中での安全は確保できた。私を狙う人たちも、まさか貴族の娘が男性と同じ部屋に寝泊まりしてるなんて思わないだろう。


 一安心すると自然と周囲を見る余裕が出てきて、私は初めて見るものへの興味を抑えられなくなってきた。


 


「あの看板は何の店なんでしょう」

「あそこが風呂屋だよ。俺が今日行く予定のところ」

「じゃああれは?ボタンの看板だから服屋?」

「手芸用品店かなぁ、あんまり注意して見たことがないからわかんないけど」

「じゃああれは?あの路地の先の……」

「あれは……どっかの商会の本店だな」


 


 知らないものだらけの自分に呆れたりせずに一つ一つ教えてくれるグエン。最初は揶揄ってくる斜に構えた人だと思ってたけど意外と面倒見がいいのだろう。もしかしたら下に兄弟がいるのかもしれないな。



 

「わぁ、あの店すごい人だかり!美味しそう……!」

「あぁ、あそこのパニーニは美味しいらしいよ」

「買ってみても?」

「いちいち聞かなくていいよ。折角なんだからしたいようにすればいい」

 



 お言葉に甘えて行列の最後尾に並んで、チーズの焦げる良い匂いに期待を膨らませる。



 これだけ人がいたら誰かしらにグエンの正体がバレたり過激派に狙われたりしそうなものだけど、みんな自分のことに精一杯なのか私達に注目する人は誰もいなかった。


 人を隠すなら人の中、ということだなと得心がいく。



 

「ウェインも食べる?今まで色々と教えてくれたお礼に奢るよ」

「お、じゃあ有難くご相伴にあずかろうかな」

「僕はあのトマトのやつにしようかな……でもあのお肉が入ったやつも美味しそう」

「加熱したやつにしときな、腹壊すから」

「じゃあお肉の方かなぁ」


 


 人は多いけど回転がいいのかあっという間に私たちの番が来た。

 手際の良い看板娘に注文を伝えてお金を渡すと、すぐに二人分のパニーニが直接手渡される。


 


「あれ、食べ物を買うのは初めてじゃないんだ」

「だってウェインに出会う前にサンドウィッチ食べたし、靴磨きもしてもらって帽子も買ったから」

「ぼったくられなかった?」

「ぼったくられるのも騎士の仕事だよ」

「言うじゃん」

 



 少し離れた壁際に移動してはむりとアツアツの生地に噛みつく。

 屋敷にいたころはこんな素手で大口を開けた食べ方なんてありえなかったけど、この格好をしていると殆ど抵抗なく素手で食べ物を摘んだり出来るようになってきた。


 フェアリーダイヤの乙女としてじゃなく、一人の人間として生きている。まるで自分が新しい人間に生まれ変わったみたいでくすぐったい気持ちになった。



 

「むっ、意外と食べるのが難しい……」



 

 歯ごたえのある生地を飲み込んで、こぼれ落ちそうな具材に噛みつく。こんがり焼けた肉からじゅわりと溢れ出した肉汁が熱くて、生理的な涙が溢れてくる。


 


「熱い……!!でも美味しい!」

「やっぱ肉は美味しいね」

「塩漬け……?でも香草の良い匂いもするような」

「臭みを消すのに色々入れてんだよ」


 


 確かに豚特有の臭みが奥にあるけどあまり気にならない。なるほど、こうやって美味しく食べる工夫をしてるんだ。


 


「グ……ウェインもこれで良かったの?他にも沢山お店あるけど」

「自分で食べたいと思う店は大抵行ったことあるからいいよ。あんたに合わせたからこの店が美味しいってことも知れたんだし」


 


 その言葉になんだか胸が温かくなって思わず笑みがこぼれる。


 


「ふふっ」

「何?」

「いや、美味しいね」




 街に入ってまだ半日も経ってないのに、この瞬間が住んでいた十数年よりも濃い時間であるかのように感じられたのは私だけの秘密だ。

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