幕間 街角の占術師
「道が渋滞してるから出発できないってさ。どうする?」
外で聞いてきた噂を引っ提げてティーニャのいる馬車に戻る。
ここは街道沿いの小さな町。
小さいながらも賑わいのあるここは都の前の最後の休憩地点であり、財布の紐と気の緩んだ旅人を相手取った客商売が盛んな町だ。
どうやらこの先の路上ではどこぞの貴族達の御一行がどっちが先に出発するかで揉めているらしく、今この町に止まっている馬車は皆半刻ほど出発が遅れるらしかった。
「少し通りを見てもいいですか?さっき馬車から見たときに面白そうな店があって」
「ん、いいよ」
あと半刻ほどならこのこぢんまりとした露店たちを見ていればあっという間に時間は過ぎるだろう。
馬車に残る御者に少し観光することを伝え、馬車を降りて目当ての場所まで歩きだしたティーニャについて行く。
煉瓦造りの街並みは生活感溢れる平凡な造りなのに、そこに溢れかえる多種多様な人のおかげでどこか異国のような華やかな様相を呈していた。
一見市場っぽいけどどちらかといえば観光で成り立ってる町なのか、いつもは休憩地点としか思ってなかったから気がつかなかったな。
「すごい人だね。目が回りそう」
「この程度で目が回ってたら都の大通りに来たとき倒れるんじゃない?」
客引きをする看板娘に手を振りつつも物珍しそうにランドマークの銅像を見上げるティーニャは、都に住むご令嬢というよりは完全におのぼりさんだ。
そんなくだらない会話をしながらパン屋の隣の路地を通り過ぎようとすると、急に誰かに声をかけられた。
「もし、もし」
突然のことに肩を飛び上がらせたティーニャと恐る恐る振り返ると、通り過ぎようとした路地の薄暗い突き当たりに誰かがいた。
「聞こえましたか?」
「うん……ここだよな」
「えぇ。行ってみますか?」
顔を見合わせて小さく頷き合う。
恐る恐る埃っぽい路地に足を踏み入れると、湿った石畳がぴちゃりと音を立てた。
野鼠の走る音を足元に聞きながら、陰になった壁際に目を細める。
嗅いだことのないスパイシーな香り、怪しく光る石の数々、その石を爪弾く皺だらけの指。年老いた占術師が粗末な露店を構えていた。
異国風の飾りを額につけ、いかにもな風貌で椅子に座る老婆は緩慢な動作で俺たちを見上げると一言呟いた。
「いばら」
「へ?」
唐突な言葉にティーニャが気の抜けた声をあげる。いばら、薔薇についている荊棘のことか?なんでそんなことを。
思わずティーニャと顔を見合わせると、ティーニャも心当たりがないらしく首を大きく傾げていた。
「座りな」
「え、でも」
「あんた達二人とも訳アリなんだろう。座らないなら警邏に突き出すよ」
ぎょろぎょろと血走った目が俺たちを見定めるように見つめる。
占いなんてのは大抵が統計的なものか、相手の身なりから推測された一般論でしかない。恐らくはこの老婆はやけに新しい服を着たティーニャを見て俺たちにカマをかけている。女にしか見えない男装と、そんな女と旅をしている男なんて誰がどう見ても訳アリだ。
真横の世間知らずさんはそんなこと知らないはずだからコロッと騙されてるかもしれないけど……と小さなつむじを見下ろして、その瞳が意外と冷静なことに驚いた。
「意外、飛び上がって喜ぶかと思った」
「昔に占いの本でタネや仕掛けを読んで……と言っても子供のお遊び程度のものだけど。おばあさん、いばらってどういう意味ですか」
「意味も何も言葉の通りだ。あんたらの全身には荊棘が這っている、夥しい数だ。美しいけれどおぞましいね」
一体この老婆は何を見てそう思ったのだろうか。駆け落ちでもしたと思われたんだろうけど、客商売でこんな縁起でもないことを普通は言わないだろう。占いなんてのは相手に幸せが来ると言って儲ける商売だ。
ティーニャも同じことを疑問に思ったのか、椅子を引いて浅く腰掛けたので俺もそれに倣って小さな椅子に座った。
「この国で一番美しいものを知ってるかい」
「美しいもの……いえ、知りません」
「だろうね。あんたらはまだそれを探す旅の途中だ。長い長い、いばらの旅路だ」
美しいもの、いばら、その二つから自然と連想されるのはこの国の象徴でもある王室の薔薇の花だ。
もしかしてこの老婆は俺が旅をしている目的を察しているのか?でも仮にそうだとしてもティーニャの方のいばらの説明がつかない。彼女も俺と同じだと言うのなら話は別だけどその可能性は低いだろうし、あるとすれば彼女の血筋か?
もしティーニャが王室に関係する家柄なら少し厄介だな。この世には匂いのしない花も沢山あるし、この子の見た目なら王室の血筋でもおかしくない。
「大事なものは心の中にある。陳腐な言葉だろうがね、勝手に使命を負った気になって雁字搦めになってる若者のなんとまぁ多いことか」
「はぁ……」
「大事なのは何をすべきかよりも何をしたいか。やらない言い訳を探さずにやりたいことをやっていれば、自然とすべきことはなされるんだ」
「な、なるほど?」
「心配はいらない、あんたらは幸せになれる」
……話の長そうな占術師だな。ただの客引きにこれ以上は付き合ってられない。
「で、つまり何が言いたいの?」
「要はあれだよ。あれ……自分の心の声に耳を澄ませるんだ」
話を切り上げたくて結論を急くと、急に老婆が陳腐なことを言い始めてもう一度二人で顔を見合わせる。
意味深なことを言っておいて結論がこれって、結局最初の読み通りカマをかけられただけだったってわけか。
「ありがとうございました、おいくらですか?」
ティーニャも少し期待外れだったのか、これでお終いとばかりに財布を取り出す。
流石お嬢様、客引きに付き合わされても気前よく金を払うなんて。
まあタダほど怖いものはないし、これで引いてくれるなら……と思っていると、意外なことに老婆は首を横に振った。
「お代は結構。こちとらもう何年も飲み食いしてないんだ、金なんてあっても厄介事の種になるだけ」
「そ、そうですか」
面倒なことを言うなよ、ティーニャも返事に困ってるだろ。
早く帰ろうと立ち上がったときには老婆はもう俺たちに興味はないのか、うつらうつらと船を漕ぎ始めていた。
「なんの時間だったんだこれ」
「さぁ……」
小声でひそひそと話しながら足早に路地を立ち去る。また声をかけられたらたまったもんじゃない。
埃っぽい路地から明るい通りに出て漸くホッと一息つくと、丁度遠くで時間を告げる鐘の音が聞こえてきた。
「もうこんな時間?早すぎない?」
「ちょっと立ち話しただけなのに」
暇つぶしになったからよかったと言えばよかったんだけど、何処か薄気味悪い。幽霊のような怖さと言うよりは、よく分からない人間に声をかけられたという意味で。
「……馬車に戻りましょう。行きたかった店はまた今度来たらいいし」
「ん、わかった」
ブルブルと水に濡れた犬みたいに身を震わせるティーニャを見下ろすついでに、もう一度さっきの路地に目をやる。
「……嘘だろ」
パン屋の隣、さっき出てきたはずの場所には古めかしいアパートメントがあるだけで、道なんてものはどこにも見当たらなかった。
「どうかしましたか?」
「あ、いや……なんでもない」
気のせいだ。多分無意識のうちにかなり歩いてて、似たようなパン屋のある通りに出たんだろう。
そう思い直して少し乾燥した唇を開く。
「また混んだら困るし、急ごうか」
「うん」
ティーニャもなにも言ってこないしやっぱり俺の思い過ごしだ。
結局俺の心に引っかかった僅かな違和感は、馬車の元へと走る間にすっかり消え失せてしまったのだった。
「予定通り都に着けそうで良かったですね」
「本当に」
俺とティーニャがあの占いの意味を知ることになるのは、もう少し先のお話。
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