3話 久しぶりの帰宅
「拓実? 今までどこに……行ってたの?」
「おま、とりあえず傘を――」
「いい。教えて」
落とした傘を差し出すが雫は受け取る素振りを見せない。雨に濡れたままじっと俺の目を見つめている。
「その、信じてもらえるかわかんねーんだけど……異世界に行ってて」
「……とりあえずおばさんたち、心配してる」
まあそうだよな、俺でも言い訳するならもっとマシな嘘つけって言うわ。
雫は俺の手を引っ張り再び歩き出した。恐らく家まで連れて行こうとしているのだろう。
営業しているかどうかわからない服屋。誰にでも良く吠える犬に急勾配の坂道。
久し振りに歩く通学路は対して変わっていなくて少し安心する。
雫の服装は上はパーカーに下は高校のジャージ。部活帰りか買い出しか何かだろうか。脇目も振らずただ前だけを見るその横顔は一年前と比べ妙に大人びた印象を受ける。女って変わるもんだなあ。
「拓実……背伸びた?」
「あ? ああ、ちょっとは伸びたかもな」
「そう……」
相変わらず無表情の雫はそれきり口をつぐんでしまう。
別に気まずいわけではない、雫とはいつもこんな感じだった。沈黙でも気まずくならない友達でももうワンランク上の関係、横にいるだけでどこか落ち着く――雫は俺にとってそんな存在だ。
だからこそ俺はこっちの世界に戻ることを選んだのだ。セインには俺の代わりはいくらでもいるだろう。どこかの国の王子と婚約関係にあるみたいな噂も耳にした。
だが雫には俺しかいない。俺じゃないとダメなんだ……。あの時誓ったんだ、雫にとっての勇者になると――。
「着いたよ」
引っ張っていた手を放し、足を止めると一年ぶりの我が家が目の前にあった。なんら変わっていないくて安心する。
さて、いざここまで来ると緊張するな……。
踏み出す勇気が出ぬまましばらく家の前に突っ立っていると玄関からひょっこり二つの頭が顔を出した。
「お、おおおお……お兄ぢゃん!!」
その一つは俺の腹目掛けて突進を繰り出した。
「ぐ、ぐは……」
「今まで何じでだの? バガなの? バガだよね? ごのアボ!!」
妹の辰巳
「お兄ちゃん、今のうちに言い訳ちゃんと考えといてよー。お母さんが帰ってくる前に」
もう一人の妹――辰巳
クールな振りしちゃって内心は喜んでるくせに、水臭いやつだ。
「ああ、でも環。久し振りの兄貴との再会だぜ? 恥ずかしがらなくていいんだ。ほら、お前も俺の胸に飛び込んで来いよ」
「あ、お母さんもしもし? ゴミクズが帰ってきたよ……うんわかった。ゴミク……お兄ちゃん残念ながらお母さん今から急に帰ってくるって」
「て、てめぇ……」
久しぶりに会ったと思ったらこれだぜ……。
「じゃあ、私はこれで」
「「ありがとう、しず姉!」」
妹たちが礼を言うと雫はうっすらと笑顔を浮かべ自分の家へと向かった。
「待て待て雫! お前がいれば母さんも少しはいいかっこしようとして怒りをセーブするはずだ! 頼むからほとぼりが冷めるまで居てくれ!」
雫を追いかけ、傘を渡すついでに説得を試みる。
「……着替えてくる」
傘をやっと受け取ってくれた雫は家へと戻っていった。といっても家はすぐ横だ、着替えてから本当にまた来てくれるだろう……来てくれる、よな?
◇ ◇ ◇
「待ってるぞ雫!」
いつもより重く感じたドアをやっとの思いで閉めると玄関であることお構いなしにその場にへたり込んで動けなくなってしまう。
――拓実が一年ぶりに帰ってきた。
勢いで握ってしまった左手を開いては閉じてを繰り返し、雫は未だ受け止めきれない現実を頑張って咀嚼しようとする。
「雫! そんなびしょ濡れでどうしたの!? 傘持っていったでしょ! そんなとこに座ってなにしてるのまったく……」
「あ、ただいま……」
しばらくするとお母さんがやってきて雫にバスタオルを投げてくれた。雫とは反対に口数の多いお母さんは文句も多いが、人一倍の優しさを持ち合わせいる。
拓実が帰ってきたことを伝えようかと思ったが、近々聞こえてくるであろうおばさんの怒声で気付くだろうと踏んだ雫は、お母さんの驚く顔を想像しながらそれをやめておくことにした。
「とりあえずお風呂入りなさい。丁度今沸いたから」
「……わかった」
着替えを取ってから脱衣所に向かうと、雫は洗面台の鏡に写る自分をじっと見つめた。
髪は勿論ずぶ濡れで唇は少し紫っぽくなっている。
そしてなにより、目元が赤く腫れてしまっている。白状してしまうと拓実に会った瞬間から今の今まで、ダムが決壊したように涙が溢れて止まれなかったのだ。今日雨が降っていて良かったと心の底から思える。
「あんた! 今まで何してたの!!」
「ひいぃ! ごめんなさぁい!」
ようやく湯船に腰を沈めると、外からよく通るおばさんの声が聞こえてきた。これだけ心配をかけたんだ、少しくらい罰が当たっても仕方ない。
お風呂に浸かりながらおばさんの怒声を聞く。何度も「雫! 助けてくれ!」と拓実の声は聞こえてはいるがもう少し怒られればいいんだ……。
――でも本当に、本当に帰ってきて良かった……。
目元の腫れが引くまでは助けに行かないと決めた雫は、その後もしばらく外から聞こえる罵声と悲鳴に耳を傾けていた。
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