Z 転変

 ユニオン警察本庁舎は六角形のガラス張りの建物だった。


 左右対称の建物の周囲には等間隔に植樹がされ、遊歩道も整備されている。ランニングをする人や、昼であればバードウォッチングに訪れる人もいるという。 見た目にも美しい、市民の憩いの場となっていた。


 夜は閑散としているかと思ったが、そういうわけでもないようだ。忙しいエンプレスシティの労働者にとって、夜こそ限られた自由時間なのだろう。そこかしこにランニングやジョギングをして、健康を維持しようと努める人々の姿が見える。さすがに子供はいないが、憩いの場という話は伊達ではないと思えた。


 ゾーイはヴィックとエルバと連れだって、ユニオン警察本庁舎の遊歩道に立っていた。警察に保護を求めた人質たちを見送りに来てのことである。一緒に行ってやってもよかったが、それだと事情聴取だなんだと手間がかかる。ゾーイたちには探られて痛い腹はないが、〈黒豹ブラックパンサー〉や〈海神わだつみ〉は違う。真実を話せば厄介な事態を生むだろう。


「大丈夫かな……」


 エルバが庁舎のモダンな回転扉を見ながら心配そうに呟く。ゾーイは都会の空気の嫌な臭気に慣れてきた自分の鼻にぞっとしながら言葉を返した。


「大丈夫だろ。大人だっているんだから」


 人質たちには〈海神わだつみ〉の正体については話しておらず、あくまでただの商船に保護してもらったということになっている。老獪ろうかいな警察の事情聴取に、ただの市民が、ましてや子供が、嘘をつき続けられるとは思えなかったし、海賊だと知れたら怯えさせてしまっただろう。善良な一般の商人が犯罪被害者を保護したとき、警察に責任を丸投げするのはよくあることだし、警察もつっこんで調べたりしないに違いない。というのが、〈海神わだつみ〉の長ディランの見解だ。


 ユニオン警察は汚職まみれだが、表だって不正に手を染めたりはしないはずだ。犯罪被害者の身柄の保護くらい、きっちりやってくれる。


「すっげぇよなー。ユニオン警察本庁舎、かっけー」


 子供のような感想を先ほどから連呼するヴィックは、もっと庁舎に近づきたいようだ。しかし、目立ったことはしてくれるなとディランに散々釘を刺されている。人質を見送ったらすぐに帰ってこい、とも。だから、本当はもう船までの帰路につく頃合いなのだった。


 海賊団〈海神わだつみ〉は朝を待たずにエンプレスシティを出航し、そのあとはゾーイたちを南部まで送ってくれるという。はぐれ者の〈ルーキーズ〉討伐は海賊たちの悲願でもあったらしく、それを果たしたちょっとした祝いのついでだとかなんだとか、わけの分からない理屈をこねていたが、なんだかんだキャプテンがお人好しなだけではないかと、ゾーイなんかは思うところだ。


「なあ、そろそろ帰ろうぜ。ここは臭いぞ」


 犬なりの感想を述べてみるが、ヴィックもエルバも「もうちょっと」と聞いてくれない。


海神わだつみ〉の船もそれなりに臭いが、ゾーイたちが掃除をした分、少しはマシになった。大体、大勢の人間と文明の臭いに比べれば、カビの臭いなんて可愛いものだ。


 ざわめきが聞こえた気がした。ゾーイは機能していないケモ耳を無意識にぱたぱたと動かす。


「なんか来るぞ」


「え?」

「何?」


 ヴィックとエルバが同時に聞き返してくる。いつものことだが、息がぴったり合っている。


 遊歩道を集団が歩いてくる。道行くランナーが立ち止まって道を譲っている。


 暗くてよく見えなかった。ゾーイは目を細めて仰々しい集団を凝視する。


 黒々とした人の塊は遊歩道を折れて、庁舎の入り口へと向かっていった。


 庁舎前のひと際強い照明の下に集団が入る。ゾーイは息を呑んだ。ほとんど同時にヴィックとエルバも同じ反応をした。


 目立つオレンジ色のモヒカンは見間違えようもない。


 海賊団〈海神わだつみ〉が警察に連行されていた。


「なんで……?」


 思わず驚き声を漏らしたヴィックが、混乱した様子でエルバとゾーイを窺ってきた。


「どういうこと?」


「知るか」


 ゾーイは短く返して、冷静に考えを巡らせようとした。


「みんな」


 後ろから聞こえてきた声にはっとして振り返る。


「クロエ」


 エルバが相手の名前を口にする。船に残っていたはずのクロエがそこにいた。


「おい、どうなってるんだ?なんで、わだつみが」


 詰め寄るゾーイを控えめな手の動きで制し、クロエはこちらに背を向けた。


「とにかく、ついてきて」




 貧民街へ近づくほど、街灯は少なくなっていく。


 エンプレスシティとはそういう町らしい。生産性の高い場所に、より多くの投資をする。現実的で効率的。金持ちほど充実した公共のサービスを受けられる。貧乏人は路傍ろぼうの草でも食っておけということなのだろう。


 こんな町に住むのは御免だと、ゾーイは思う。


 ぽつぽつとした街灯の下に、何をするわけでもなく佇む若者の姿が見受けられた。薬の売人か、身売りしている者か。いかがわしい店の奥からは下品な高笑いが聞こえてくる。狭い路地に山積みされた段ボール箱の中で野良猫の目が黄色く光った。


 警察署が近いというのに、治安がよさそうには見えなかった。


「急に船に警察が来て、海賊の人たちを拘束していったの」


 早い歩調を保ちながら、クロエが口を開いた。生ぬるい風が嫌な心地を運んでくる。


「ヒューの野郎は?あいつも捕まったのか?」


 ゾーイが尋ねると、クロエは振り返ることなく、白く長い髪を左右に揺らした。


「ヒューとわたしはなんとか逃げることが出来たの」


 ゾーイはほっと胸を撫でおろした。そしてそんな自分に困惑した。いつの間に自分は〈黒豹ブラックパンサー〉なんかを心配するようになっていたのか。


「とりあえず、ウォードと合流しようってことになって……。ヒューは貧民街の壁の入り口のところで待ってる。警察庁舎に近づくのはさすがにまずいから」


 そうしてクロエだけが庁舎前に現れたのだ。ゾーイたちが何も知らずに船に戻れば、面倒に巻き込まれるかもしれないと考えて。この女にしては行動力のあることだと、ゾーイは感心せずにはいられなかった。少しばかり見直してやってもいいかもしれない。


「どうしてわだつみが捕まったの?なんの容疑で?海賊だってバレたの?どうして港にわだつみがいるって警察は分かったの?」


 エルバがまくしたてるような早口で問い詰める。クロエはまたも振り向かずに、白く長い髪を左右に揺らした。


「分からない。わたしにも全然わからないの。どうしたらいいのかも、全然分からない……」


 混乱しているのは誰もみな同じだった。


 月の無い夜はこうして不吉に更けていく。遠雷が聞こえた。


 どこかから魔の手が迫っている気がして、蒸し暑い夜なのに背筋が粟立つ感覚をゾーイは覚えた。

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