女装ドレッシング
ろく
俺、男なんですけどメイドカフェでバイトするんですか?
「りっ……凜」
姉が突然、俺の部屋に飛び込んできた。
思春期の男子の部屋にノックもせずに入るのは、やめてほしい。タイミングによっては、本当に大惨事になりかねないから。
「ちょっと、部屋に入る前にノックくらいしてくれよ!」
文句を言うが、姉は気にもとめず、真剣な顔で、
「明日、私の代わりにバイトに行ってくれない?」
「バイト?」
「うん、体調を崩しちゃって…明日は本当に人手が足りないの」
姉は大学も休んでいたらしく、普段の完璧なメイクがすっかり崩れている。本当に具合が悪そうだ。
「バイトくらい、体調悪いならに休めばいいんじゃない?バイトだし、そこまで責任を感じる必要はないと思うけど。」
「うーん、確かに普通のバイト先ならそうかもしれないけど…ここの店長さんは私にとって恩人みたいな人だから、迷惑をかけたくないんだ。お願い!」
大学デビューを経て、コミュ障チー牛女から、量産型女子大生になった姉だけど、その真面目さは変わっていないようだ。
「まあ、そこまで言うなら仕方ないか。どんなバイト?」
「カフェ」
「カフェ?俺、料理は全然得意じゃないけど」
今まで作った料理といえば、インスタントラーメンと冷凍食品くらい。
学校の調理実習では、戦力外通告を受けたくらいだ。
「料理はできなくても大丈夫。接客だけだから」
「それなら行けるかも。いいよ、その代わりバイト代は全部もらうから」
「オッケー!本当に助かるよ! 店長にも連絡しておくね。」
姉はそう言うと、店長に連絡をし始めた。
家の最寄り駅から電車で五駅ほど移動すると、目的の駅に到着。改札を出て、待ち合わせの場所に近づくと、声をかけられた。
「凜君、だよね?」
振り向くと、そこには明るい笑顔の女性が立っていた。挨拶をしながら、彼女に尋ねた。
「おはようございます。えっと、店長さん?」
「うんうん、店長の香音だよ。よろしくね!」
香音さんはほわほわとした雰囲気を持ち、まるで天使のように可愛い。見惚れていると、彼女は突然、顔をグイっと近づけてきた。
「よ、よろしくお願いします。あの…顔、近いです」
「あっ、ごめんね!ちょっと距離が近すぎたかな。うん、さすが、梨乃ちゃんの弟だね。この調子なら、期待できるよ!」
「期待とは…?」
正直、自分は客観的に見ても、接客が得意そうには見えないんだけど、彼女が言う「期待」とは何だろう?
ちなみに、梨乃とは姉の名前だ。
「バイト初めてなんで、期待しないでください。」
「大丈夫よ、凜君は10年に一人の逸材だから!」
「はっ、はぁ?」
突然の過剰な褒め言葉に、戸惑いを隠せない。
「それじゃ、私のお店にレッツゴー!」
香音さんの元気な声に導かれながら、彼女と一緒に歩き出した。
香音さんは、陰キャな俺にも、積極的に話しかけてくれる。そのおかげで、道中は本当に楽しかった。
「着いたよ、ここが私のお店!」
香音さんが楽しそうに言う。
駅から歩くこと15分、辿り着いたのは、かなりポップでカラフルな店だった。看板には『フェアリーガーデン』と書かれていて、キラキラした装飾が目を引く。イメージしていたのはもっと落ち着いた雰囲気なカフェだったので、ちょっと驚いた。いや、待て、これはどうみても…。
「って、これってメイドカフェじゃないですか?」
「そうだよ、メイドカフェだよ!」
香音さんが笑顔で答える。
「えっ…これ、メイドカフェって、俺の仕事って、接客じゃないんですか?」
「うん、そうなの。凜君には、ここでメイドとして働いてもらうんだよ」と香音さんは明るく説明する。
「えっ?」
突然の宣言に、頭の中はパニック状態。少しの間、沈黙が流れたが、ついに口を開いた。
「いやいやいやいや、無理ですって。俺、男ですよ!? しかも、見た目もチー牛そのものですから!」
自分で言ってて悲しくなるが、事実だ。
だが、香音さんは動じない。
「ふふ、大丈夫だよ。凜君、男の子でも可愛くなれるから。梨乃ちゃんみたいに、君も可愛くしてあげる」
香音さんがポケットから取り出したのは、メイク道具のようなもの。
彼女の目は真剣そのものだ。
姉のオシャレレベルが急に上がったのは、この人の影響か。
「すみません、俺帰ります……」
踵を返して逃げようとしたが、
「返しません!」
「えっ?」
どうやら、誰かに羽交い絞めにされているようだ。まるで忍者が出現したかのようで、気配を感じなかった。力も強く、もやしっこの自分では振り払えない。
「ナイスアシスト、月ちゃん!さあ、凜君。怖いのは最初だけだから!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
悲鳴が、フェアリーガーデンの前で響き渡る。俺は新たな扉を開いてしまったようだ。
「お待たせしました、ふわふわオムライスです」
見事にメイドさんに変身させられた俺。
いや、本当に壮絶な体験だった。
世の中の女の子が、どれだけメイクに時間をかけるかが、今ならよくわかる。女性の皆さん、今まで化粧を馬鹿にしていて、すみません。
「ありがとう!おっ、新しいメイドさん?」
常連らしき人が、声をかけてきた。
「えっと、今日の臨時メイドです。ごゆっくりどうぞ」と、ぎこちなく返す。
「おまじないは、ないのかな?」
「えっと……」
おまじないの流れで理解できる。
これはいわゆる萌え萌えキューンだよな。
カウンターの方を見てみると、香音さんがサムズアップをしている。正直に言って、滅茶苦茶抵抗がある。
学園もののアニメで、萌え萌えキューンを恥ずかしがるヒロインの気持ちが、今なら理解できる。こんな形でわかりたくなかったけど。
「もっ、萌え萌えキューン!」
やけくそ気味に、おまじないをする。
しばしの沈黙が流れ、
「その、恥ずかしい顔がかわいぃ!」と喜んでいるお客さん。
意外にも、好評のようだ。俺の恥ずかしい気持ちとは裏腹に、店内は微笑ましい雰囲気に包まれていた。どうやら、このメイド姿での俺は、かわいいらしい。
メイドカフェ――それはただの接客の場に留まらない。ここでは、お客さんとの会話もまた、仕事の一部だ。
姉がいるからコミュニケーションは多少できるが、やはり根っからの陰の者、話すのはちょっと苦手だ。
でも、数をこなしているうちに、最初に比べては、なんとか会話もできていた。
「ご主人様、ウマ嫁のナルタ・トップロードが好きなんですね!」と、にっこり微笑みながら話しかけると、お客さんの目がぱっと輝いた。
「あっ、そうなんですよ」と、お客さんが答える。
「それ、わかります!実は私も押しキャラの一人なんです。本当に真面目系で正統派の主人公って感じが素敵で、何よりも、あのロケットみたいなおっぱいがすごいですよね。いやもう、これバストトップロードだろって。それに、押しにも弱いところが、なんかコーギーのような愛らしさを感じさせて、まさにイイキャラですよね。実は私も、トップロードを手に入れるためにお年玉を全部つぎ込んじゃって。まあ、それだけの価値はあったんですけど!」
気がつくと、自分の話はどんどん長くなっていた。
ヤバイ、これはマジでヤバイと、心の中で焦りが広がる。
中学校の頃にやらかしたことを思い出す。ついつい、熱が入ると、喋り続けてしまって、周りから引かれてしまうんだよな。
恐る恐る、お客さんの反応を伺うと……。
「わかります!そうなんですよね。凜ちゃん、ウマ嫁が本当に好きなんですね!」
「あっはい、大好きです!」と、俺は嬉しそうに答える。
「いや、女の子でここまで熱く語れる人がいるのは嬉しいです!もっともっと語りましょう!」
「喜んで!」
ウマ嫁の話題で大いに盛り上がり、最初は少し不安だったけれど、思ったよりもずっと上手くいったことに、ほっと胸を撫で下ろすのだった。
勤務が終わり、香音さんに呼び止められる。
「凜君、今日は本当にありがとう!これが今日のお給料!」
「ありがとうございます…って、こんなにいただいてもいいんですか⁉」
驚きのあまり目を大きく見開いた。封筒の中には、なんと諭吉さんが二枚も入っている。
「今日は本当に助かったからね。特別に大サービス!梨乃ちゃんには内緒よ!」
香音さんはにっこりと微笑む。
「ありがとうございます!」
「それで、凜君さえよかったら、これからも、うちでメイドとして働いてみないかな?」
「うーん……」
誘ってもらえるのは素直に嬉しいけれど、メイドとして働き続けるのはちょっと恥ずかしいな、と心の中で葛藤する。渋っているのを見て、香音さんは優しく言葉を続ける。
「梨乃ちゃんの弟君なら信頼できるし、それに今日のお客様アンケートでも、凜君にもっと働いて欲しいって意見がたくさん寄せられていたんだ」
少し戸惑いながらも、手渡されたアンケートの結果を見てみた。そこにはこんな意見が並んでいた。
『恥ずかしがる姿がとてもイイ』
『ウマ嫁の話をもっと聞きたい‼』
『一生懸命働いている姿がすごく良かった』
『笑顔がとても可愛い!』
肯定的な意見が多数で、今まで他人に褒められることが少なかったから、素直に感動してしまった。
「すごい、好評ですね」
「うん、凜君はすごく可愛いし、これからもっと人気が出ると思うんだよ」
「うーん」
「それと、採用条件についてなんだけど」
手渡された雇用条件を確認してみると、驚くほど良い条件が提示されていた。
「その、期待に応えられるかどうか分からないけど、一生懸命に頑張ります!」
こうして、俺は正式にフェアリーガーデンでアルバイトをすることになった。
どんな日々が待っているのか、少し不安もあるけれど、心の奥底では新しい冒険に対する期待とワクワク感が膨らんでいくのを感じていた。
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