ワケありモテ男子をかくまうことになりました。

彩空百々花

第一章


 ✽拾われた子犬



 じめじめとしたある梅雨の日。

 私は道端で傷だらけの子犬を拾った。

 

 遡ること一時間前。

 いつものように学校を終え、帰路についていた私は苦しそうなうなり声を聞いた。

 声がした方向へ目を向けると、道路の脇に生えた草むらの中に一匹の小さな子犬がうずくまっていた。

 ……というのは私の悪い冗談で、正確に言うと傷だらけの男の子が、倒れていた。


「あ、あのー、大丈夫ですか」


 恐る恐る声をかけてみたけれど、反応なし。

 雨脚が強くなるのを感じて、このままじゃ体が冷えてしまうと思った私は傘を男の子の方へ傾けた。

 しゃがみ込んで、男の子の顔色を確認した。

 顔中真っ青で、傷口からは真っ赤な血が雨に溶けて地面に滴っている。

 えっと、……うん。まず私の思考停止した脳、今すぐ動け。

 これは見なかったことにする?

 それともお人好しのような善良な性格をここで発揮する?

 究極の選択に迫られる私。


『悩む必要ねぇだろ、早くその倒れている男の子を助けろ』


 と、私の脳に呼びかける優しいけれど口の悪い天使ちゃんと。


『は? そんな意味分かんねぇ見知らぬ奴なんか助けずに早く家に帰ろうぜ。雨降ってジメジメしてて、ほんと気持ち悪りぃんだわ』


 と、これまたすんごい口の聞き方で酷いことを言う悪魔くん。

 さぁ、どちらの意見を汲み取ってあげようか。

 まあどっちにしろ私の脳内で生み出された二人に相違ないんだけどね。

 相変わらず私の脳内の子たちは口が悪い。


「えー……ほんと、どうしよ」


 やっぱりここは助けてあげるべきなんだよね?


「君ー、意識ありますかー? ないならないって言ってくださーい」


 ガチの声音で、平然と無理難題を押し付ける自分。

 かなりの鬼だと自覚しているけれど、こんな雨の日ならしょうがない。イライラしてるんだ。

 学校が終わって、ようやく解放されたと思ったある日の放課後。

 今日もどんよりとした雨雲が世界を一面に覆っている。

 もちろん気分は最悪。それに、わざわざこんな面倒事に首を突っ込みたくもない。


「んん゙っ。……さむ」


 突然男の子の唸り声が聞こえてきて、肩がビクリと震える。びっくりした……。

 男の子は眉間に皺を寄せてうっすらと目を開け、目の前でしゃがみ込む私に視線を寄越した。

 長い前髪で隠れていた顔が露わになって、私は思わず目を見開いた。


「うわ、きれー」

「……」


 水晶玉のような目をした男の子が私を見た瞬間そんな言葉を口にした。突然の感想になんて返せばいいか分からない私は無言を突き通す。

 あの、すみませんがあなたの方が女子の私より何倍もきれーかと。

 と真顔で答えたくなるくらい目の前の彼は整いすぎた容姿をしていた。


「あの、大丈夫なんですか?」

「……え、俺?」

「はい、俺です」


 至って真面目に返事をした私に、彼が一瞬呆然とした顔をして「ふはっ」と面白そうに吹き出した。

 切れ長の瞳。長いまつげ。薄い唇に、高い鼻に似つかわしいすっと通った鼻筋。

 そこらのイケメンとは比べ物にならないくらい、芸能人顔負けの極上イケメンだと。私らしくないことを本気で思ってしまった……。


「あ、大丈夫そうですネ。それなら私、もう去ります」


 これまで抱いたことのなかった感情に戸惑ってしまったのかもしれない。

 クシャッと子犬のような可愛い顔をして笑う彼を直視出来なくて、私は視線を逸らして立ち上がろうとした。

 ───その時。

 その男の子にパシッと腕を掴まれた音が私たち以外誰もいない放課後の通学路に響いた。


「──雨宮あまみやさん。俺のこと、見捨てるの?」


 ……っ!?!?

 今にも泣き出してしまいそうな潤んだ瞳で私を見つめてきた、傷だらけの子犬くん。その不安そうな表情からくぅん、という子犬のような声が聞こえてくるようだった。

 もう、今はなぜ見知らぬ彼が私の名字を知っているのかは後にして、このかっこいいの凶器でしかない子犬くんにどう耐えようか試行錯誤する。

 彼の発言に対する驚きより不信感が勝っているけれど。うちの高校の制服を着ているからとりあえず疑う必要はないと思えた。

 ……本当はここでもっと疑うべきなんだろうけど。彼の怪我は見るからに痛そうだし、このまま置いて帰ることは私の良心が許さない。


「……傷の手当てだけですから。それ終わったら、すぐに自分の家に帰ってもらいますからね!」

「………うん!」


 今、すんごい謎の長い沈黙があったけど……、大丈夫だよね?

 そう心配しながらも律儀に彼を支え、自分の家まで連れて帰った。


 ❥❥❥


「ちょっと待ってて。タオル持ってくるから」


 私と三十センチ差はありそうなほど背の高い男の子を見上げてそう言った。

 雨に濡れてびっしょりな男の子はぶるぶると震えながら素直に頷く。本当に寒そうだ。早く拭いてあげないと。

 私は洗面所に行き、収納ボックスの中からふわふわの白いタオルケットを取り出す。

 急ぎ足で彼の元に戻り、その頭にふわっとタオルケットを被せた。

 濡れていない私とは違って、唇を紫に染め青褪めた顔でいる彼をこれ以上見ていられない。


「ありがとう」

「……別に。人間として当たり前のことをしただけ」

「……っ。それが今の俺にはすんごい嬉しいの」


 震えた声でそう言う彼に視線を向けた。その顔はタオルケットで覆われていて見えないけれど、きっと感動しているんだろう。


「そんなに感謝しなくてもいい。私は当然のことをしただけだから」


 鼻高々にそう言った私に、彼はまた吹き出した。

 わしゃわしゃと髪を拭き、タオルケットで体を覆った彼の瞳が自慢げな私を映している。

 凛々しい眉毛が下に下がり、くしゃっとなる笑い顔。

 初めて彼の顔を見た時は、整いすぎたその容姿から凄くクールな感じの人なのかと思った。

 だけどそれは違うみたいだ。笑った顔はすごく人懐っこくて、何より彼は喧嘩とは無縁のような人だ。

 ……この傷は、一体何が原因でできたのだろう。

 聞いてみようかと思ったけど、さすがに踏み込みすぎかと思い直してやめた。


「雨宮さんは優しいね。それに、超絶美人!」


 本気で褒めてるのか、からかってるのか分からない満面の笑みでそんなことを言われて、私は反応に困る。


「……、とにかく早く手当てするよ。こっち来て」


 話を逸らして、子犬くんをリビングに連れて行く。棚から救急箱を取り出して、子犬くんにソファに座るよう促す。


「少し沁みると思うけど、我慢してね」


 一応前置きしてから消毒液をつけたガーゼで子犬くんの傷口に優しく触れた。


「いたっ」


 子犬くんが眉をしかめて悲鳴を上げる。私はそれに構うことなくタオルケットを剥ぎ取り、腕や胸辺りにある傷も消毒した。

 次に軟膏を塗り、傷口が深いところにはキズパワーパッドを貼り、切り傷には絆創膏を貼った。


「お、おネエさん。少々貼り過ぎじゃないっすかね」


 全身絆創膏だらけになった子犬くんは、引きつった笑顔で言った。私はそれに真顔で返す。


「元はあなたがこんな怪我するから悪いんでしょ」


 そう一喝すると、子犬くんはぐぬぬ、と押し黙った。私はそんな彼をじっと眺める。


「な、何?」

「いや、なんでも」


 気になる。だけどわざわざ訊くのは違う。

 自分で作った傷ではなさそうだし、かといってこの人が喧嘩をする姿なんて想像もつかない。


「……手当ても済んだんだし、そろそろ帰れば?」

「えっ、なんか急に冷たっ」


 私は彼を一瞥して、床に散らばったガーゼやら手当て後の絆創膏のゴミやらを集めようと手を伸ばした。


「待って、俺がやる」


 子犬くんに阻止されて私は目をまん丸くした。急なことにびっくりして、手と手が触れている部分が熱くなる。男の子慣れしていないせいで私の心臓はドッドッドッと早鐘を打ち始めた。


「ご、ごめん!」


 その謝罪は、私の手に触れたことに対してだろうか。全身カチコチに硬直させたまま、私はなんとか頷いた。

 ……手が触れ合って動揺したこと、気づかれていないといいな。

 子犬くんはゴミを集めてゴミ箱に捨て、また私の元へ戻ってきた。その姿は飼い主にボールを持って帰ってきた子犬同然で、私は小さな笑いをこぼした。


「な、なんだよ」

「いや、別に」


 こんなこと思ってるって知られたら子犬くん怒っちゃいそうだし、言わない方がいいよね。

 心の中でくすくすと笑う私を、子犬くんは訝しげな顔で見つめてくる。目が合った時、私は今まで忘れていたことを思い出した。


「あ!」

「今度は何!」


 今までより幾分大きな声を上げた私に、子犬くんの肩がビクッと震え、身構えるような姿勢を取った。


「あなた、私の名字を知っているよね? どうして?」


 数十分この人と過ごして、悪い人じゃないというのは伺えたけど、もしかすると私を常々ストーカーしていた変態野郎かもしれない。警戒心は捨てちゃダメだ。


「あー、なんだそのことか」


 子犬くんは安心したように肩から力を抜いた。

 そしてずずいっと鼻先がくっついてしまうほどに一気に近寄ってきた名前も知らない子犬くん。


「俺の名前は犬飼瑛人いぬかいえいと、君の学校の一番のモテ男子です」


 あ、それ自分で言っちゃうのね。

 最初に思ったのはそんなことだった。自信満々にそう言う子犬くん、改め犬飼くんはキラキラとした目で私の返事を待っている。


「……それじゃあ、とりあえず私のストーカーではない?」

「へ、……っ?」


 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした彼。その後なんとか私の言葉を呑み込んだようで、「す、ストーカー? え、俺って雨宮さんにそんな風に思われてたの?」と自問自答を繰り返している。

 よほど私の質問が効いたみたい。


「犬飼くん。あなたが私の名字を知っているのは、同じ高校の生徒だから、という理由で間違いない?」

「う、うん。まあ、そう……他にもあるっちゃあるけど」


 最後にぼそっと何かを呟いたけれど、あまりにもその声が小さすぎて聞こえなかった。訊き返すのも面倒で、私はとりあえず安堵した。


「犬飼くん、親御さんが心配していると思うから早く帰ってあげて」


 表面は優しい人間のように思われるかもしれないけど、心の中で思っていることは少し違う。

 人の関わりを極力避けたい私は、彼に早く帰ってほしいと、そんな追い返すような気持ちを抱いている。


「あー、そうだよね……。ん〜」

「何?」


 微妙な表情をする彼を問いただす。


「あのー、ほんっとうに申し訳ないんだけど、今夜だけ俺を家に泊めてくれない?」


 言いにくそうに言った彼はぽりぽりと後頭部を掻く。私はぽかーんという表情を浮かべるしかなかった。


「……、無理」


 数秒押し黙った私だったけれど、彼の願いを却下した。それ以前に、初対面の人間の家に泊まろうだなんて、犬飼くんは相当警戒心が薄い。


「……っはあー。だよなあ、無理だよなあ」


 犬飼くんは盛大にため息を吐き、がっくりと肩を落とした。それからどかっとソファに座る。

 あ、濡れちゃう……。

 時すでに遅し。タオルケットも何も巻いていない犬飼くんに乗られたソファにじんわりと雨水が染み込む。


「……」


 無表情のまま密かな怒りを抱いた。潔癖症の私にとって、これは耐えられない事態だ。


「……犬飼くん。早く、帰って」


 私が一言一句はっきりと言った、その時。


 ゴロゴロゴロ……ッドドォーーーン!!


 空を切り裂くような雷が近場で落ちた。


「きゃあっ……!」


 私は思わず近くにいた犬飼くんに抱きついてしまう。恥ずかしいなんて感情はなく、ただ雷の音に怯えてしまう。

 彼にしがみつく腕に力が入る。


「あ、雨宮さん……?」


 頭上で犬飼くんの動揺した声がするけれど、脳内がパニック状態の私は返事する余裕がない。雷が鳴り続ける間、爪が犬飼くんの背中に食い込むくらい強く強く抱きついていた。

 小さい時から、雷は大の苦手だ。全身がぶるぶる震えている私を、犬飼くんは優しく抱きしめ返してくれた。安心させるように何度も何度も背中を撫でられて、過呼吸になっていた私は徐々に冷静さを取り戻した。


「っはぁ、はぁ……」

「雨宮さん、大丈夫……?」


 雷が鳴り止み、ようやく我に返った私を次に襲ったのは羞恥だった。全身を巡っていた血が逆流したように、血液が一気に顔に集まる。


「顔、真っ赤だけどほんと大丈……」

「だ、大丈夫だから! 急に抱きついたりしてごめんなさい……」


 犬飼くんの顔を見れない。私はすぐに彼から離れて俯く。


「いや、それは別にいいんだけどさ。雨宮さん、雷苦手だったんだ」


 犬飼くんが驚いたようにいうから、私のプライドはばらばらと音を立てて崩れていく。

 ……ああ、もう。今日は本当に最悪な日だ。犬飼くんという傷だらけの子犬を拾って、挙げ句雷が落ちるくらいの大雨で、もう夜が近づいているというのに夜ご飯さえ作れていない。


「きょ、今日のことは誰にも言わないで……ほしい。特に藍津あいつ高校の子には、」

「うん、言わないよ」


 真剣な声に、私は顔を上げて彼を見た。真摯な瞳が私をまっすぐに見つめている。

 まだ乾いていない濡れた前髪。形の整った唇。韓国アイドル顔負けのイケメンに、私の目は奪われた。数秒間、無言で彼を見つめていた私。


「雨宮さん? どうしたの、俺の顔なんか付いてる?」

「……っあ、いや、何も」


 私は慌てて目を逸らした。それからまた彼と目を合わす。


「あ、もしかして俺の顔に見惚れてたとか」


 図星を指されてビクッと肩が震える。


「え。まじ?」


 あ゙ぁ〜、もう! 穴があったら今すぐ入りたいっ。


「ち、違う! 絶対に違うから」


 真っ赤な顔でそんなことを言っても説得力がないと分かっているけど、抱きついたことを今さら後悔している。彼とはすぐにおさらばして、関係を断つつもりだったのに。これじゃあ、距離が近くなったじゃない。


「ふぅん、じゃあそういうことにしといたげる」


 にやにやしながらそう言う犬飼くん。私は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。

 外からザァーザァーと雨の降る音が聞こえてくる。静かな空間でそれはやけに大きく響いて、視界の端で犬飼くんの口が開くのが見えた。


「……こんなに大雨降ってるのに、まだ傷だらけの俺を追い出したいと思ってる?」

「え……」


 彼のその言葉に開いた口が塞がらない。

 もしかして、犬飼くんは私の本音に気づいてた? だとしたら相当な察知力の持ち主だ。


「優しい雨宮さんは、もちろんそんなことできないよね?」


 見事に言いくるめられ、私は仕方なく頷くしかなかった。


 ❥❥❥


「よし、一緒に風呂入ろーか」

「は!?」


 突然の衝撃発言に驚いた私は、びっくりした顔で犬飼くんの顔をガン見した。

 この人は一体何を考えているの。冗談なのか本気なのか分からない目をして私を見つめてくる。

 犬飼くんは私を見て少しワルい子供のような笑みを浮かべ、口を開いた。


「てことで、俺と一緒に洗面所に行こう」


 何を言い出すのかと思ったら、瞳をキラキラと輝かせて、そんな意味不明なことを言ってきた。


「……は、え?」


 突然の犬飼くんの提案に、塗り薬やら包帯やらを救急箱にしまっていた私の手が止まる。


「……犬飼くん。いい加減、ふざけるのはやめようか」


 私はにっこり笑って彼のスネを思いっきり蹴った。


「っ、いってえ!!」

「ふんっ。やっぱりあなた、セクハラ変態ストーカーね! 一晩泊めてもらえることに感謝しなさい」


 最後にキッと鋭く睨みつけてから私は彼に背を向けた。

 ……はあ、全く。最初からこんなようじゃ先が思いやられるよ。

 そう心配に思う、私なのであった。


 ❥❥❥


 犬飼くんがシャワーを浴びている間、私は手際よく人参やジャガイモなどの野菜を切っていく。トントントンというリズミカルな音が静かになったリビングに響く。


「上がったよーって、え!! 雨宮さん、料理できんの!?」


 リビングに入ってきた犬飼くんのうるさい声がして、ため息とともにそちらを向くと。


「っ、きゃ。……っちょ、ちょっと犬飼くん! なんでタオル巻いただけなの!? 服は!?」


 私は持っていた包丁を放り投げて、手で顔を覆った。

 色白の肌、それに似つかわしくない程よい筋肉がついた体。

 下半身以外一糸まとわず女の子の前に現れるなんて、犬飼くんには配慮という概念が欠けていると思う。


「あ、悪ぃ。忘れてた」

「忘れてた、じゃないわよ馬鹿っ!」


 私は思い切り叫んで銀杏形いちょうがたに切った人参を犬飼くんに投げつけた。


「ちょ、危っぶねえ。何も食べ物を粗末にすることないだろ」


 生意気にも人参をキャッチした犬飼くんは、私に近づいてまな板の上にそれを置いた。


「……ふん」


 私は真顔でまた彼のスネを蹴り飛ばした。本日二度目の犬飼くんの叫び声は、近所周辺にまで響き渡っていたという。


「いただきます」


 二人同時に手を合わせ、ほかほかと湯気が立っているカレーにスプーンをつけた。犬飼くんは目をキラキラさせながら一口パクッと口に含む。

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ワケありモテ男子をかくまうことになりました。 彩空百々花 @momonohyaka20080517

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