第2話 相続した家


 仕事を終えて退社した誠司は自宅へ戻らずに実家へと立ち寄った。


 築30年の一般的な木造瓦葺二階建てであるが、地方であるぶん土地は広く門構えもしっかりとしている。


 庭木の手入れもしっかりとしており、つい最近まで人の手が入っていたことが窺える。


「親父のやつ、本当に急だったな」


 誠司は玄関の鍵を開けて中に入る。夕暮れ時の玄関は薄暗く、誠司はまず照明をつけた。


 広々と客を迎え入れるための玄関の先にはちょっとした美術品も飾られてある。


「おふくろが死んで、まるで自分で決めて追いかけていったみたいだ。……あんなに元気だったのに」


 思い出を偲ぶように誠司は各部屋の扉を開いて回った。


「姉貴の奴は、面倒なものだけ俺に押し付けて金目のもんだけはしっかりと持っていきやがるし」


 結婚して都市部へ出て行った姉にとって地方の土地家屋は負債でしかなく、それを誠司に任せ、それでもしっかりと資産価値としては算定しながらほかの金品保険で自分の相続分を得ていった。


「ま、子どもに金もかかるだろうし、仕方ないのはわかるけどな」


 明らかに公平ではない相続ではあったが、誠司は容易くそれを受け入れた。


 元々、実家の近くに部屋を借りて住んでいたこともあったし、何より金銭的なことに執着する気持ちすら既に薄れていたからだ。


「実家、こんなに広かったんだな……こんだけ広ければ日向ひなた朔耶さくやも伸び伸びできたろうに」


 誠司は元妻が連れて出ていった子供たちを思って目頭を押さえた。


「ちくしょう……俺だって死にたいよ……」


――今にして思えば本当に些細なすれ違いだった。長距離トラックの運転手として家を空けがちだったのも影響しただろう。ちょっとした苛立ちから喧嘩をすることが増え、それを子供たちに見せたくなくて元妻とは別れた。


 それからというもの、色のない風景の中で生きているような気分だった。


 仕事も辛い。やり甲斐は感じない。それでももうここから何かが変わるだなんて期待も抱いてはいない。


 独りでの生活は気を遣う必要もないぶん気楽だ。だがそれと引き換えにして、どこにも向かわない悔しさと虚しさと惨めさに倦怠感や退屈が加わり、少しずつ生気を奪っていった。


 やがて誠司は二階に上がり、自分が住んでいたときに使っていた部屋のドアを開ける。


 小学校の頃から使用している学習机に、枠組みだけ残されたベッド、漫画本で埋まった本棚に開いたままのクローゼット。


 フローリングに敷かれたカーペットの中央には小さなローテーブルが置かれていて、その上には小さな箱と一枚の紙が置かれている。


「あれ? こんな物、俺の部屋にあったっけな」


 誠司は首を傾げながら紙を手に取った。


「誠司へ……これ、親父の手紙だ」


 続いて誠司は隣に置かれた小さな箱を取って開く。


 中には見覚えのない鍵がひとつ入っていた。市販されているような一般的な形状ではなく、少し古めいた、持ち手には宝石をあしらい、鉄柱の先に僅かな鍵山があるだけの原始的な造りだった。


「俺のじゃない……親父の鍵か? ……そうか、親父の最後の頼みごとか何かか」


 誠司は箱をテーブルの上に戻し、再び手紙を開いた。


――誠司へ。まずは私の急逝で驚いているだろうが、これは前々から自分で定めていた死期であるため許してほしい。


「自分で……? 定めた……?」


――誠司も今、人生のなかで目標を見失い、辛い状況にあると思う。親としてとても心苦しいが、お前ももう35になる。どうにか自分自身の力で立ち直ってほしいし、誠司ならばそれができると私は信じている。


「なんだよそれ……できねぇよ……もう俺、死にたいんだよ……」


――もう私には誠司を助けてあげることはできないが、それでももし、お前がひとりで立ち直るのが難しいと思うのであれば、最期にひとつ、渡したいものがある。


「渡したいもの……? それがこの鍵か?」


――机の上に、その鍵を置いておく。誠司が困ったとき、何かの役に立てば幸いだ。使い方は敢えて伏せる。本当に救いがないと思ったときに、この鍵を持って扉を開きなさい。


「扉って……どこの鍵だよ……?」


――誠司のこれからの人生に、彩りが多くあることを遠くから祈っている。


 読み終えた手紙をテーブルに戻し、自らもまた、そのテーブルの上に上半身を伏せた。


「ちくしょう……なんだよ。もう困ってるよ。助けるなら、もう助けてくれよ……死にたいんだよ。もう楽にさせてくれよ……」


 誠司は嗚咽を漏らして独りで泣いた。


 泣いたそのあとに、思い出したように残されたその鍵を手に取った。


「助けてくれ。できることなら、この意識を持っていってくれ」


 誠司がそう呟いたときだった。鍵の持ち手にあしらわれた宝石が僅かに光を放ち始めた。


「な、なんだこれ……どうすればいいんだ?」


 誠司は戸惑いながらもその鍵を観察し、振るったり、宝石の中を覗き込んだりした。そしてその鍵の先端を自らの前方へ差し出してみたときだった。


 鍵の先端が光を放ち、その先にひとつの扉を出現させた。


「出た……扉って、これか」


 少なくとも木製ではなく、シンプルでありながらも細緻な装飾が施され、その色は白いようにも見えるが、たゆたう水面のように不思議とうつろいでも見える。


 そして一般的な扉に使われる透かしガラスの類はなく、開いて見なければその向こう側の様子を窺い知ることはできない造りであった。


「正直言うと、怖い。だけど、この先に進めば俺を楽にさせてくれるのか……?」


 誠司は呆然と呟きながらも、知らずのうちに立ち上がり、その扉に手を伸ばしていた。


「あの世でもどこでもいい。死ぬ勇気さえもないこの俺を、どこかに消し去ってくれ」


 その扉を開く誠司には、少しの迷いもなかった。

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