夢の島
水月 梨沙
prologue
ワシが羊羹の最後の一口を食べようとした時、ダイニングルームの扉が荒々しく開かれた。
そこに目をやると、鼻息も荒い様子で星那が立っている。ワシは羊羹と共に箸を置き、星那へと向かって笑ってみせた。
「おうおう、どうしたのかね? 何か嫌な目にでも遭ったのかい?」
「ええ、そりゃあもう嫌ぁな目にね」
そう言って星那はワシを睨み付けてくる。……八つ当たりか? これだから子供は好かんのだ。
「それは困った事だね。星那ちゃんを不機嫌にするなんて、一体どこのどいつの仕業なんだい? ……おじちゃんに話してみてごらん」
「良いの? 本当に話しても」
「勿論だよ。星那ちゃんは、今ではワシの本当の子供みたいなものなんだから。遠慮はいらないよ、言ってごらん」
「じゃあ言うわ」
星那はこちらへと近付いた。しかもその目は、未だにワシを見据えたままでだ。……気に食わん餓鬼め。
「……おじさん、人物認識システムの事よ。どうして私にナイショで特許権を取ったの?」
――チッ、もう嗅ぎ付けられたのか。意外と早かったな。
「それに、調べてみたら今までの私の発明は全部そうなっていたわ。使用するのにおじさんの許可が要るなんて、そんなのおかしいじゃない?」
「何を言っているんだい星那ちゃん。よ〜く考えてみてごらんよ、星那ちゃんは、まだ十歳だろう? だから面倒な申請は全部、星那ちゃんに代わってこのおじちゃんがやってあげていたのさ」
「そんなの余計なお世話よ! それに、だったら何でそれを私の名前で登録しなかったの?」
「いやぁ、名前を書く時にはクセで、つい自分の物を書いてしまうものなんだよ」
「それなら登録内容を変更する手続きを取って。私の考えたものは全部ね」
「……まあまあ、別に良いじゃないか。どうせ星那ちゃんの研究室はおじちゃんの持ち物なんだし、開発資金もおじちゃんが援助してやっているだろう? それに、おじちゃんと星那ちゃんとの仲じゃないか。このままでも、何も変わらないよ」
「変わるわよ! もう何個かは実際に出回っているんでしょう? だったら、それに伴って私にもいくらかのお金が入るはずだわ。そうしたら私の研究費も増やせるじゃない」
「費用さえ増やせば良い物が出来るとも限らないだろう。……星那ちゃんには、今のままで充分なんだよ」
「ううん、まだ足りないわ。そもそも、前から『材料が足りない』って何度もお願いしてるけど、最近はちっとも買い足してくれないでしょう? これじゃあ、新しい実験もロクにできないじゃないの……」
「……それはお前が役に立たん物ばかりを作っているからだ」
「え?」
コイツの御機嫌取りも、もう我慢の限界だ。とっくに取材陣も来なくなった事だし、出演料を頂く事も出来ん。それなのにいつまでも餓鬼をおだてて近くに置いていても、これ以上の役得は無いだろう。
「いいか、勘違いしているみたいだからこの際ハッキリとさせておいてやる。ワシはお前に都合の良い財布では無い。世間に公表できん様なシステムばかり作りおる小娘の為に、何故ワシが金をやらんといかんのだ」
「……おじさん……?」
「いい加減、お前も人工知能なんて厄介な物を研究するのはやめろ。もしもそれが明るみに出てしまったら、ワシも道連れに非難されるではないか。あんな、神をも畏れぬ物体を作り出すなぞ……」
「なに、何でおじさんがそんな事を知っているの……!?」
星那が顔色を変えた。
馬鹿な奴め、貴様に与えた装置は全部こっちにもデータが転送される様になっておるんだ。子供が大人に隠し事をするなんて、考えが甘過ぎるんだよ。
「ワシが何を知っていようと、お前には関係の無い事だ」
「そんな事を言って、おじさん……私のデータを盗んでいたのね……?」
「さあ、どうかなぁ」
「……だからあのシステムもいつのまにか実用化されていたんだわ。これって、 泥棒とおんなじ事じゃないの!」
「五月蠅い!!」
ワシが一喝すると、星那は竦み上がった。
「でも……っ」
「馬鹿が、いつまでもギャアギャアと喚き散らすな! お前はもう役立たずなんだよ!!」
「な……何を言うのよ。私、今でも……ちゃんと使えるものを造っているわ」
「ああ、おままごと遊びのついでに出来た物ばかりだけどな!」
「それでも立派な発明よ!! だからおじさんだって特許を申請したりしていたんでしょ!?」
「だが使える物の数に比べて、使えん物の数が多過ぎる。つまりそれは、お前が無駄な金を消費しているって事だ!」
「でも……っ」
「これ以上ワシに歯向かうな!! お前如きの頭脳を持つ奴ならば、探せば他に幾らでもいるんだ。……だが、お前の方はどうだ? ワシや家族の前でこそ、こうやってマトモな口を利く事が出来るが……見ず知らずの者の前では、途端に話せなくなりおって。そんなお前に資金を援助してくれる様な親切な人間は、ワシ一人くらいのもんなんだよ!!」
「……っ!」
「判ったら、とっとと自分の部屋にでも篭るんだな! もう少しマシな口の利き方を覚えて、それから立派な発明の一つでもしてから出直して来い!!」
ワシの言った事が図星なだけに、星那は一言も喋らずに部屋を後にした。
……ただ 、無言ではあったが怒りが表情にありありと見えていたがな。
――しかし、まったくもって阿呆な娘だ。自分一人の力では『何も出来ん』という事も判らんとは……。
そんな事を考えながらも茶を飲もうとしたら、時間が経ち過ぎていて既にぬるくなっている。
くそ、これもあの餓鬼の所為だ。忌々しい……。
ワシは益々腹を立てながら、(羊羹を食べる気も起きずに)ダイニングル ームを後にした。
自室で仕事をこなしていると、ノックの音。
壁に掛けられている時計に目をやると……午後九時四十分か。
この時間ならば屋敷に常駐している者だろう。ワシは面倒臭い思いがしつつも手を止めて、扉へと向けて声を上げた。
「誰だ? こんな時間に……」
すると次に聞こえたのは子供の声。
「――星那です」
どうやら、まだ何か言う事があるらしい。
しかし……本当に話し方が変わっておるぞ。少しは自分の我侭を反省したのかもしれん。
「入れ」
そう思いながらもワシは入室を許可してやった。
「……失礼します」
星那は俯きながら、ゆっくりとワシの机の前まで来る。
「――一体、何の用だ。ワシはお前ほどに暇では無いんだぞ」
「はい……すみません。でも、どうしても、もう一度だけ確認しておきたかったんです」
「確認?」
「ええ。私の発明した物についての事です」
……またそれか。さっきも話したではないか。
星那の記憶容量は前から少ない方だと思っていたが、まさか昼間の事も満足に覚えておられんとはな。
ワシはせせら笑いながら言ってやった。
「お前は、本当に機械の事しか能の無い奴だな。さっきも言っただろう、お前の発明した物でも、ワシの名前での権利を取り消す事はしない」
「おじさん。調べてみたら、それは法律に違反する事だって書いてありました。……それでも、おじさんの名前で特許権を独占するつもりなんですか?」
「当たり前だ。その為にお前なんかをわざわざウチに置いてやってたんだぞ」
「……その為……?」
「ああ。金のタマゴを産む鳥だと思ったから、高い金をお前の両親に支払ってワシが引き取ったんだ」
「でも今までは、『若い才能を伸ばしてあげたいから、おじさんの所に来て欲しい』って……」
「だから阿呆なんだよ、お前は。売れる発明をしないお前には、何の価値も無い事ぐらい判らんのか」
「……それは、お金の為だけに私を引き取ったみたいに聞こえるんですけど」
白々しい餓鬼め……。ここまで言っているのに、まだ理解出来んのか。
「お前なぁ、『金の為』以外にお前をウチに置くメリットがあるとでも思っているのか? ……そもそも、史上最年少で国際機械工学功労賞を授与されたからといって、それに一体いくらの値段が付くと思っているんだ。賞だけでは食っていかれんのだぞ」
「確かに、賞には値段が付けられませんけど……」
「そうだろう。あの頃でこそ世間ではお前の事が取り沙汰されていたが、それも一時の事だ。いずれ、誰もお前の事を見向きもしなくなる。……いや、今でも既にワシ以外でお前と話す者はおらんのではないか? お前は昔から暗い奴だったからな」
星那が苛められていた様子を思い出して、ワシは声を出して笑った。
しかし、
「……そうでしょうか?」
と、星那にはまるでこたえる様子が無い。
「ええい、かわいげの無い餓鬼め……。少しはしおらしくなってマシになったかと思えば、一向に癪に障る態度は変わらんな!」
「え、おじさん……私の事、お好きでは無かったのですか?」
「誰が貴様なんぞに情を寄せるか、この馬鹿餓鬼が! 貴様に資金を渡していたのは、純粋にワシの利益の為だけだ!!」
「そんな……」
「今までに貴様のデータから盗んだ特許は、かれこれ二十くらいか? しかし最近は碌なアイディアも出なくなっている様だからな、世間体が無ければとっくに追い出してやっている所だよ!」
「金を儲ける道具として役に立たないのなら、子ども一人の生活費を出すのも惜しいんですか? おじさんは、大企業の会長さんなのに……」
「そうそう、取材費をふんだくる事も今では出来なくなったからな。いっそ居なくなった方がせいせいするってもんだ!」
「……そんな風に言うんだったら、本当に出て行きますよ」
「ああ出て行け、行けるものなら行ってみろ! ……もっとも日本中……いや、世界中を探したって、お前の居場所なんか何処にも無いだろうがな!!」
ワシが自分の言葉に大笑いしていると、星那が突然に机を蹴った。
「!?」
「――おじさん、正直に言ってくれて有難う。おじさんも、やっぱり他の人と同じだったのね。自分よりも劣っている者を笑ったりいじめたり、都合によって態度をコロコロと変えたり……。おもしろいくらいに予想通りの反応だったわ」
「何だと……?」
「それから、さっき私の事を『暗い』とか言っていたけど、私の性格はそれだけじゃ無いのよ。私は負けず嫌いだし、凄く根に持つタイプなんだから」
「だったらどうなんだよ! ワシがおらんと何も出来ない癖に生意気な!!」
「あ、ごめんなさい……私、もうおじさんに頼るのは止めるから。……言ったでしょ? 『ここを出て行く』って」
「それで腹いせに『野垂れ死にでもしてやろう』とか考えておるんではないだろうな」
「安心して。そんな事しても何にもならないって、シェナに教えて貰ったから」
「……シェナ? 誰だそれは」
「おじさんには関係無いでしょ。――とにかく、私は出て行くから。……勿論、止めないんでしょう?」
「当たり前だ。どこへなりとも行って勝手に死んでこい。ワシはただ、お前が勝手に家出をしたとしか知らされんのだからな」
「ふん、そう言っていつまでも笑っているが良いわ」
星那は捨て台詞と共に踵を返す。
ワシはその小さな背中に向かって大声を出した。
「居場所が無いからと言って、二度と戻って来るなよ!!」
言いながらも、『絶対にそうなってワシに泣き付いてくるに違いない』と思ってワシは苦笑する。井の中の蛙大海を知らず、とはこの事を言うのだな。
しかし星那は扉を閉める前に、もう一度ワシを睨みながら言い放った。
「何よ、今に見てなさい――絶対に、私は私の理想的な場所を見つけ出してやるんだから……!」
……自覚しているだけあって、本当に星那は負けず嫌いな所があるみたいだな。
しかし負けん気だけでは世の中を渡ってはいけん。ワシは心底、星那を『馬鹿な小娘だ』と思った。
「――会長! 会長!!」
金切り声に起こされ、ワシは苛立ちながら声の主を見た。
「なんだ、お前、どうしてワシの寝室などに来たのだ。そんな事まで許可した覚えは……」
「それ所ではございませんよ! 会長、これを御覧になって下さい!!」
屋敷に常駐している役員の一人に言われるまま、ワシはテレビの画面を見る。……が、勿論こんな状態では『眺めている』だけに過ぎない。
大体、今は一体何時なのだ。起きたばかりで目も満足に開かんし、取り敢えず眠い。
「……お前、もう良いから寝させろ。ワシは朝に弱いんだ。頭も働かんし、もっと……」
『貴様に資金を渡していたのは純粋にワシの利益の為だけだ!!』
「――ぬ!?」
一気に目が開いた。テレビの端から『五時三十八分』という時刻も読み取れる。
けれど、そんな事よりも気にするべきは、テレビが伝えている内容だった。ニュースの見出しには、ワシの名前が書かれている。しかも『援助という名の詐欺行為』だと?
『この様に開発資金を与えると言って子どもを働かせ、裏では全ての発明を占有していた訳ですね』
『はい。……しかも、この音声データの最後に録音されていた音を聞く限り、虐待なども行われていた可能性が……』
「会長、これは一体どういう事なんですか!?」
そんな事、ワシの方が聞きたい!
……ただ一つだけ判明しているのは、あの糞餓鬼めに『してやられた』という事だけだった……!!
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