のらねこの日常

ぶう

自由な猫とほえる犬

我は犬が嫌いだ。特にしつけがいき届いてない犬は本当に嫌い。

すぐに吠えるし、数時間以上も吠え続けてる。注意してもいいわけしか言わない。

特に飼い主が年寄りに多い。年取ったババアが一番イラつく。

「ワンワンワーーン、ワン!ワンワンワーーン、ワン!」

毎回このなき声をする隣の犬をぶち殺したくなる。

日本の法律ではそれをすると懲役刑または罰金刑になるから厄介だ。

その迷惑な犬を罰する法律はない。イカれてる。

「ワンワンワーーン、ワン!」

うるさい。

隣のババア、どうにかしろ。それか、吠える犬ともどもくたばれ。

勘違いしないでほしいが、全ての犬が嫌いというわけではない。吠える犬が嫌い。

むしろ、その犬の飼い主が嫌いなのだ。

我、個人の意見だが、しつけもできないは、吠える犬もなだめられない飼い主が犬を飼う資格などない。

近所、迷惑も甚だしい。

隣のババアは特に嫌いだ。

一度注意しても解決せず、菓子を謝罪で持ってくるだけ。

謝罪と菓子はいいから、その犬をだまらせろよ。

ぶちぶち、菓子を持ってきて、

「犬の鳴き声抑えたいんだけど、そう簡単に抑えられるようなものじゃないのよ」

みたいなことを言ってきたんだが、このババア、マジかと思った。

被害者づらするんじゃねーよババア。

しかも、我がいるときなら知らず、父がいる時にきて、我が応対して

「お父さん呼んでくれる?」

と言いやがって、あの時の我もバカだったが、父親呼んで同情を誘う分、

我が好き放題言えないようにしたのか知らんが、嫌なババアだなと思った。

そして、父が来た時に、さっきの被害者ヅラのようなことを言った。被害者、自分なんですけど。無責任にも程がある。それに、同情する父にも呆れた。我が悪いような顔して振る舞う父もサイコパスだなと一瞬思った。両方、頭がおかしいと思ったのは俺だけか?むしろ、我がおかしいのかと思ったくらいだが、そうは思わない。この文章を読んで、もしも、あのババアやうちの父が読んだ場合、どう思うのか考えたが、笑い話で済ませるような想像もできてより、頭が痛くなった。

あれ以来、他人に期待するのはよくないとより一層強く思うようになった。だが思ってるだけでは現実は変わらない。重要なのは、自身の理想のライフスタイルを目指すため、どう行動して行くかだ。

「ワンワンワーーン、ワン!」

飼い主と犬は似るというが全くだ。人の迷惑も気にできないばかというわけだ。

今ならネットがあって調べることもすぐにできるというのに、ただ自分の萎んだ脳みそで考えた中での彼らの解決策は注意をするだけで終わり。

「これええー」

と注意するババアの声がよりムカつき度を上げる。

犬が吠えているのをむきになって注意したところで逆効果だと言うのにそれさえも理解してない。というか、よく考えてみると、このババア、犬を散歩に連れて行っているのだろうか?その姿を見かけた試しが一度もない。朝、昼、夜と一回くらい見かけてもいいことだろうが、数年間で一度もない。犬の散歩させてないだろう。どうりで吠えるはずだ。

「ワンワンワーーン、ワン!」

デ⚪︎ノートで真っ先に名前を書くなら犯罪者などではなく、ああいう無自覚で自分で調べようともしない無神経なジジイとババアの名前を書く。

高齢化社会においての日本では正直お荷物だし、自分で新しいことを学ばず、若者の足を引っ張る年寄りが死んだところで何にもならないだろうと若者代表で言いたい。今時、小学生でも使えるデバイスを難しいからと言い訳の御託ばかり並べて自分で調べようともしない年寄りは小学生以下だ。早々に土に帰ってもらいたい。子供の方が未熟で年寄りは偉いという敬うべきという謎の価値観があるのだが、あれは年をとっていた者が知識が豊富の時代に重宝された考えであって、今の時代、知識などどの世代でもアクセス可能になった分、年寄りの重宝される要素は減った。むしろその考えを自分たちが楽するために利用する大人が増えた。今の子供の方が年寄りよりも、最新のものを触れてるし、いつの時代も新しいものを作ってきたのは子供たちだ。子供や若い世代を敬ったり、学んだり、尊敬したり、彼らをむしろ見習うことこそ老いていく自分のためにもなるというのに。学ぼうとしない年寄りほど哀れなものはない。

「これええー」

「ワンワンワーーン、ワン!」

映画やドラマ、アニメ、小説、漫画でも年寄りはえらく、若者や子供が何か間違いを起こし人類や周囲を危険に晒す、足手まといのような表現している作品はいくつかあるが、あれは年をとった自分たち世代をよく見せようとする慰めか、マウントでしかない。年取った自分たちは立派で賞賛に値するものだと、ここまでやってきたんだから見返りがあって当然だ、見習えよ、私たちが正しいんだという気持ちが悪いメッセージというか見苦しいものにしか見えない。大画面のスクリーンで糞尿まみれの汚物にまみれたものを長時間見せられているような感覚。これを言葉でどう言い表していいかわからんが、一言で言うならば、クソの極みというべきだろうか。

「これええー」

「ワンワンワーーン、ワン!」

「これええー」とほざくババアと「ワンワンワーーン、ワン!」と吠える犬を猟友会に頼んで2匹とも射殺してもらいたい。そういう法律を作ってもらいたいものだ。海外のように拳銃が手元にあれば隣の吠える犬を撃ち殺してたくなる危険がある分、我が日本生まれで良かったのかもしれない。

「ワンワンワーーン、ワン!」

「これええー」

この騒音は止むことはない。

そんな中、我は、創作する。

一応、ここに書かれてるのはノンフィクションだ。

我が不満に思ったことをここに記す。

「これええー」

「ワンワンワーーン、ワン!」

「これええ」というババアの耳が腐る注意音は聞こえなくなった。

吠える犬を注意するのをやめたのか知らんが、イライラがプラスされる。

年寄りの怠慢さだ。隣の夫婦とその息子の三人暮らしらしい。

近所迷惑を考えたら犬のことをちゃんとネットや本を調べた上で対処したり、何らかの行動に移しても良いはずだが、注意して1〜2ヶ月経っても一向に変わらず以前よりもひどくなったようにも思える。「ワンワンワーーン、ワン!」犬がババアはただ間抜けな声で「これええー」とほざくだけ。

これで、ご近所トラブルや殺人事件に発展するケースもなくないこととのことだが、犯人側に同情してしまう。間抜けな飼い主がいることがよっぽど日本経済にとっても悪影響を与えていると言ってもいい。何せ、一人の生産効率や集中度、幸福度は騒音が与える影響は計り知れないと海外の研究でも取り上げられている。

「ワンワンワーーン、ワン!」

「にゃー」

そんな中で癒しになるのは、うちの猫だ。

とはいえ、この猫、家族の中でなぜか不明だが、我のことを嫌う。

猫パンチをお見舞いしてくるなかなかの猫だ。

「ふあにゃあー」

寝っ転がって、腹を見せて欠伸をするこの猫。

腹を触るともちろん怒る。が、我る。

「にゃっ」

驚いて体勢を元に戻したというより、触るにゃと言っているように聞こえた。

猫のいいところは自由であり、他人に迷惑をかけないところである。(食べ物をねだるときはにゃあにゃあと鳴くくらい、母はそれにイラついているようだが、それだけであとは猫との日常を楽しんでいる)

しかも、意味もなくなかない。無駄な鳴きが少ない。と言うかほぼない。

犬より静かで癒しを与えてくれる。そして何より、自由に自分の赴くまま振る舞う。けして、思い通りに動かず、素の自分を我たち人間に見せてくれることだ。

「にゃあ」

たまにムカつくこともあるが、何やかんやで癒しを与えてくれる。

変なポーズをして寝っ転がったり、変なところにいたりとその行動に全く意味を見出せない。その自由さがいろんなしがらみの考えを吹き飛ばすエネルギーや言葉でも言い表せない何か数倍のものを猫が与えてくれるからであろう。

「にゃあ」

てくてくてく。

障子の隙間の窓から外の景色を見てたそがれる姿。白と黄土色の模様の猫の後ろ姿を見るだけで和む。その隙間から太陽光が猫を照らすと一層、美しさ、猫の孤高さを際立たせる。

我はゆっくりと、猫の背中と頭、顎の順に優しく撫でる。

「にゃあ」

気持ちよさそうに目を細める。

何だろう。これが、安らぎなのか。

心の闇を浄化させてくれる。

一言でいうと、癒しだ。

シンプルにそう思った。

「ワンワンワーーン、ワン!」

その声が我を現実に引き戻した。

あの犬は癒しどころか人に不快さを与えている。

我だけなのだろが、この犬の存在をどうやら母親も煙たがっているようだった。

隣の婆さんに注意しに行くのはもはや論外だ。一度言っても聞かない人間が何をどう強く行ってもこういう隣のサイコパスは人の立場になって考えられない人間だ。人のことを考えるのなら、犬の吠え声が酷くなる前にちゃんとしつけや対処策を何かしらから学んで行動に移している。うつせてないことから、そういう労力をしない怠慢さ、学習意欲のなさからヤバい隣人確定だろう。

このやかましい騒音はいつまで続くのか、解決手段が2つに一つ。

自分でこの家から出て、一人暮らしができるだけの余裕を持つこと、二つは、どこかに就職して、アパートを借りるか、会社の寮で生活をするかだ。

強く決意した。この騒音だらけの環境から脱するため行動に移す。

4年間引きこもっていたが、もう我慢ならん。

人生は、ポジティブな出来事よりもネガティブな出来事が変化を与えてくれる。

「ワンワンワーーン、ワン!」というやかましい吠える声が聞こえなくなった。

午前9時から午前11時の時間帯や夕方ごろによく鳴く。

この犬が吠えないうちに我は作業をする。

PCの画面をつけて、ペンとキーボードに手を添える。

すると、理想のライフスタイル実現へ向けて、筆を走らせた。






※この作品はノンフィクション日記です。僕の現在進行形のしょうもない体験談です。内容には不適切な表現もありますがご了承ください。



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のらねこの日常 ぶう @buu2018

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