花の血 ー 盲目の姫と護衛騎士 ー

華井百合

第1話

 嫌な音だ。ワートは顔を顰める。動く度に鎧が重なり合う音と共に、靴に纏わり付く水が跳ねる音が耳障りだった。普通ならば気にならないのかもしれないが、永遠に続くものだから一度気になってしまうと気にするのをやめられない。感触も気持ちが良いものではない。臭いも最悪だ。腐臭と血液、汚物が混ざり合い、耐え難い臭いを発している。歩く度に地面に落ちている障害物を退かしながら進んでいた。

 周りは廃墟化した建物ばかりで、人気は無い。ワート自身、街がこんな状況になっているとは思ってもいなかった。数年前は多くの人々が住み、市場が並び、栄えていた。

 ワートは隣を見る。そこには微笑みながら馬に乗るルニスがいて、軽やかな鼻歌を奏でている。それに気を取られてたら、既に不快な水音など忘れていた。

 邪魔をしないようにとワートは無言だったのだが、やがてルニスが口を開いた。


「微かに花の香りがするわ」ルニスが左右に頭を振りながら、鼻から空気を吸い込むような仕草をする。「前方の少し左側かしら」

「行ってみましょう」ワートは言う。


 ルニスの嗅覚を頼りに2人は進むと、そこには確かに花があった。


「黄色い花が、一輪だけ咲いています」ワートがそう言うと、ルニスは落胆したように肩を下ろし、幻の花はそうそう見つからないのね、と言った。

 幻の花。それがこの退廃した国で2人が旅をする目的だった。


「ルニス様、ここで暫くお待ち頂けますか」ワートが前方の奇怪な動きをする人外に気付き、止まった。

「分かったわ。気をつけて」ルニスが心配そうな表情を浮かべながら言った。


 ワートは鞘から剣を取り出す。血液が染み込んだ、使い古した物だった。向かってくる人外に剣を一振りすると、相手は倒れた。剣に付着した血液を拭って鞘に戻す。ヘルムと鎧も一通り綺麗にした後に、ルニスの元に戻ってきた。


「怪我はない?」ルニスがワートの方に顔を向ける。

「はい、問題ありません。この先に小さな家があるので、安全であればそこで一夜を過ごしましょう」


 ワートの視線の先には煉瓦造りの1階建ての家があった。赤色の屋根も枯れた植物が張った壁も年季が入ってはいるが崩れている様子はなく、比較的綺麗だ。室内をワートが隈なく調べたが、人が居ないだけで異常はない。外に出てルニスを呼んだ。馬も隣の小屋に括り付けておいた。


「ルニス様、こちらのソファにお掛けください。食事を準備します」感謝を述べながらルニスはソファに腰掛けた。


 ワートはキッチンに向かった。片付いていて定期的に掃除もされていたのか、きちんと管理されていたようだ。ガントレットを外して、何か食べれる物はないか探す。野菜や果物の多くは腐っていたが、幸いなことにこの家主は缶詰を大量に溜め込んでいた。カットされた野菜、加熱済みの肉、砂糖漬けの果物の缶をそれぞれ見つけた。2セットの食器を丁寧に拭った後、缶詰を開けて毒味をする。安全を確認した後皿に盛り付け、調味料をかける。果物は別の皿に乗せた。作業を終えて皿をルニスの元へ運ぶ。リビングに向かうと、先ほどと変わらない体勢でワードを待つルニスの姿があった。


「野菜と肉が盛ってあります」

「ありがとう、ワート」ルニスは微笑みながら料理が盛られた皿と食器を受け取った。

 ルニスが食事を口に運んだのを確認してから、ワートも食べ始める。

「美味しいわ。お肉を食べれるのは久しぶりね」

「缶詰が貯蔵してあったので助かりました」加工しなくても食べることが出来、長期保存が効く缶詰は重宝していた。

「こういう事態に備えていたのかしら」ルニスは少し落ち込んだ様子で言った。

「それか、単に私のように料理が得意では無かったのかもしれません」ワートは実際料理が苦手だった。肉を焼くくらいしか出来なかった。料理の手伝いも時折することがあったが、毎回何故こんなに下手なんだと溜息をつかれていた。

「お料理は難しいわね。お菓子作りは楽しくて好きだけれど」ルニスはばつが悪そうに笑った。

「ルニス様が作られた物はどれもとても美味しかったですよ」

「ありがとう。ワートはいつも喜んで食べてくれていたわね」

 

 ワートはルニスに果物が乗った皿を渡した。

「覚えていますか。一度私がパンを作ろうとした時に火事になりかけたこと」

「覚えているわ。発酵と焼成を間違えてしまったのよね。生地が入っていたボウルが木の物だったから焦げてしまって」

「はい。実はあの時砂糖と塩も間違えていました」

「知らなかったわ。似ているものね。私も何度か間違えたことがあるわ」ルニスは微笑んだ。


 食事を終えると、ワートは食器を片付けて寝室に向かった。シングルのベッド2つにクローゼットや棚が置いてある。こちらも整頓されていた。寝具を整えた後、ルニスを連れてきた。


「今日もありがとう、ワート」ベッドに横になったルニスは柔らかな笑みを浮かべる。

「おやすみなさいませ」


 ベッドの隅に立つワートは、腕を組みながらルニスの顔を見つめていた。

「どうしたの?」ルニスは目を瞑ったまま尋ねた。

「本当によろしいのですか。ルニス様」

「幻の花のこと?」

「はい。他の国に行けば、安全に暮らすことが出来ると思います。ですから……」ワートはその先は言わずに、口を閉じた。

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