第4話 ⑤
幹線道路へと戻る途中で適当な空き地を見つけた紗耶香は、そこにコンパクトカーを乗り入れてエンジンを切った。
助手席の慎太が、不審そうな目を紗耶香に向けた。
「慎太くんは、どういうことだと思う?」
疑問を抱えたまま運転するのが嫌だったのだ。ゆえに紗耶香は、草地に囲まれたこの空き地に停めた車の中で、開口一番にそう吐き出した。
「八代くんのおばあちゃんの姿が、おれの母さんの幽霊……あの姿に似ている、ということ?」
慎太の口調は抑えられていた。
「そうよ」紗耶香は返す。「それと、八代くんが二階の部屋からわたしたちを見ていたこと。いったい何を見ていたのか、って」
「二つ目の質問からだけど、八代くんはたぶん……おれか紗耶香ちゃん、もしくはおれたち二人が、自分のおばあちゃんの姿に見えていたんじゃないかな」
「やっぱり慎太くんもそう思ったんだね。……あの顔のこわばりようは、ただごとじゃないもの」
それは単なる幻覚なのか、それとも自分たち二人、もしくはこのどちらかに八代の祖母が憑依したのか――そんな憶測を紗耶香が訴えると、慎太は「うーん」とうなった。
「さっきの八代くんが幻覚を見ていたのか、本物を見ていたのか、それはおれたちにはわからない。とにかく彼には何かが見えていた、っていうことだけだよ」
調べようのないことなのだ、と紗耶香は理解したうえで、一つ目の質問を取り上げる。
「八代くんが目にした、彼のおばあちゃんの姿……については?」
「おれの母さんの姿というよりは、荒井さんの亡くなったときの姿……そっちのほうを模しているんじゃないか、って思うんだ」
「慎太君のお母さんではなく、荒井さんのほう……」
否定はできなかった。むしろ賛同したいほどである。だが、確証がない。
「あ……」と声を漏らした慎太が、ジャケットのポケットからスマートフォンを取り出した。
「どうしたの?」
「ちょっと時間をくれないか? 気になることがあるんだ」
解決に繋がるのであればいくらでも待とう、と思えた。
「いいよ」
紗耶香は快諾した。
三十秒ほどスマートフォンを操作していた慎太が、「これを見て」とその画面を紗耶香に見せた。どこかの風景の画像だが、それが地図アプリのパノラマ写真であることは、紗耶香にもわかった。しかし、慎太の表情のほうが、紗耶香は気になってしまう。
「これが、どうしたの?」
紗耶香は尋ねた。
絶海の孤島にたった一人取り残されてしまったかのような顔で、慎太は唇を震わせる。
「東京の……おれが住んでいるアパートの近くだよ」
「うん……だから、この画像が、どうしたの?」
「ワカバの住んでいる借家があるはずの、場所」
慎太はそう説くが、画像には、アパートや今どきの住宅に囲まれた空き地が表示されていた。野草に覆い尽くされており、家屋があったという名残さえ見られない。
「これを撮影した時期が古かったとか……」
常軌を逸した出来事の渦中にありながらも、まずは説明のつきそうな仮説を告げてみた。
「いいや」慎太は首を横に振った。「さっき見てきた借家ほどじゃなかったけど、東京で見た借家は四軒とも、古い建物だったんだ。そのどれもが最近になって建てられたなんて、絶対にありえない。もちろん、おれが東京を発った直後に借家が取り壊されて、その直後の画像……なんていうのも、あるわけがない」
「そんな……」
このパノラマ写真はワカバの住む借家の位置を撮影したものに相違ないだろう。慎太がうそをつくはずがない――それがわかるからこそ、紗耶香は背筋の冷たさを払拭することができないのだった。
そして紗耶香は、さらに冷や水を浴びせられたような感覚に陥ってしまう。
「そこ……」紗耶香はどうにか口を開いた。「画像の右端……」
紗耶香が訴えると、スマートフォンの画面に向けた慎太の双眼が大きく開いた。
「これは……」
声を低くした慎太が、画像のその部分を拡大した。
野草の間に身を低くしてこちらを睨む一匹の猫がいた。青灰色の猫だ。
「クク?」
意図せず、紗耶香はその名前を口にしていた。
「ロシアンブルーの野良猫が東京にいてもおかしくはないし、事実、おれは自分のアパートの玄関先でも目にしている。偶然かもしれない」
慎太はそう言うが、無理にでもそう思い込もうとしている――と紗耶香は受け取った。
「それにしたって、こんな偶然があるの?」
説明のつきそうな仮説を出してもらったにもかかわらずそれを拒んでしまう自分を、紗耶香は意識した。
「仮にその猫がククじゃないとしても、慎太くんの部屋の前にもいたわけでしょう? 慎太くんのお母さんが現れた場所に」
いずれにせよ、この画像の猫も怪異にかかわっている可能性がある、ということだ。
「そうだよな」とつぶやいた慎太は、画像を地図に戻し、その画面を大きくスクロールした。
「まだ何か、確認するの?」
紗耶香が尋ねると、慎太は軽く頷いた。
「さっきの借家も気になって。もしかしたら、そっちのも存在していなかった、とか」
「ああ……うん」
この期に及んでの否定ができず、紗耶香は首肯した。
映し出されたパノラマ写真を、慎太は拡大した。
先ほど目にしたばかりの四軒が、そこにあった。古い平屋の一戸建て――紛れもなく、あの借家群だ。
不意に慎太が「そんな」と声を漏らした。
嫌な予感を覚えつつ、紗耶香はその画像を凝視した。
「ひゃっ」
出すつもりはなかったが、抑えきれず、声を立ててしまった。
四軒の手前の道端に、青灰色の猫がうずくまり、こちらを睨んでいるのだ。
慎太はその部分をさらに拡大した。
猫の姿が大きくなる。
「ククだよ……ククに違いない」
紗耶香は言った。もう、ほかの猫という可能性など考えられない。
十秒ほど無言のままその画像を見つめていた慎太が、紗耶香を横目で見た。
「もう一度、前の画像を見てみよう。同じ猫か、確かめてみる」
「そんな画像でわかるの?」
拡大してどうにか「青灰色の猫」とわかる程度なのだ。むしろ確認などするまでもないのではないか――紗耶香にはそう思えてならない。
だが、慎太は気が済まないのだろう。スマートフォンの操作にいそしむ慎太を、紗耶香は止めることができなかった。
パノラマ写真が表示された。先ほどの画像だ。それを拡大した慎太が、見開いた目を紗耶香に向けた。
紗耶香はすぐにその画像を覗いた。青灰色の猫の姿が、消えていた。
「拡大した場所がずれているのかもしれないよ」
紗耶香は助言したが、慎太は首を横に振る。
「いいや、ここだったよ。草と草との間の……ここだった」
そう言って慎太は、画像を縮小したり拡大したり、という動作を何度も繰り返した。確かに、紗耶香が見ても、猫の姿はどこにもないのだ。
「じゃあ、まさか」と慎太は、またしても地図を表示させると、大きくスクロールした。
慎太が何をしようとしているのか、紗耶香にはわかった。もう見たくなかったが、慎太の手を止めることができない。
パノラマ写真の中に、四軒の古い借家があった。しかし、その手前の道端には、先ほどは存在していたはずの猫が、いない。
紗耶香は自分の両手をまじまじと眺めた。この手で、ククの体をなでたのだ。 ククの体をなでたのは、今朝だけではない。会うたびに――足元に寄るたびに、いつもなでていたのである。
「ククって、なんなの……」
紗耶香は、ククに質問する、という慎太からの提案を、本気で実行する気になっていた。
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