第4話 ③

 大根畑の間を進み、突き当たった片側一車線の道を、左へと曲がった。

「荒井さんが住んでいた借家って、さっきの四軒のどれかじゃないかな?」

 歩きながら紗耶香が口にした。

「おれもそう思う。でも、当時のことを知っている人がいないんじゃ……」

 慎太の前に美琴が現れるのはなぜか――そして、それを解決するにはどうすればよいのか――それらの手がかりは何も得られなかったのだ。

「だよね……」

 見れば、紗耶香はうなだれていた。

 気休めだが、言ってみる。

「手がかりはなかったけど、手応えはあった。暗くなったり、肌寒くなったり、何か異様な感じだった」

「そう、それよ」不意に紗耶香は顔を上げ、慎太を見た。「あそこであんな状態になるなんて、やっぱり無関係ではない、ということよ。荒井英子さんか……あるいはククかもしれないけど、わたしたちがあそこに立ち入ったことに腹を立てて……」

「だとしたら、やばいじゃないか」

 そう返して慎太は立ち止まり、振り向いた。

 紗耶香も足を止める。

 遠くに先ほどの疎林が見えた。特に変わった様子はない。

「やばいかもしれないけど」疎林を眺めつつ、紗耶香は言った。「反応はあった、ということよ」

「反応があったにせよ、あそこへまた行ったとしても、やっぱり手がかりは得られないと思う」

「そうかな……まだ猫のことがあるじゃん」

 そう告げて、紗耶香は慎太に顔を向けた。

「借家の周辺を徘徊している野良猫のこと?」

「そうだよ。その猫はククかもしれないでしょう?」

 可能性は否定できないが、うがちすぎなような気もした。

「まあ……そうかも……」

 即答できず、慎太は言葉を濁した。

「だって、東京にもククは現れたんでしょう? 慎太くんのアパートの玄関前にいた、って……」

 あれはククだ、と慎太は断言していなかったはずだ。しかしこのままごねれば、紗耶香の機嫌を損ねるかもしれない。慎重に言葉を選ぶ。

「ならば、ククがおれたちの家の周辺とさっきの借家とを行き来しても、まったくおかしくはない」

「そういうことなのよ」

 どうにか取り繕えたようだ。

 しかし、問題の解決に近づいたわけではない。

「これから、どうする?」

 不安げな色もあらわに、紗耶香は尋ねた。これで終わりにしたくない、という思いがありありと伝わってくる。

「とりあえず、帰ろう」

「帰っちゃうの?」

 紗耶香は不服の色をあらわにした。

「帰るけど、まだ終わっちゃいないよ」慎太は浮かんだばかりの案を口にする。「ククはまたうちの周辺に現れるかもしれない。そうしたら、ククに質問するんだ」

「質問……って、話しかけるの?」

 案の定、紗耶香は目を丸くした。

「ククにはおそらく、おれたちの意思が伝わると思う。さっきの異変がククのせいなら、なおのことだよ。ククは普通の猫ではないんだから」

 最後の言葉だけは自信があった。

「なんて質問するの?」

「おれたちが二人でいるときでも、それぞれ一人のときでも、同じことを質問するんだ。内容は、至って簡単なことだよ」

 慎太がそう言うと、紗耶香は訝しげに眉を寄せた。

「わかりきったこと?」

「あるいは……そうかもね」

 わかりきったつもりではいたが、迷いが生じていたのだ。仮にこちらの思い過ごしであれば、事態は大きく変わるだろう。


 そんなことを今さら尋ねても意味があるのだろうか――商店街を駅へと向かって慎太と歩きながら、紗耶香はそう思った。しかし慎太は、真剣なまなざしで訴えたのだ……訴えたのだが……彼の説明は少なかった。すなわち、なぜ今になってそのようなことをククに質問するのか、という理由がなかったのである。もっとも、理由は何やらあるらしい。ただ、「今は言えない」とのことだった。

 慎太の隠し事、といえば、ワカバを想起してしまう。ワカバに関することゆえ、慎太は口にできないのではないか――紗耶香はどうしても、そう勘ぐってしまうのだった。

 やはり嫉妬しているのだ――紗耶香は改めて自分の気持ちに気づいた。

 コンパクトカーを駐車したコインパーキングが見えてきた。この日の探索はこれで終わりだろう。

 名残惜しかった。慎太とともに歩くだけで、紗耶香は高揚していたのだ。これまでの怪異が解決されなければ、自分はいつまでも慎太のそばにいることができる――そんな自分本位の妄想を抱いているのは否めない。

 人通りが増えてきた。商店街なのだからそれは当然だが、その中で、見知った顔が目に飛び込んできた。

 ヒップホップ系のファッションでまとめた彼は、波瀬仁だった。波瀬までの距離は十メートルほどだ。彼はこちらに気づいていないらしく、道を右から左へと横切った。このまま立ち去ってもらえれば、やっかいごとは避けられるだろう。

「波瀬くん……」

 慎太が独りごちた。

 その声が耳に届いたのか、道を横切ったところで波瀬は立ち止まり、こちらに顔を向けた。

 敵対者に背中を向けるのがしゃくだった。慎太の不用心さを恨めしく思いつつも、紗耶香は腹を決めた。

 紗耶香は歩調を上げた。慎太がそのあとに続く。

「紗耶香ちゃん」

 慎太は、止まれ、と言いたいのだろう。だが、紗耶香の憤激は収まらなかった。

「波瀬くん!」

 ついに声を張り上げてしまった。会社員らしき若い男が、すれ違いざまに、驚いた様子で紗耶香を一瞥した。

 波瀬は立ちすくんでいた。すれ違ったばかりの若い男がそうしたように、見開いた目を紗耶香に向けている。紗耶香の剣幕に圧倒されたらしい――否、それにしては大げさと思えるほどの震えようだった。

「あんた」紗耶香は波瀬の正面で立ち止まった。「平日の昼間からふらふらと歩いてんじゃないよ」

「おまえらだって同じじゃん。つーか、おれは今週……夜勤……だし……」

 波瀬は言い返すが、声は次第に小さくなった。

 いずれにせよ、相手にそのような事情があるのなら、こちらは分が悪い

「わたしたちだって忙しいの」お茶を濁したうえで、紗耶香は言う。「この前のこと、ちゃんと謝ってよ。絡んできたあげく、さっさとどこかへ行っちゃったし」

「あ、ああ……謝るよ。ごめんなさい」波瀬は謝罪しつつ、一歩あとずさった。「だから、もう勘弁してくれよ」

 彼はまだ震えていた。

 何かがおかしい――と感じた紗耶香は、隣に立つ慎太を横目で見た。やはり慎太も、胡乱な表情を波瀬に向けている。

「波瀬くん、何があったんだ?」

 慎太が口を開いた。

「おまえらのほうがよくわかっているんだろう?」

 泣きそうな声だった。波瀬の顔のこわばりは、真に迫っていた。

 しかし紗耶香は、容赦しない。

「わからないよ。説明してちょうだい」

「あのとき一緒にいた女だよ。あいつは、いったいなんなんだ?」

 問われて紗耶香は、もう一度、慎太に目を向けた。慎太も紗耶香を見る。

「ワカバさん……のことかな?」

 波瀬にも届いているだろうが、とりあえず声は落とした。少なくともほかの通行人には聞かれたくない。

「たぶん」答えた慎太が、波瀬に視線を戻した。「彼女が、どうしたっていうんだよ?」

「とぼけんなよ……おかげで、八代がおかしくなっちまったじゃないか」

 目に涙を浮かべながら、波瀬は訴えた。

「八代くんが、おかしくなった?」

 紗耶香は波瀬に詰め寄った。

「自宅の自分の部屋にこもったきり……あのとき以来、ずっとさ」

 涙目でのけ反りつつ、波瀬は告げた。

 しかし紗耶香は得心がいかず、さらに問いただす。

「あの女の子が八代くんに何かした、っていうの?」

「わからないけど、何かしたに決まっている。あのときの八代は、おれと高梨を置いてさっさとばっくれちまって……何度もスマホに電話したのに、まったく出なかった。だから次の日……きのうの朝、高梨と一緒に、八代の家に行ってみたんだよ。そうしたら、あいつのおふくろさんが出てきて、息子が……八代がおかしくなってしまった……て」

「どんなふうに?」

 紗耶香は波瀬を間近で睨んだ。

「ずっと、へらへらと笑っているんだって。食事もろくに取らないで、自分の部屋で、床に座り込んで笑っているんだってよ。今朝も夜勤明けに八代の家に寄ってみたけど、やっぱりおふくろさんが出てきて、八代は相変わらず部屋にこもってへらへらと笑っているだけらしい。寝ているのかどうかもわからない、ということだった。もちろん、仕事にも行っていない」

「八代くんの家って、どこだっけ?」

 紗耶香は慎太に顔を向けて尋ねた。

「うちから車で五、六分のところだけど……行くの?」

 問い返されて、紗耶香は「うん」と頷いた。

「だって、何があってそうなっちゃったのか、ちゃんと聞かないと」

 今のところは、唯一の手がかり、と言ってもよいだろう。見過ごすわけにはいかない。

「でも、八代くんは話ができる状態ではないんだろう?」

 そう紗耶香に返して、慎太は波瀬に視線を移した。

 波瀬は頷き、「無理だと思う」と告げた。

「行ってみるだけ行ってみようよ」

 紗耶香は慎太にそう訴えると、波瀬を睨んで「あんたもだよ」と言い放った。八代の友人がいたほうが都合はよいのだ。本人がいくらかでも回復していれば、友人同士ならば会話ができる可能性はある。仮に回復していなくても、その母から話を聞くためには、やはり、接点の多い人間に間に入ってもらったほうが差し障りがないだろう。

「おれも?」

 波瀬は目を丸くした。

「あんたの友達がおかしくなっちゃんたんだよ。どうにかしてあげたい、って思うのが普通でしょう?」

 こういった連中には通じない道理かもしれない――と懸念しつつも、紗耶香は言い募った。

「でもおれ、夜勤なんだよ。今晩が今週最後の出勤。今週中に終わらせないといけない仕事があるんだよ。休むわけにはいかないから、もう、帰って寝なきゃ」

「あんたね……」

 二の句が継げなかった。ならば――と、紗耶香は代替えの案を口にする。

「じゃあ、高梨くんに連絡してよ。彼は失業中で時間があるんでしょう? 彼を連れていくことにする」

「いや……それは……」と波瀬は渋った。

「何か問題でもあるの?」

 逃がすつもりはなかった。二日前の意趣返しでもある。

「高梨も気が滅入っているんだよ」波瀬は言った。「八代があんなふうになったから、びびっちまって、家に閉じこもってしまったんだ」

「高梨くんも家にこもっている、っていうこと?」

 紗耶香が問い返すと、「そうだよ」と頷いた波瀬が、不意に左の路地へと走り出した。

「ちょっと!」

 声を上げつつ手を伸ばした紗耶香だが、無駄な努力と悟り、その手を下げた。

「八代や高梨のようにはなりたくないんだよ!」

 振り向きもせずに叫んだ波瀬は、路地の奥で別の通りへと姿を消してしまった。

「おれたちだけで行ってみよう」

 路地の奥に目が釘づけとなっている紗耶香に、慎太が声をかけた。

 紗耶香は慎太に顔を向ける。

「行ってくれるの?」

「何を言っているんだかな」慎太は苦笑した。「おれの問題なのに」

「あ……ああ、そうだよね」

 自分の問題のようにムキになっていたのは事実だが、第三者としてあしらわれたような気がして、紗耶香は唇を噛み締めた。

 そんな気持ちを払拭できない紗耶香は、「パーキングの料金は自分が払う」という慎太の申し出を断り、自腹で済ませた。

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