嘘を着せて、月は照る

侑雲002

第0話 嘘を『着せる』

「お前はどうしようもない『嘘つき未満』の人間だ」

 

 私に対して、こう叫んできたのは叔母だろうか、従姉だろうか、祖母だろうか。母親ではないことは覚えている。


 誰が私に叫んだ言葉なのかは覚えていない。それでも、キンキンと高い声で、ヒステリックに、私の鼓膜と脳髄を揺さぶってきた声なのは知っている。


「お前は嘘ばかりつく。お前は嘘で他人の人生をおかしくする。お前の言葉は甘く蕩けて、他人の人生を蝋のように融かす」


 次々と私を批判する言葉、その中に詩的な言葉の情緒が含まれていたのは、私が今引き継いでいる血か、それとも呪いか。


「そして、お前の嘘は———他人に『着せる』ための嘘だ。照らされていない、月を照らす。陽であり、月の意思、月の想い、隠れたいという月の全てを軽々しく蹴とばし、自らの支配下に置くような、悍ましい嘘だ。二度と私にそんな噓を吐くな。二度と私の家族にそんな嘘を吐くな。二度と……」


 私の記憶にいる女性は、そこで息を詰まらせる。胸の辺り、そこで丁寧に重ねられた着物を握りしめ、荒れた呼吸を整えつつも私のことを睨みつけている。敵意以外の何も感じられない視線と表情だ。私はそんな彼女のことを、どこか冷めた表情で見つめていた。頬からじんじんと広がる熱が、目の前にいる人間に平手打ちされたことで発生したものなのを理解していても、私は彼女から浴びせられる敵意に対して冷ややかだった。


「……出てけ」


 私の視線を受け取った末の諦めか、先ほどまでの激情が嘘のように小さな小さな声で呟くのが聞こえる。


「はい、失礼します」


 正座をしていた私は、正面にいる彼女へ深く頭を下げ立ち上がる。部屋から出て行き、彼女を刺激しないよう襖を音を立てずに締めると、その奥から嗚咽のような音が聞こえてきた。


「『嘘つき未満』」


 その音を聞きながらぽつり呟く。家族に二度と嘘を吐くな、ということは、私は家族として扱われていないのか。その考えに至っても、何ら心が傷つく感覚はなかった。


 廊下の奥に、若い女性が立っていた。

 先ほど私を憎む言葉を吐き、憎む視線を向け、憎む所作をした女性によれば、私がこの女性に嘘を『着せた』らしい。Tシャツにジーンズといったラフな格好、軽くウェーブの掛かった茶髪、化粧のされていない顔には生気がなく、ぼうっと私を見つめている。化粧はしていないが、あの髪型も、ラフな格好も、つけているアクセサリーも、私が『着せた』ものだった。話し方も始めは重かったものを軽くした方が良い、だって貴女の好きな人は———私が台本を——————。


 そこでぽたぽたと滴り落ちるような水音に気が付く。その音の元は彼女の左手首からで、そこからは赤い液体が廊下へ滴り落ちていた。


「アンタの」


 その水滴は廊下のずっと奥から続いている。

 きっと、今の自分を私に見せるために来たのだろう。わざわざ。


「アンタのせいで、私は」


「そう」


 私はそれだけ言うと踵を返す。後ろから聞こえてきたのは言葉として書き起こせない絶叫と、何かが床に落ちた音。そして襖を開く音と、周りの人間が集まる足音。

 全部、どうでも良い音だった。演じきれなかった人間の、嘘を『着こなす』ことが出来なかった人間と、その怨嗟など、どうでもよかった。玄関には、母親があの女性と同じようにぼうっとした症状で私を見つめていた。何かが終わったような目つきで。


「お母さん、帰ろう」


「……」


 母親は私の手を握ると、玄関を開いた。そとは雪が降っていて、冷ややかな空気が家の中へ参りこむ。



「二度と来るな!!!」


「お前らは、お前の子は、お前は!!」


「ずっと翳っていればいい!!」


 背後から聞こえる声が、外に大きく響き、雪に吸われていく。横目で見た母親の目からは涙一つ流れていなかった。そして、私が不安を感じているだろうと、母親の責務を感じて手を強く握るようなこともしなかった。まるで、荷物を持っているかのような手つき。


 私が初めて『着せた』嘘は、こうして終わりを告げた。

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