第2話
がちゃりと扉が開いた。無機質ながらに遠慮が混じる音、きっとこの扉は将来いい役者になる。
「にいや……い、生きてるか……?」
その遠慮を奏でた主はこの女児。俺の妹である、築地こがれだ。こがれは足元まで伸びる長い髪を抱き寄せ、ギクシャクと声を発した。
こがれは返事を聞くこともなく、とてとてと部屋に入ってくる。最近だと、死臭渦巻くこの部屋で動く唯一の存在だ。
「……誰が死に損ないのお荷物ニートだ」
「そっ、そんなの言ってないじゃん!身体こわすから早くネットやめろっ……!」
こがれは、俺の手元にあったスマホを奪い取った。こがれは他人の心境に機敏なこともあり、俺が相談したわけでもないのに概ねの出来事を察していた。
それは非常に有り難いのだが、こがれはどうやら俺を心配して顔を見せているのではないらしかった。
「ねえ……どうせヒマなんだから、そろそろわたしに“いろいろ”教えてくれないか?」
こがれは伏せる俺を見下ろす形でそう言った。俺は伏せているので当然、こがれの表情を見られない。
「……なにを」
「……!今日は教えてくれる気になったのか!?」
「…………」
『なにを』とは、了承の合図ではない。俺は何も言わずに時間を過ごしていると、こがれはぬか喜びを仕舞って口を開いた。
「ねえ、何でもいいんだよ……絵でも動画でも、1個でいいからわたしに教えてくれよ……」
そのままこがれの声は、俺の向かい側に座る。
こがれは3年以上家に引き籠もっている、引き籠もりの先輩だ。ネット歴も俺なんかよりずっと長いし、恐らくディープなものも知っている。だから何らかのメディアに即発されて、自分でも何かをやりたくなったのだろう。
「にいやは広告作ってたんだろ……?絵とか描いて仕事してたんだったらさ……」
当たり前だが訂正しておくと、別に広告を作る人間は絵が上手いとは限らない。いつもそういう一辺倒な手段で闘っているわけではなく、だからこそ難しい仕事なのだ。少なくとも俺のところはそうだった。
「絵じゃなくても、動画の作り方とか……」
動画の作り方を知って何になるんだ。動画を1から作るなら技術やセンスの積み重ねが必要になるし、そうでないなら素材が要る。まさか、こがれが一人顔を晒すわけではないだろう。
「3Dのやつとか……」
「……VTuberか?」
「ひゃっ!うわぁぁぁっ!!」
喋りかけると、こがれは情けない声を上げて後方にすっ転んだ。
「んなっ……!なにをっ!いきなりそんなこと言うんだっ!!……!?」
仰向けに倒れたまま手をブンブンさせ、脚をバタバタさせ、目をシロクロさせる。全身をぎこちなく蠢かせるこがれは、もはや俺の問いの答えを体現しているようだった。
少し前の俺に贈りたいが、“なにを”は肯定に全然なり得る。
「そりゃお前……絵描いて動画作ってモデリングするメディアなんてVTuber位しかねぇよ」
正確には3Dアニメーション制作でもこれらの技術を使うことはあるが、俺には日頃の材料が揃っていた。
一昨日は画像素材の入手経路を探られ、昨日はゲームランチャーの導入方法をせがまれた。補足だがゲームランチャーを経由すると、VTuberを動かすソフトを入手することができる。
こがれの毎日の要求という点と点が今、いきなり繋がりだし、VTuberという結論に辿り着いたのだった。
「逆に聞くが、なんでVTuberをやりたいと思ったんだ」
「そ、それはっ……」
こがれは顔を赤らめて、声を小さくした。
「ネットで面白そうなことしてるのを、見ちゃったから……」
もさもさとした髪の毛をいじりながら、上目遣いでこちらを見た。
「VTuberは止めておけ」
「んなっ……!」
ぴしゃりと言葉を放った。目を丸くして驚くこがれを見て、一度息を吐いた。
我が家では父さんは出張しており母さんはネットに疎い。ここでこがれを止められるのは、俺しかいない。
「VTuberは決して甘くない。甘くなくなったんだ。コストも労力も時間もかかる。将来のキャリアにも繋がらない。視聴者は大手に獲られる。そのうえ人格を出す分コンプライアンスも磨かなきゃいけない」
「そっ、それでもって言ってるんだ!」
「なら一つずつ分けて活動すればいい。絵、動画、モデリング、まずはどれをしたいんだ」
「どれでもない!VTuberがやりたいんだ!面白い人達がいて、楽しい時間を過ごして、みんな頑張ってるから……!」
「そんな場所はじきに無くなるんだ!」
そこで一つの、リレーが終了した。
ヒートアップするこがれの熱に当てられ、つい大きな声が出てしまった。
「あ、ごめ……」
「それじゃあ……」
こがれはまた口を開いた。震えた声がして、思わずその顔を覗き込んだ。しかし顔を見て、俺はぎょっとした。
「それじゃあ……この“やりたい”って気持ちは何なんだ……?」
こがれは、笑っていた。神妙に苦しそうな目をして、それでいて口角だけは隠しきれないほどに上を向いていた。
顔を赤らめて、爆発寸前の恋情を抱いているような表情だった。胸をぎゅっと押さえ、今にも飛びつきそうな様子で真っ白なスケッチブックを見つめていた。
思わず息を吸った。
俺は今まで、“自分に楽をしようとしていた”のだ。VTuberに未来はないなんて言い聞かせて、これから産まれてくる若く、可哀想な芽を見捨ててしまおうとしていた。過酷な未来に立ち向かう人達が居た堪れなくて、辛くて堪らなかったのだ。
VTuberの世界は燃えて、燃え尽きた。……しかし今まさに、新しい芽が芽吹いて、次の時代が始まろうとしていた。
そう思うと、俺の姿勢は自然と正され、少しだけ目線が高くなった。
……猫耳の彼女はただ引退したんじゃないだろ。VTuberの世界が良くなるって信じて、次の人生を今もどこかで捧げているんだろ。それなのに俺が勝手に折れているなんて、恥ずかし過ぎて目も当てられないだろ。
「分かったよ」
「……え?」
14歳とは思えない小さな頭を見下ろして、俺は言葉を発した。
「俺の持ってる力を全部、お前にやるよ」
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