第3話 アイリス姉さまから与えられた使命



「なんてことをしたの!」


 その後、アイリス姉さまは魔王のような顔をして私の手を掴むと、自室に私を引き連れていった。


「いつもと違って、着飾っていると思ったら!」

「第二王子が、今日はそういう話し合いだと言っていた」

「あなた、まだあんな奴と話をしてるの!?」

「私からは近づかない。でも、第二王子エクバルトは私の体を触りたがるから」

「――だから近づかせるなって言ってるでしょう!!!」


 ヴィンセント火山のように噴火したアイリス姉さまに、私は口を閉ざす。

 


   ◇◆◇◆


 第三王妃の子である第二王子エクバルトは、私がアイリス姉さまの後ろを突いて歩くようになってからというもの、何かと私に文句をつけてくるのだ。

 おそらく、第一王妃の子であるアイリス姉さまや、第二王妃の子である第二王女イルゼ、第一王子ウィリアムに頭が上がらない鬱憤を、私にぶつけているのだと思う。


 その文句の種類が変わったのは、数年前のことだろうか。

 私の体に肉がつくようになり、エクバルト兄さまはそれに対して一々、「だらしない体つき」だと嫌味を言うようになっていた。

 私の体は、アイリス姉さまのような弓張月と評される美しい体つきではない。

 そんなことは、アイリス姉さまの着せ替え人形ができなくなってしまったことで、とうにわかっている。

 しかし、あの次兄は私を貶めるために、そうなじってくるのだ。

 黒い髪も、紫色の瞳も、肉ばかりがついた体も、下賤な本性の表れだと罵倒してくる。


 ただ、たまにこともあり、流石に困ってアイリス姉さまに相談したところ、アイリス姉さまの目が吊り上がり、その日以降、第二王子エクバルトはアイリス姉さまの目の前では話しかけてこなくなったのだ。


 姉さまの目を忍んで接触をしてくるようになっただけなのだが、私はアイリス姉さまにいつもベッタリくっついているので、被害は格段に少なくなった。


 そして、奴はこのたび、大変いい情報を私にもたらした。

 アイリス姉さまが隣国に嫁がされそうだという、今回の件である。


「お前、アイリスを野蛮なマグネリア王国なんぞにやりたくはないだろう。会議の場で、代わりに嫁ぐって言えよ」

「……」

「なんだよ」

「そんなに、アイリス姉様が居なくなったら困る?」


 私の言葉は、どうやら図星だったらしい。

 エクバルトは、カッとした様子で私を睨むと、勝手に私の胸を強く掴み、「このデブが!」と叫んで去っていった。

 不快だし痛かったけれども、情報の内容もタイミングも素晴らしかったので、今回のみ許すことにした。


 第一王妃の子であるアイリス姉さまが居なくなれば、この国は第二王妃ミラベルの勢力の天下だ。

 第三王妃もその子であるエクバルトも肩身が狭くなることは目に見えている。

 エクバルトがあれほど焦るということは、よほど第二王妃が官僚達を押さえ込んでいるのだろう。


 というわけで、アイリス姉さまの嫁入り話を事前に知っていた私は、身勝手にも、それを単独で邪魔したのである。



   ◇◆◇◆


「ヴィオレッタ。いいから、お父様にもう一度掛け合いなさい。あなたがマグネリアに行くことなんてないのよ!」

「それで、アイリス姉さまが嫁ぐの?」

「そ、それは……」

「マグネリア王国の男は野蛮だって」

「――私は、こんなことを押し付けるために、あなたを拾ったんじゃない!」


 叫ぶアイリス姉さまに、私はなんだか胸がムズムズするような、不思議な感覚を覚えた。

 よくわからないその感覚を、目をぎゅっとつむり、押さえ込む。


 それはそれとして、そういえば、そろそろ伝える時かもしれないと、私は思い立つ。


「アイリス姉さまが私を拾ったのは、姉さまのお母さま――第一王妃を、目覚めさせたいからでしょう」


 その言葉に、姉さまがサッと青ざめる。

 私は、ああ可哀想だなと思った。


 この十八年間、眠り続けている第一王妃クリスタ。

 彼女は、その侍女ケイトが私ヴィオレッタを生み落とした数日後に、夫である国王ヴィルクリフに刺されたのだ。

 そして、普通であれば命を落とすはずだった彼女は、魔女の血を引く侍女ケイトの魔法により、その命を繋いでいる。


 命を落とすことは無いけれども、眠り続けている王妃クリスタとその侍女ケイト。


 母に会いたい幼いアイリス姉さまは、魔女ケイトの娘である私に目を付けた。

 私に食べ物を与え、教養を与えていれば、もしかしたらこの妹が気が向いて母を目覚めさせるかもしれない。

 アイリス姉さまはその一心で、私を囲っていたのである。


 しかし、ほかならぬ私がそのことを知っているとは思っていなかったのだろう。


 罪悪感に殺されそうな顔をしている姉さま。

 だから言いたくなかったのだ。


 けれども、しかたがない。

 きっとここを逃せば、伝える機会がなくなってしまう。


「ごめん、姉さま。それは、できない」

「……ヴィオレッタ、あなた」

「だから、私が隣国に嫁ぐ」


 血の気が引き、もはや白くなった顔で立ちすくむアイリス姉さまの碧い瞳を、私は真っ直ぐに受け止める。

 そして、その美しい顔を眺めながら、滑らかな白い頬に手を添えた。


 アイリス姉さまは、強くて、美しくて、とてもよわい。


「私は、姉さまの一番の願いを叶えてあげられない。だから、任せて」


 アイリス姉さまは、その場で泣き崩れた。


 姉さまを泣かせてしまった私は、とても悪い子だ。

 けれども、自分が泣かせたのだと思うと、何か満ち足りた思いもあって、その満ち足りた心のまま、私は姉さまのそばにそっと腰を落とす。


 何か言わなければいけないと思い、ふと、議場で出ていた話題のことを思い出して、口にしてみた。


「私が隣国で殺されたら、アイリス姉さまは助かる?」


 両頬を思い切りつねられた。

 涙でぐしゃぐしゃになったアイリス姉さまに烈火の如く怒られたのは、その二秒後のことだ。

 「こんなに怒られるなら口に出すのではなかった」とポロリとこぼすと、さらに怒られた。

 失態である。


「嫁ぐなら、マグネリア王国を骨抜きしてきて」

「骨抜き?」

「王太子を落として、王族をメロメロにして、周りのみんながあなたの言うことはなんでも聞いてしまうくらい愛されて」

「……」

「それがあなたの使命よ!」

「自国でもできないのに」


 目の前に大魔王が降臨した。

 だから素直にごめんなさいと謝る。


「ごめんなさいじゃ許さない」

「……」

「ヴィヴィ」

「……頑張り、ます」

「うん」


 頷くと、姉さまはぶわっと涙腺を決壊させて、私に抱きついた。

 細くて柔らかいその感触に、これも最後なのかなと思うと、心に重しを抱えたような気分になる。


 こうして、私は隣国マグネリア王国に嫁ぐことになった。


 その使命は、『王太子を落として、王族をメロメロにして、周りのみんなが私の言うことはなんでも聞いてしまうくらい愛される』ことである。


 そもそも愛されるってことがなんなのか、私にはよくわからないけれども、姉様がそう言うのだからしかたがない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る