第9話「月の宮駅:後日談 後編」

 栃木さんの言った通り、再会した翔太くんは僕のことを覚えていなかった。


 覚悟はしていたつもりだったけど、「おにーさんだれ?」と言われた時はやはりガッカリしてしまった。


「翔太くん、これからお父さんとお母さんのところに帰るからね」

「ママとパパに会えるの?」

「会えるとも。翔太くん、いっぱい冒険したから今日の夜はぐっすり眠れるぞ」


 外はすっかり真っ暗だった。それもそのはず時刻はとっくに22時を回っている。翔太くんの手を引き彼の家路につく影は月明かりが照らしていた。


 本当は車で送迎する決まりみたいだけど、少しでも彼と長くいたかった僕のわがままで徒歩にしてもらったのだ。


 肩車はしない。したくてもできないんだ。今の翔太くんから見た僕はヒーローでもなんでもなく、何故か自分の家まで案内してくれる見知らぬおにーさんだから。


「あそこが翔太くんのお家かな?」

「うん!」


 陰陽庁から連絡を受けたらしい両親が家の外に立っていた。きっと何日も帰らぬ人となっていた息子が帰ってくるときいて居ても立っても居られなかったのだろう。


 今にも駆け出しそうな翔太くんに合わせて、早歩きで家へと向かう。


 その一歩一歩が翔太くんとの別れに近づいていると思うと、僕はどうしてか歩みが重たく感じられた。


 そんな僕の思いとは裏腹に、翔太くんは僕の手を離して両親の元へと駆け出して行ってしまった。


「ママ! パパ!」

「翔太……!」


 何日も会えなかった息子の久しぶりの帰宅に、お母さんもお父さんも涙していた。

 親子三人が涙ながらに抱き合う光景は涙腺にくる。


「お取り込み中のところ申し訳ないんですけどぉ、少々お話しできますかぁ?」


 一緒についてきてくれた心愛ちゃんが事務的なやり取りをしていた。


 心愛ちゃんは翔太くんが街外れのビルで眠っていたところを警察が発見した、という「設定」をご両親に説明していた。


 当然そこに陰陽庁の名前は出てこない。僕達は決して表に出てはいけない存在なのだ。


「ではそういうことでぇ。あたし達は失礼しますねぇ」


 冷静に考えてゴスロリ服を着た少女が迷子の子供を連れてくるなんて違和感しかないはずだけど、翔太パパ達は一切気にした様子はなかった。何よりも息子が無事に帰ってきたことこそが大事だからだろう。


「土御門くん、ちょっとあたしに付き合ってくれるぅ?」

「いいよ」


 案内されたのはこじんまりとしたバーだった。店内はボックス席一つと、カウンター席が5つという少々手狭な店舗だ。


 煙草の煙が染み付いているのか、店内はどこか黄ばんでいる。マスターが髭の似合うナイスシルバーなのも相まって、知る人ぞ知る名店という感じだった。


 心愛ちゃんに言われるままカウンター席に腰を下ろしたが、


「僕お酒飲んだことないよ?」

「大丈夫ぅ、ここノンアルコールカクテルも作ってくれるからぁ」


 そう言われてもよくわからないので、マスターにお任せで注文した。


「ここにはよく来るの?」

「うん。ちょっと疲れちゃったり落ち込んだりした時に来るんだぁ」


「そっか。まだちょっとしかいないけど、いい場所だなって思うよ」

「でしょぉ」


 ドリンクが届いた。とりあえず乾杯をして飲んでみると、アップルベースのフルーツカクテルのようだった。


「美味しいね」

「お口にあったよおで何よりぃ。土御門くん落ち込んでるみたいだったからさぁ」


「やっぱりそう見えた?」

「そりゃあねえ。この仕事辞めたいって思ったぁ?」


「どうだろう……どちらかというと、何を目的にすればいいのかわからないって感じかな? 元々流されてこの仕事やってたところあるし」

「目的かぁ」


 決してヒーローになりたいというわけではない。だけど、陰陽師という仕事は誰にも知られないし、誰にも感謝されない。


 日の目を浴びないところで命を懸けて、誰かを助ける仕事だ。決して報われることはない。


「正直なところ、翔太くんがご両親と会えたのを見た時、ちょっとうるっときた」

「でも覚えてないんだよねぇ」


「そうなんだよな……翔太くんみたいな異界に迷い込んじゃう人ってどれくらいの数いるの?」


「年間で数万人かなぁ」

「数万人?」


 想像していた数字よりも桁が二つほど多かった。


「そだよぉ。その内の大半はあたし達が見つけてきてるんだけどぉ、力及ばず完全に行方不明って形になるのが5000人くらいかなぁ」


「そんなにいるのか……」

「もちろんあたし達の管轄に限っていえばもっと少ないけどねぇ」

「それでも結構な数いるんだろう。僕には想像がつかない世界だ」


 途切れた会話を誤魔化すために、なんとなくカクテルに口をつけると、


「辞めたかったら辞めてもいいんだよぉ?」


 心愛ちゃんは珍しく真剣な顔をして僕にそう言った。


 正直、その選択肢がないといえば嘘になる。


 僕は人助けが趣味なんていう高尚な考えは持っていない。今のところ僕が陰陽師でいるのは心愛ちゃんとの繋がりを保つためだけだ。


 陰陽師でいることのデメリットが心愛ちゃんの存在を上回れば、当然辞めるという選択肢もでてくるだろう。果たして心愛ちゃんの存在を上回るデメリットなどが出てくるのかというのは置いておくとして。


「僕が辞めたら、その穴は誰かが埋めるんだろう?」

「土御門くんの代わりは難しいだろうけどねぇ」


 どうやら僕はこの業界ではよっぽど特別な存在らしい。そんな僕だからこそできることがあるのかもしれない。


「僕は意外と感傷的な人間みたいだ。人助けが趣味だなんて口が裂けても言う気はないけど、翔太くんみたいに困っている人がいるなら助けたいと思う」


 ヒーロー願望はないなんて言ったけど、それこそ嘘だった。僕は誰かのヒーローになりたいんだ。例えそれが一瞬のきらめきだったとしても構わない。


 あの時、翔太くんの口から発せられた「ありがとう」の言葉は、何にも代えがたいものだった。


「僕は、ヒーローになりたい」

「ヒーローなんて陰陽師からは一番遠い存在だよぉ?」


「わかってる。だけど翔太くんを助けたあの一瞬は、僕はヒーローだった。その一瞬だけでもいいんだ。誰も覚えていなくても、僕は僕自身をヒーローだと思いたい」


 誰かの「ありがとう」のために頑張るなんて、まさに僕のイメージするヒーロー像にぴったり当てはまる。


 例え言ったほうが「ありがとう」を覚えていないとしても構わない。その言葉は確かに僕の胸の内で生きていくから。


「後悔しないぃ?」

「しないよ。これが僕の選択だ。それに、辞めたら心愛ちゃんに会えなくなるからね」


「そっかぁ……土御門くんは変わらないねぇ、昔から皆のヒーローだぁ」


 その言葉の意味を問うよりも先に、


「じゃ、土御門くんの新しい門出にぃ、乾杯ぃ」


 僕達が重ね合わせたグラスは小気味いい音が鳴った。



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