#2

「狐……神?」


 僕の脳内を駆け巡る単語は、ソレの容姿とピッタリ重なる。


「あぁそうだ。……狐神と言えど、取って食べたりはせん。そう固くなるな」


 少し嬉しそうに答えた狐神は、幼女の様に薄っぺらい胸を張って微笑む。その笑みはどこかあどけなさがあるものの、満月の光の様に神秘的で、仮にも『神』という称号も頷ける。


「故に少年、名はなんという?」


 薄紅色の唇に人差し指を寄せて小首を傾げた狐神は、ゆっくりと糸のように目を細めた。僕は生唾を飲み込んで深く息を吸うと、雨に濡れた草木の香りが強く鼻を抜ける。


「螢です……新井 螢」

「螢……まぁ、何というか地味だな」


 前言撤回。

 初対面早々に人のコンプレックスを指摘するなんて、品位の欠片も感じられない。


 僕はやれやれと狐神を見つめる。


「あのー、自分は名乗らないんですか?……普通人に名前を聞くなら、自分も名乗るべきでしょう」

「無い……そんなものはとうに消えた」

「消え……た?」

「あぁ、我の事は好きに呼ぶと良い」


 予想外の答えにたじろいだ僕は、まだ降り止まぬ雨音に聴覚を預けながら考える。


「……白」

「は?」

「だーかーらっ……白!」


 我ながらセンスも何も無い見たままの名前に飽き飽きする。それでも僕は真っ直ぐ狐神、いや、白を見つめる。


「ふん……っ、まぁ、螢がそれが良いと言うなら構わんが……」


 つっけんどんな物言いだが、風になされるがまま揺らいでいた白の大きな尻尾はゆっくりと持ち上がり大きく左右に動いた。


 ──喜んでる?!


 僕は内心、分かりやすすぎる狐神に突っ込こんだ。


「ところで螢。……その弦を持ち歩いていると言う事は、貴様、雅楽ができるのか?」

「雅楽って何時代なんですか……まぁ、少しぐらいなら出来ますけど」


 バンドが雅楽になるのかは甚だ疑問だが、色々な楽器を演奏して一つの曲を作ることに変わりはない。少し不安げに白の顔を盗み見た僕は、瞳に浮かぶ悲しげな色に目を見開いた。


「我は、この社に千年も封印されている」


 白は小さく呟く。


 雨音がさっきよりも遠く聞こえたのは僕の耳のせいだろうか?


「封印……ですか?」

「あぁそうだ、神によってこの地のこの社に封印された」


 濁りのない黄金色の眼光が僕を捉える。僕はその視線に絡め取られ、まるで蜘蛛の巣にでも引っ掛かった様に動きを失う。


 暫くの静謐が過ぎると、白は「まぁ良い、もう昔の話だ」と妖しく微笑む。


「封印されてからは敬われたことのない我だ……わざわざ敬語など使う必要も無い」

「は、はい……分か、ったよ」


 うっかり「分かりました」と答えようとした僕は、不自然に言葉を詰まらせながらも彼女にそう答えると、白は鼻の先がぶつかりそうなほど僕の顔に自らの顔を寄せる。


「なぁ、螢……我と取引をしないか?」

「取引って……何を?」

「簡単なことさ!……我の為に雅楽を作ってくれ」


 気まぐれな狐神の要望は、更に僕のコンプレックスと地雷を穿り返した。

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