1話


 ――いやああっ! 兄様、兄様ああああっ!! いやっ、殺さないでっ!! いやっ、月夜様あああああああっ!!


 彼の首が落とされる瞬間は、よく覚えている。

 自分の叫び声以外の声は聞こえなくて、最後の一瞬彼と目が合うと「あいしてる」その一言を遺して、首がどさりと落ちた。


 ――いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!


 血しぶきをあげながら首と胴体が離れ、首が鞠のように転がる。

 駆け寄ろうとする私を村の役人が押さえつける。


「あ、あああ、ああああああ、ど、して……いやぁ……く、ふ、ぅ……あにさま……あに、さまぁ……。か、えして、わたしの、あにさまを、つくよさまを、かえして、ぇ……」

 手を伸ばしても届かない。涙で視界もよくない。

 でも、どこか満足そうな、悲し気で虚ろな表情の彼。

「かえして……かえして……わたしのつくよさまを、かえして……」

 壊れた人形のようにそれだけを繰り返す私の腕を乱暴に引かれる。

「さぁ、巫女姫様。戻りましょう、穢れに触れてはなりません」

「け、がれ……?」

 違う。彼は穢れなんかじゃない。誰よりも優しくて、強くて美しい人だった。私の自慢の兄様だ。

 妹の私に愛されなければ、もっと素敵な女性と結婚して、幸せになれていたはずの人だ。


 ――俺の可愛い巫女姫。


 この時ほど、彼を殺した村人を憎んだことはない。

 私の事を巫女姫などと持ち上げておきながら、私を守ってくれていた彼を穢れ扱いだなんて、許せることではない。

「違う……違う違う違う!! 兄様は、月夜様は穢れなんかじゃない!! 次期長としても立派に村を守ってきたのに! 許さない許さない許さない!! 私はお前たちを絶対に許さないっ!!」

 神様の番なんてどうでもいい。ただ私は、あの人と幸せになりたかっただけだ。

 それを奪った人間なんか、呪われてしまえ!

 しかし、所詮小娘の叫びなど取るに足らないとばかりに村人は私を嘲笑する。

「まぁまぁ。巫女姫様はきっとあの月夜にまだ惑わされているのですよ」

「ええ、ええ。きっとそうです。落ち着かれるまで部屋でお過ごしください」

「でなければ腹の子にも障ります」

 村でも屈強な男たちが私を取り押さえ、私は座敷牢に幽閉された。

 唯一私が外に出られたのは神事の時だけ。

 だけど、私は彼らの為に祈ることなんてしたくなった。

『凰花。我が番よ。お前は本当に純粋なのだな、それほどまでに月夜を殺した人間が憎いか?』

 月夜様が死んで、最初の御言みこと丿儀で、神様――鳳凰は私にそう問うた。

「憎いです。みんな、みんな死んでしまえばいい!」

『その情熱、ふむ、やはりそなたは我が番に相応しい。だが、あれは我から凰花を奪おうとした。知っているか? 凰花、そなたらの両親を殺したのは、月夜だ』

 私は驚きに目を見開く。

 両親との思い出はあまり多くない。でも、大好きだということは覚えている。

 それに、両親が死んだのは神事の始まる直前だと聞いている。その時兄様と私は、祭事場から離れた屋敷にいて、お父様とお母様を殺すことなんて出来ないはずだ。

『だからあの時その報いとして、我はあやつに予言をした。それが事実となっただけだ』

「そ、んな……」

 でも、兄様に下された予言は、私の守り人になることだけだって。そんなことも知らずに、私は……。

『凰花、我の巫女姫、我が番よ。その身に宿る命だけは守れ。いずれそなたの救いとなるだろう』

 これが、その年に賜った神託だった。

 私のお腹には、月夜様との子供がいる。この子を守るのが、私の唯一できること。

「はい、我が神よ。ありがたきお言葉、しかと聞き届けました」

 あの人を失った傷はきっと一生癒えない。

 だけど、この子は月夜様の忘れ形見。大切な、大切な、私たちの宝物。



 その数か月後、私は初めて知る陣痛の痛みに耐えながら、我が子を出産する。

「うううう、ああっ!!」

「もう少しです! 頭が見えましたよ!」

 産婆の声なんて聞いている余裕はなくて、ただただ早く痛みが過ぎ去り我が子に逢えることを希望にしていた。

「はっ、ぐぅぅ……、あ、あああああっ!!」

「おぎゃああ! おぎゃああっ!」

「産まれました! 可愛い女の子ですよ!」

「おんな、のこ……」

 意識が朦朧とする中、産婆の声を聞いてまた涙が零れた。

(あの人に会わせてあげたかった……)

 子供が出来たことを知ったとき、誰よりも喜んでくれた人。でも、会わせてあげることも出来なくて、不甲斐ない自分にまた苦しくなる。

「ねえ、見せて……わたしの、やや子……」

 赤子の声はする。だけど、その場にいた人たちは顔を見合わせるとにっこり笑って私の目を塞いだ。

「なに、なんで……? わたしの子よ、会わせて、ねえっ!」

「お疲れさまです、巫女姫様。この娘は次代の巫女姫になる娘です。母親が罪人なんて知られたくないでしょう?」

 その言葉に私は絶望した。

「そん、な……嫌よ! 私の子よ、返して!!」

 遠ざかっていく娘の気配。出産後の身体で痛みで動けない自分の無力さに打ちのめされる。

 なんど、何度この気持ちを味わえばいいのだろう。

 再び座敷牢に幽閉された私は、今度は祭事ですら外に出してはもらえなかった。

 けれど、たった一度だけ、外に出ることを許された日があった。

 村で罪人として処理された人を弔う日。彼らが悪霊にならないように、悪霊となっても巫女たちの守りがある以上村を襲うことが出来ないと見せつける日。

 村の巫女たちが総出の祭事だ。私は巫女姫ではなく、兄妹で契った片割れとしてその場に立たされた。

 この祭事で自分の役割を思い出せということなのだろう。

 どうして私がそんなことをしなければならない。どうせなら、月夜様と同じようにしてくれればよかったのに。

 私の愛しいやや子とも一度もあわせてもらえていない。

 寒い冬に、吹きさらしの木でできた台の上に、彼はいた。

「っ、あ、ああ……つ、くよ、さま……つくよさま……っ!」

 変わり果てた姿。だけど、骸となった首を抱き締めた時、やっと、やっと返ってきたと思った。

「ごめんなさい、ごめんなさい……。月夜様、愛してる。どうか、どうか……」

 来世でも会えますように。そう祈ることしかできなかった。

 それからの幽閉生活は、人を憎むことも疲れ、ただ早く自分の命が尽きることを願っていた。

 あれからどれくらい経ったのか、私は月夜様の骸を抱きながら外を眺めていると。

「へえ、随分と痩せちまったが元巫女姫様は村一番の別嬪だな」

「あぁ、月夜ばかりいい思いしやがって。俺だってあの女を一度孕ませてみたいもんだぜ」

 数人の男たちの声が聞こえた。

 もう私のことなんか忘れられていると思ったのに。

「な、に……?」

 怖くて部屋の隅で蹲っていると、村の若い男たちが牢に押しかけて来た。

「ははっ、怯える面もそそるなぁ。どうせ暇してるだろうし、俺たちと遊ぼうぜ」

「月夜よりもいい思いさせてやるよ」

「ていうか、兄妹って気持ち悪っ、俺んところにも妹いるけど、抱きたいなんて思わないけどな!」

「だが、これだけ可愛い顔してりゃ変な気も起こすだろうさ」

「いたっ、や、何? なんなの?」

 顔を強引に掴まれ、男たちの下卑た顔が、臭い息が顔にかかる。

「やめてっ!」

「やめて、だってよぉ。ははっ、随分と可愛い声だ。巫女姫っつてもしょせん女だ」

 男たちの手が身体に触れる。

 気持ち悪くて、怖くて、泣いても叫んでも誰も来てくれない。

 私は、ぼろぼろになるまで男たちに弄ばれた。

 もはや死んで生まれ変わっても、月夜様に合わせる顔がない。

 生きている意味ももうない。

 身体は穢され、娘にも逢わせてもらえず、守ることも出来ない。

「ごめんなさい。悪い母親ね、私は……」

 もう、限界だった。

 巫女姫としても、母としても、女としても何も為せない。

 そんなみじめな自分が一番許せない。

 私は、両親の形見の短剣を喉に突き刺そうとした。

「きゃっ!」

 突然、びりっと手に衝撃が走った。

『ならぬ。自害は認めぬ』

 聞き慣れた鳳凰の声に、私は怒りで叫んだ。

「何故ですか! 私の役目はもう十分果たしました! この身は穢れあなた様にも相応しくない。我が子を育てることも許されず。月夜様にも相応しくない! どうか、どうかこの憐れな女に死の御慈悲を!!」

『ならぬ。我が巫女姫よ。そなたは美しい。その魂はまだ穢れきってはいない。よって、そなたの魂の穢れが洗い流されるまで、死ぬことを禁ずる』

「そんな……いやっ、死なせて! 死なせてよぉ!!」

 もう一度短剣を掴んで、思い切り喉を突いた。

「いやあああああっ! いたいいたいいいたいいいいいいいいいっ!!!」

 血は流れる。痛みもある。だけど、死ねない。

「どうしてどうして! お願いだから死なせてよ……私を、もう楽にして……」

 鳳凰は、それ以上は何も答えてくれなかった。

 あれから何十年か過ぎた。

 男たちに身体を弄ばれ続け、死ぬことも出来ず、やがて人々は気付いた。

 私が老いることもなく死ぬこともない化け物だと。

 そんな化け物を村に置いておくことなどできず、私は月夜様の骸と共に村を追い出された。

 それから数年して、風の噂で私たちの娘が流行り病で死んだと聞いた。

 結局一度も顔を見ることが出来ず、胸がとても痛かった。

 だけど、後を追うこともできず、私はただ、流されるままに各地を転々としていた。


 村を追い出されて数百年が経った頃だった。

 私はかつて住んでいた屋敷の、人のあまり来ない場所に月夜様のために作った簡素な墓に墓参りに来ていた。

 もう私を知る村人はいないとわかっているが、顔をあわせる気はなかった。

「やっと見つけた!」

 可愛らしい少女の声に振り向くと、私とよく似た顔立ちの女の子が立っていた。

「あなたは……?」

 知らない子のはずなのに、とても愛おしいと思う。

「わたし、揚羽! あたなの娘です!」

 何百年ぶりかに感情が動いた。ずっと、ずっと気がかりだった私のやや子。

 こんなに大きくなって……。

「と言っても生まれ変わりなんだけど」

「そ、そうよね……。ごめんなさい、私あなたを守れなくて……」

 母親なのに情けなく泣く私を揚羽は抱き締めてくれた。

「気にしてないわ。神様が、ずっと、母様がわたしのこと気にしてくれてるって教えてくれたし、こうして会えて、やっと実感できたもの」

「本当に……? あなたには、私を恨む権利があるのよ?」

「えへへ、まぁ、恨まなかったと言えば嘘だけど。でも、母様もずっと苦しんでるでしょう? わたしなんかよりもずっと、死ぬことも出来ないのって、辛いのに……」

「いいの。こうしてあなたに逢えたもの。よかった……生まれ変わりでも、あなたがこうして元気でいてくれるのが、とても嬉しい……」

 本心だった。心の底からそう思う。

 私のように不老不死なんて残酷な運命をこの子に背負わせなくて、良かったと思った。

「わたしのこと、信じてくれるの? 初めて会うのに……」

「もちろんよ。だってあなたの魂は、私のお腹にいるときからずっと見ていたもの。あの頃と変わらない綺麗な魂を、私が見間違えるなんてことないわ」

 すぐにわからなかったのは、きっと生まれ変わりだったから。

 転生すればどうしても魂の形が少し変わってしまうから。

「そう、良かった」

 揚羽は嬉しそうに笑う。それから、私たちは少しの時間楽しくおしゃべりした。

「あのね、母様」

「なあに?」

 揚羽の甘える声が可愛い。もっと早くからこうしてこの子と過ごしたかった。

「実は母様にお願いがあるの」

「私に出来ることならなんでも言って」

 この子のためならなんだってできる。生まれ変わりでも、私の、私たちの愛おしい娘に変わりはないのだから。

「じゃあ、死んで?」

「え……?」

 揚羽がどこからか日本刀を取り出すと横なぎに払った。とっさに避けてしまった。

「っ、どうして!?」

「神様にね、教えてもらったの。母様を死なせてあげられるのは、私だけだって。そのためにこの刀をもらったの」

「なんですって!?」

 信じられなかった。

 自分が死ぬことよりも、揚羽にその役目を負わせてしまったことに。

 鳳凰が、何を考えているのか全く分からない。

「待って、あなた守り人は!?」

 もちろん、揚羽が本当に私の死を望んでいるなら、殺されることに異論はない。この命を喜んで差し出せる。

 だけど、巫女の最大の禁忌である殺人を犯せば揚羽の魂は悪霊になるか、最悪壊れる。けれど、守り人がいれば揚羽の魂の傷を守り人に移したうえで、巫女の癒しの力で修復可能だ。

 神様が役目として与えたのなら、罪にはならなくとも負荷はかかる。

「残念だけど、見つからなかったわ」

 確かに揚羽の霊力は私以上だろう。月夜様と私の霊力はあの当時村で最も高く、誰も敵うものはいなかったくらいだ。その娘である揚羽の守り人なんて、あの村の人間には荷が重すぎる。

 であれば、揚羽が死んだ理由は流行病だけではなく、呪詛の影響もあったのだのだろう。

 そのうえ、私が魂の形に気付かないほど転生しているなら、守り人がいないときにこの命を差し出すことは出来ない。

「そう……」

「でもね、いいの。わたしが母様に出来ることがあるって知って嬉しいから。私が父様のところへちゃんと送ってあげる!」

 無邪気な顔で刀を構える揚羽に、どうしていいかわからない。

 揚羽の言う通りにすれば、私はこの生から解放される。だけど、揚羽は? あの子にはまだ未来がある。

 私のためにあの子の綺麗な魂を壊すわけにはいかない。

 せめて、この子に相応しい守り人が現れるまでは、私は死ねない。

「あなたの気持ちは嬉しいわ。でも、守り人のいないあなたにこの命はあげられない」

 私は、揚羽から逃げた。

 逃げて逃げて逃げ続けて、あの子も何度も転生して私を追いかけてきた。

 そのたびに私は逃げることしかできなかったけれど、このまま逃げ続けるわけにもいかないということはわかっていた。

 そして彼女と出会って五百年経った今、やっと彼女にも守り人が現れた。

 まさかそれが、月夜様の生まれ変わりの少年だなんて……。

「私は、どうすれば……」

 だけど、きっとこれは最後の希望だ。

 やっと、やっと死ねる。そう思う自分も確かにいる。

 彼と、私たちの娘に看取られて死ぬのなら悪くないかもしれない――。

 

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