最終章

最終章−序章


 信じられないものを見てしまった。

(槻夜君が、あの子の――揚羽の守り人……?)

 光留は凰花の実兄であり、守り人で、最愛の恋人でもある月夜の生まれ変わりだ。

 今でも確かに月夜との繋がりを感じているのに、光留は揚羽の守り人になってしまった。しかも、彼自身の意思で。

 光留の顔と声が、生前の月夜と瓜二つなせいだろうか。割り切れない何かがあって胸が苦しかった。

 彼を振っておいて、自分以外の守り人になるなんて、と思うのは自分勝手すぎて嫌になる。だからただ対従ノ儀が完成するのをただ、呆然と見ていた。

「母様、そこにいるんでしょう?」

 揚羽の問いかけに出ていくべきか迷ったけれど、いっそこのまま死んだほうがいいのではないか。そんなことを思ってしまった。

 姿を現せば、光留が視線を逸らす。

 なんて言っていいか、わからなかった。光留を振った唯に彼を責める資格はない。

 何より、月夜が何を考えているのかわからなくて、怖くなった。

「兄様……」

 自分でも頼りない声だとわかっている。でもあの甘やかな声で「俺の可愛い巫女姫」と呼んでほしかった。

 わかっている。月夜は本来この世にいてはいい人間ではない。光留という生まれ変わりを殺してはいけない。

 頭ではわかっている。でも、ずっと、ずっと昔から、どうしようもうなく愛している。だから、会ってしまえば期待してしまう。

 光留は小さく息を吐き出す。

「月夜はしばらく会えないってさ」

 これは事実だった。光留が蝶子の守り人になったことで、月夜は月夜でやることがあると深く沈んでしまった。

 光留には彼が何をしようとしているのかわからなかったけれど、恐らく唯のためだろうことは想像に難くない。

「どうして、どうしてあなたが揚羽の守り人にっ……」

 言ってからハッとした。恐る恐る光留を見れば、今までの彼からは見たこともないような冷たい視線だった。

「どうして? お前がそれを言うのか?」

「だって、だってその子は私を……」

「殺すことが出来る、だろ。それくらい知っている」

 月夜から教えてもらったことだが。光留とて唯を責めたいわけじゃない。

 ただ、彼女を助けたい。そのためならなんだってする。その覚悟で今日唯のもとを訪れたのだ。

「あなたは、私に死んでほしいの?」

「……なんでそうなるんだよ。まぁ、そう取られても仕方ないし、実際蝶子には鳳凰を殺してほしいと思ってるけど」

「あら、わたしはてっきり母様の味方で、わたしを牽制しに来たのかと思ったわ」

 蝶子はくすりと笑う。

 それからわざとらしく光留の腕に自分の腕を絡ませる。

「母様には悪いけど、彼、貰うわね。大丈夫、必ずわたしが月夜の元へ送ってあげるわ」

 蝶子が手に武器を出現させようとするのを光留が手で制する。

「やめとけ。さっき悪霊払いもして、対従ノ儀もそうだけど俺の怪我治したばかりで疲れているだろ。その状態で殺せば蝶子の魂が持たない」

「……わたしはそれでもいいんだけど、わたしが死ねばあなたの負担にもなるからしょうがないわね」

 蝶子は唯を見る。

「そういうわけだから、今日はいったん帰ります。またね、母様。大好きよ! 白狐びゃっこ、お願い」

 静かに控えていた落神の白狐は頷くと辺りに霧が立ち込める。

「待って!」

 唯が止める間もなく霧が晴れると、そこには蝶子も光留もいなかった。

「なんで……私の、守り人に、なるんじゃなかったの……?」

 魂には、確かに月夜との繋がりを感じているはずなのに、とても遠い気がする。

「兄様、私はどうすれば、良かったの……?」

 昼に逢った時は昔のようにただ甘やかしてもらった。それで満足できればよかったのに。

 会ってしまえば心がどうしようもなく求めてしまう。

「兄様……兄様……」

 唯はその場に蹲り、泣くことしかできなかった。



 蝶子に手を引かれ、気が付けば光留は知らない学校の校門の前に立っていた。

「あれ、ここ……」

 白狐が転移の術でここまで転送してくれたようだ。

「英華女学園。わたしの通っている高校よ」

 光留は驚きに目を見開く。

「はぁ!? おま、そんなお嬢様なの!?」

 英華女学園といえば、光留の住む地域からは駅五つ分の距離にある、超名門の女子校だ。

 出身者には女優や政治家や起業家などのエリートが集まる。光留の通う高校よりも偏差値は少し高い。

「まぁね。本当はあなたの家まで送ってもらおうかと思ったんだけど……」

『イクラ守リ人デモ、出会ッタバカリノ男ノ家ニ行カセルナド、言語道断ダ、蝶子ニ何カアッタラドウシテクレル!』

「って、父様がいうから、ごめんなさいね。あなたの家、ここから遠い?」

「いや、そこまで遠くないからいい。県外ってわけでもないし、自力で帰れる」

「そう、なら良かった」

 光留は白狐を見る。

「ここまで送ってくれて助かった。落神って結構いろいろできるんだな」

『ソウイウワケデモナイ。我ハ蝶子ノ眷属ダカラ許サレテイルダケダ。蝶子――揚羽ニ出逢ワナケレバ、我ハ既ニ朽チ果テテイタカ、形ヲ失ッテイタダロウ』

 光留の質問に答えてくれるとは思わず、きょとんとしてしまう。

「白狐、だっけ? 元はそれなりの格がある神様だったんだろ。こう言っちゃ悪いのかもしれねえけど、人間の小娘に仕えるって、結構嫌なもんじゃねえの」

「他ノ娘デアレバソウダロウナ。ダガ、我ハ揚羽ニ救ワレタ」

 白狐はそれ以上は語らなかったが、きっと二人の間にもいろいろあったのだろう。

 それに、はたから見ても白狐は揚羽を本当の娘のように慈しんでいるのだとわかる。

「思ったよりしっかり父親してるんだな。月夜が苛立つわけだ」

 感心していれば、白狐はすっと目を逸らす。照れているらしい。

「そうよ。父様は揚羽にとって育ての親も同然だもの。こんな素敵な父様、他には絶対いないわ」

 落神を倒してばかりいたが、こういう関係も築けるのか、と光留は不思議な心地になる。

「今日はもう遅いし、お互い帰りましょう。あ、そうだ。連絡先だけ教えて。今度、母様を殺す作戦ちゃんと錬りましょう!」

「あぁ」

 光留と蝶子は互いの連絡先を交換し、英華女学園の校門で別れた。

 彼女の家は光留の乗る路線の駅とは反対方向にあるらしい。

 女子高生の一人歩きは危険なので、送ってやろうかと思ったが、白狐に睨まれたのでやめた。


「ただいま」

 家に帰ると母――朱鷺子が迎えてくれた。

「お帰りなさい。あら、光留、もしかして守り人になったの?」

 パートとはいえ、巫女筆頭だった朱鷺子はさすがに気付いたようで、光留は「まぁ……」と曖昧に答える。

「そう。あなたがそれでいいならいいけど、この間言ってた守りたい人なの?」

 いずれ義娘になるかもしれない女の子に興味深々な朱鷺子。

「いや、違うけど。まぁ、でも必要だって言われたからな」

 守りたいというよりも、蝶子はどちらかというと支えたいという気持ちの方が強い。

 唯とは明らかに感情が違う。それに、多分彼女とは恋にならない。彼女は顔立ちもそうだが唯によく似ているけれど、唯とは違う意味で心の強い少女だ。

 光留の様子に思うところがあるのか、朱鷺子はそれ以上聞いてこなかった。

 代わりにふっと視線を宙に移す。

「そういえば、朱華ちゃんは? 光留と一緒に出掛けたわよね?」

 光留はそういえば、と思い出す。自分の事で精いっぱいだったが、朱華は朱鷺子とも仲がいいのだ。

「朱華は、逝ったよ。神の世に。俺の巫女姫が送ってくれた」

 それだけで、朱鷺子には伝わる。

 朱鷺子は光留の言葉をゆっくりと飲み込むと、ポロリと涙を零した。

「そう……そう。やっと、解放されたのね。良かった……。明日私のほうでもちゃんと祈っておくわ」

「うん。きっと朱華も喜ぶよ」

 朱鷺子と会話を終えると、光留は自室に戻る。

 今日はいろいろなことが起こりすぎて本当に疲れた。


 ――おやすみ、みっちゃん。


 朱華の、可愛らしい声が聞こえた気がした。


「おやすみ、朱華」

 

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