8話


 太陽が中天に差しかかると、林の中は蒸し暑くなってきた。境内よりは涼しいし、風も心地良いが陽が木々に遮られて、何処か不気味な印象がある。

 光留と唯は境内に向かって歩いていたはずだが、ふと唯が呟く。

「おかしいわ」

「何が?」

「道……空間が歪んでるのかしら?」

「は?」

 光留にはさっぱりわからないが、唯には何かが視えているのだろう。

 立ち止まった唯が、周囲に視線を向ける。

 (一、ニ、三…………七ってところかしら)

 随分と数が多い。凰鳴神社は、凰花達が住んでいた屋敷の跡地に建てられている。歴代の巫女達の結界は、弱くなっているとはいえ、こんなに多くの落神が入り込めるはずがない。

 (誰かが手引した? 何のために?)

 唯には一人だけ心当たりがいる。

 (狙いは、私だけのはず。あの子に彼まで殺させるわけにはいかない……)

 罪を背負うのは、自分だけで十分だ。月夜にも、誰にも過去に縛られてほしくない。

「落神の数が多いな……」

 光留がぽつりと呟く。

「わかるの?」

「正確な数まではわかんねえけどな。これでも一応守り人の勉強してんだよ」

 唯は素直に驚いた。光留の潜在能力は高い。月夜は歴代でもっとも力の強い守り人と言われているのだから、生まれ変わりである彼がその力を持っていることに、何ら不思議はないのだが、ひと月足らずのこの短期間で霊力探知まで出来るくらい霊力を扱い慣れ始めている。

 (月夜様の影響もあるのかしら?)

 だとしても、彼はまだ戦えるほど強くない。月夜は、凰花の守り人になる前から次期長として様々な勉強をしていた。武術も霊力の使い方も、長としての役目も。その努力は一朝一夕で会得できるものではない。

「……なんだよ」

「いえ。……でも、落神の気配がわかるならわかるでしょ。今のあなたじゃ勝てないの」

「まぁな」

 癪だが唯の言う通り、半人前以前の光留が落神と戦って勝てる見込みはない。

「だったらいい子で大人しくしていて」

 完全に子ども扱いされ、ムカッとしたが、事実足手まといだ。その自覚があるから光留はため息をついて釈然としない感情を吐き出す。

「はいはい。大人しくしてるよ」

 唯が動きやすいように数歩離れると、光留の周りには結界が張られる。

 (器用だよな。これも巫女姫の力ってことか?)

 巫女姫は、神託で選ばれた巫女か、もっとも神に近い霊力を宿す娘に与えられる呼び名だという。

 何度か唯が戦うところを見ているが、自分の倍以上もある落神をいとも簡単に倒してしまうその力は美しくもありながらどこか悲しく見える。

 唯は何処からともなく日本刀を出現させ、炎を纏わせると構える。

 巫女の戦い方ではないが、不老不死の呪いを受けて以降、持っていた霊力に制限をかけられてしまったため、仕方なく身につけた戦術だ。

(来る――!)

 背後から一柱の落神が、ズドン! と重い音を立てて落ちてくる。唯の三倍はある巨躯に、般若面のような顔。額から突き出た一本の角という、鬼と呼ばれる方がしっくりくる見た目をしていた。

 続けてぼとぼとと蛇の姿をした落神、狐と犬の頭を持った落神、翼の生えた牛の身体に人の顔を持つ落神、炎を纏ったような鼠の姿をした落神、人の形をしているが魚の目と鰓を持った生臭い落神が落ちてきた。

(一柱足りない……、奇襲のつもり?)

 しかし、様子を見ている暇はない。

 ここで唯が放り出せば光留が犠牲になってしまう。

 先に動いたのは、蛇の姿をした落神だ。口を開けて唯を丸呑みにしようとする。

「くっ……!」

 結界ではじき返したが、すぐに人面の牛もどきの落神が突進してくる。炎で足止めをし、振り返った勢いで狐の頭を刀で切り落とす。

 だが、そのすぐ後ろに巨大な落神が腕を振り上げていた。

「きゃっ!」

 避けたが風圧の衝撃に吹き飛ぶ唯の身体が近くの木にたたきつけられる。

『不老不死ノ娘……』

『喰エバ我ラモ不死トナル』

『否、乙女ノ清ラカナ肉! 巫女姫ノ血肉ハサゾ甘美ダロウテ』

『失ッタ我ガ片割レモ、蘇ル』

 蹲る唯に落神達がにじり寄る。

「っ、鳳凰!」

 光留が叫ぶと同時に、唯も起き上がる。

「あぁ、そういうこと……。あの子に唆されたのでしょうけど、全部迷信よ」

『フン、不老不死ニ慣レズトモ、巫女姫ノ霊力、血、肉、魂全テ極上ノ餌』

『匂ウ、匂ウ……甘ク、香シイ乙女ノ匂イ』

 唯は自嘲するように笑う。

「言っておくけど、私の純潔はあの方に捧げたの。魂の純潔は我らが神の物である以上、あなた達には渡せないわ」

 唯の背後に、無数の火の矢が現れる。

「私は兄様のように弓は得意ではないから、加減は出来ないの。火事にならないようにはするけど、いざとなったら逃げなさい」

 光留に向ってそういうと、唯は返事も待たずに火の矢を射た。

 本来であれば攻撃的な術は巫女である彼女は使えない。しかし、いざ一人で戦うとなるとどうしても巫女の力だけでは不十分だった。

 この術は、月夜の影を追って再現したものだ。彼に比べれば威力や精度はどうしても落ちるが、掠めることが出来れば問題なかった。

 無数の矢が、落神達目掛けて降り注ぐ。

『グゥ、小癪ナ!』

『コノ程度デ、我ラガ倒サレルト思ウテイルノカ!』

『アチッ、アチッ!』

 牛もどきはその姿同様、あまり俊敏な動きは出来ないのか、翼から炎が燃え広がっていた。

(アレは放っておいても大丈夫そうね。残りを片付けましょう)

 残った犬の頭が唯に噛みつこうとする。それを避けようとした直後、足に鋭い痛みが走った。

「あっ!」

 蛇姿の落神と火鼠の落神が唯の足首に噛みついた。蛇姿の落神はそのまま足に身体を巻き付ける。

「っ、この!」

 胴体を掴み、炎を走らせる。

『ギャアアアアアアッ!』

 二体は一瞬で灰になったが、頭上には犬の頭があって、唯の首に噛みつかれた。

「ああああっ!!」

 痛みに唯が悲鳴を上げる。

「っ、鳳凰から離れろ!」

 光留が札を落神に向って投げつける。

 『ギャン!』

 命中した札からジュッと焦げた匂いがして、焼けた痛みに落神が唯から離れる。

 それを見て安堵したのもつかの間、グシャッと柔らかな何かが潰れるような音が耳に響いた。見れば巨大な落神が唯の頭を叩き割り、唯の小さな頭がトマトを潰したかのように赤い液体を撒き散らして倒れ伏していた。

「なっ!」

 一瞬の出来事だった。普通の人間ならまず生きてはいない。

 頭の潰れた唯の身体を巨大な落神はぷらんと摘まみ上げる。

 だらりと落ちた手から血がぽたぽたと滴る。

「ほう、おう……?」

 あまりにも惨い光景に光留は膝から崩れ落ちた。

(助けて、やれなかった……)

 唯は不老不死とはいえ、これで本当に生きていると言えるのだろうか。否、何度もあんな経験をしているのだろうか。

 そう思うと、なんて残酷なのだろうか。唯は怪我をして、痛みに悲鳴を上げていた。

 痛覚は生きているのだ。気が狂いそうになるくらいの痛みに、何度耐えていたのだろう。

 守っていた月夜がいなくなり、ひとりで全部背負い込んで、死ぬことも出来ずに。

 孤独に耐える唯を守りたいと思ったのに、このありさまだ。

(結局、俺は何もできないのか?)

 もっと早く唯と出会っていれば。もっと早く、守り人になる決意をしていれば。

 そんな後悔が光留に押し寄せる。

『フン、他愛ナイ』

 巨大な落神が口を開けて唯を口に入れようとする。

 血の滴る手が、ピクリと震えた。

「……ぃ……たい……ぃ、た、ぃ……」

 微かな幼子のような苦痛を訴える声が聞こえた。

「え……」

 潰れたはずの頭が再生し、唯の金色の瞳からとめどなく涙が溢れていた。

「っ、いたい、よぅ……。たすけて……いたい、の……」

 その嘆きは、無意識に出ているのだろうか。唯の目に光はなく、どこか遠くを見ているようだった。

「も、ぅ……いたいのは、いやあああああああああああ!!」

 唯が叫ぶと、辺り一帯が炎に包まれた。

『ナッ!』

『浄化ノ炎ガ、暴走シテ!?』

『アリ得ナイアリ得ナイアリ得ナイ!!』

『ギャアアアアアアアーーーー!!』

 落神達が次々と燃えていく。唯を掴んでいた巨大な落神もあっけなく燃えて、ぼたりと唯が落ちてくる。

 光留は慌てて唯に駆け寄る。

「鳳凰!」

 唯が緩慢な動きで身体を起こす。

「兄、様……?」

 光留を見ながらぼんやりと呟く。手を伸ばす唯の手を取ろうとした次の瞬間、ドスっと鈍い音が聞こえた。

「あ……」

 唯の胸から剣が生えていた。苦痛に顔を歪める唯の口から血が吐き出される。

「かはっ……、ぁ……ああ……」

 痛くて苦しくて、早く死んでしまいたい。過去がフラッシュバックして、唯は泣きじゃくる。

「いや、痛い……お願い、だから、死なせて……死なせて、よぉ……」

 痛い、痛いと血を吐きながら繰り返す唯の胸から剣が引き抜かれる。

『フム、ヤハリコノ程度デハ死ナヌカ』

 現れたのは光留と同じくらいの身長と体格に、白い布で面をした落神だった。

「お、前……!」

 怒りのあまり光留は睨みつけるが、落神と思しきソレは不敵に笑う。

『憐レナ女ヨ。ソレホドマデニアノ男ガ恋シイカ』

 落神はニィと笑う。


 ――俺の可愛い巫女姫。


 どこからともなく、聞き知った声が聞こえた。


(俺、喋ってないぞ)

 そもそも、あんなゾッと寒気のするような甘い声は光留には出せない。


 ――そんなに泣くな。可愛い顔が台無しだ。ほら、おいで。


 唯がノロノロと顔を上げる。

 あまりの激痛に意識ははっきりしない。だけど、ずっと焦がれていた人がそこにいる。

「あに、さま……、兄様っ……」

 唯が手を伸ばした先にいるのは、落神だ。

「っ、馬鹿! そっちに行くな!」

 光留は慌てて唯の腕を引き抱き込む。

「いや! 離して! 兄様、兄様!!」

「落ち着け! あれは落神だ!」

「違う! 兄様よ、私の!」

「っ、ふざけんな! 月夜の生まれ変わりは俺だろうがっ! 俺をよく見ろ!」

 光留が怒鳴れば、唯はピクリと震える。

「ぇ……、兄様……?」

 唯は頭が混乱する。目の前には確かに月夜がいるのに、今唯を抱きしめているのも月夜だからだ。

「なん、で……私、わたし……」

「ごめん、守れなくて、ごめん……」

 震える光留に、唯はどうしていいかわからず、けれど行かなければと気が急く。もぞもぞと動いてみるが、光留の抱く力の方が強く、抜け出すのは困難だった。

『チッ、オ前、邪魔ダナ』

「そりゃどうも」

 光留は唯を抱きながら落神と距離をとる。幸い、唯が張った結界を破るほど強くはないようだが、幻覚を見せられると厄介だ。


 ――俺よりそいつがいいのか?


 また、月夜の声がした。

「ちがっ……、私は、私は……」


 ――なら、わかるだろ? お前がそいつを、俺の偽物を殺せ。


 唯の目が見開く。

「そんなの、出来るわけ……」

 巫女としての最大の禁忌は、殺人だ。人を殺せば魂が汚れ、純潔ではなくなる。


 ――死にたかったんだろ? 大丈夫、俺も手伝ってやる。堕ちる時は、一緒だ。


 月夜の優しい声に、グラグラと頭が揺れる。ガンガンと痛みが頭に響く。

 (そうね。私は、恨まれて、憎まれて当然だもの……)

 自分を抱く月夜を見上げる。幻なんかじゃない。

 どちらが偽物か、なんて明白だ。

「……それが、兄様の望みなら」

 痛い。苦しい。

 まだ痛みは引かない。でも、やるべきことはわかっている。

「堕ちる時も、ずっと一緒にいてくださいね……」

「何言って……」

 唯の言葉に光留は歯嚙みする。

 どれだけ唯が――凰花が深く月夜を愛しているか、見誤っていた。こんな時、月夜ならどうしていたのか、必死に考えてみるが弱っている彼女に果たして届くのかどうか。

 光留が迷っている間に、唯はするりと腕の中を抜け出して、落神へ駆け出す。

「おいっ! やめろっ!」

 光留が止める間もなく、唯は落神に向って手を伸ばす。

 落神が、剣を構えたまま、唯を抱き留める。その刃先は唯の腹を貫いている。

「はっ、ぁ、に……さま……、あいして、ます……」

 唯がその背中に腕を回すと落神が、燃えた。

『ホウ、幻覚ヲ破ルカ』

「……大丈夫です。今度こそ、独りにしません。私も、一緒に」

 柔らかな笑みを浮かべて、唯は自らの炎に飲まれる。

 幻覚は、解けていない。ただ、もう月夜を苦しめたくなかっただけだ。

『マア良イ、今回ハタダノ様子見ダカラナ』

「様子見……? まさか、逃げる気か!?」

 光留が驚いて声を上げる。唯の身体は再生と熱傷を繰り返しているせいか、意識はなさそうだ。ただ、月夜を離さないという強い意志だけが、彼女を動かしている。

 落神の口の端が笑みを形作る。

『マタ会オウ』


 ――俺の可愛い巫女姫、今度会ったらちゃんと殺してやる。


 月夜の声でそれだけ残して、落神は消え去った。

 残ったのは、今だ炎に飲まれた唯だけだ。いつもであればすぐに灰になるはずの落神だが、逃げたということは唯は無意識に月夜を殺すことを躊躇ったのだろう。

 逃がした落神の事は気になるが、それよりも今は唯の炎を止めるほうが先決だ。

(俺に止められるか……?)

 いや、迷っている暇はない。たとえ自分が燃えてしまったとしても、唯を助けなければきっと後悔する。

「鳳凰。もういい、落神はいなくなった。だから、もういい。戦わなくて、いい」

 光留はそういって、唯の手を取り、抱きしめた。

 熱い、けど、耐えられないほどではない。月夜は凰花の守り人だった。その縛りは光留に引き継がれている。

 光留はまだ、唯の正式な守り人ではない。それでも、彼女の為に何かできるはずだ。

「熱くて苦しいだろ。だからもう、やめてくれ……」

 懇願するように震える声で唯に訴え、そっと口づけた。

 唇を通して、唯の中に柔らかな何かが流れ込んでくる。

 ぼんやりとした視界に泣きそうな月夜の顔があって、「あぁ、またやってしまった」と心の中で思う。

 同時に、唯を包んでいた炎が消えると、身体から力が抜けそのまま気を失った。

「っ、あぶなっ……」

 慌てて抱きとめたはいいが、目覚める様子の無い唯を放置するわけにもいかず、光留は途方に暮れる。

 唯の身体はもう再生しているからか、傷跡は綺麗に消えていた。

 顔についた血や煤を拭ってやれば、綺麗な寝顔があらわになる。

 それを見て光留は無性にやるせなくなる。

「結局、何もできなかったな……」

 守り人になるなんて言っても、唯の足手まといにしかならない。

 遠くで見守れたら、なんて甘い考えで悪戯に唯を苦しめるくらいなら、唯の言う通り、会わないのが一番いいのかもしれない。

 けれど、守り人になれれば、唯の苦痛を肩代わりしてやれる。生死を彷徨うことになるかもしれなくても、長い孤独に耐える少女の痛みに比べたらきっと、些細なことだ。

 「最悪だな。好きな女の為に何もできない男なんて……」

 唯が起きたら、もう一度話してみよう。

 そして、必ず彼女の守り人になろう。

 光留は腕の中の唯の存在を確かめるように強く抱きしめてから、彼女を抱いて林を出た。

 

 

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