6話


 夏休みに入り、連日暑い日が続くと外に出るのも怠い。

 光留は部活に入っていないということもあり、本来であればこの夏休みは暇を持て余すはずだった。

 しかし、夏休みに入る前に守り人になる決意をした光留に暇などなく、今は凰鳴神社で宮司をしている伯父から霊力の使い方やこの地域一帯の歴史について学んでいた。要は立派な守り人になるための修業だ。

「なるほどねえ、確かに今の光留君の潜在能力は以前に増してもかなり強い」

 光留に師事しているのは、朱鷺子の伯父にあたる人で、光留にとってもやや遠いが親戚になる。

 名を、槻夜正司つきやしょうじという、当代の凰鳴神社の宮司だ。ちょうど一年ほど前に光留に凰鳴神社の跡取りにならないか、と言ってきた人でもあった。

「伯父さんは気付いてたのか?」

「いや、まったく」

 正司はカラカラと笑う。

「私に朱鷺子や朱華のような力はないからなぁ。多分、勇希も知らなかったんじゃないか?」

『あー、確かに。これって巫女だったから持ってたのかなぁ』

 朱華ものほほんと納得する。

「その可能性は高いだろうな。とはいえ、巫女も昔よりは力が弱くなっている。守り人と呼ばれるものでも、今は数えるほどしかいない風習だ。もう後何代かで廃れるだろうよ」

「そういうもんか?」

「そういうもんだ。日本は昔から宗教というか、神様に寛容だ。神様にとって自身の信仰があるうちは居心地がいいだろうが、幻想に追いやられた現代では本来の力は殆どなく、落神になる一方だとも言われているくらいだからな」

 光留も視えない間は神様の事なんて信じていなかった。だから正司の言いたいこともわかる。

「特にうちみたいな巫女と守り人なんていう特殊な役職があるような信仰は、昔から閉鎖的だ。むしろ現代まで続いている方が奇跡的だな。まぁ、鳳凰神自体は名前を変えて世界的に信仰のある神様だから、というのもあるかもしれんが」

 鳳凰――別名、火の鳥・不死鳥・朱雀・フェニックス……などあらゆる名前で呼ばれているし、マンガや小説の題材にもなっている。なるほど、廃れない信仰とはどういう形であれ名前が残っているということが大事らしい。

「とはいえ、この神社を潰すわけにはいかない。氏子さんもまだ多いし、巫女の数は減っているとはいえ、全くいないわけでもない。だからこそ、君がうちに興味持ってくれるのは嬉しいよ」

 光留は境内の方を見ると、ちょうどカップルだろう男女が、この炎天下の中、手を合わせていた。縁結びの神社として有名だからかもしれないが、微笑ましい反面何とも言えない気持ちになる。

 「さて、守り人になるのはいいが、あいにく今うちの神社で未婚で守り人がいない巫女は……天里の朱里ちゃんだろうな。まだ八つだが、次代の巫女筆頭は彼女だろうな。ほれ、そこで朱鷺子について回ってる」

 社殿の廊下を掃除している朱鷺子の横で、一緒になって掃除している少女。彼女が朱里なのだろう。

 しかし――。

『ダメだよ、正司君。みっちゃんには心に決めた子がいるから~』

 朱華が手でバツをつくり、ノーを伝える。

 正司はパチパチと瞬きしながら光留を見る。

「そうなのかい?」

「いや、心に決めた人っていうのとはちょっと違うっていうか……。朱華やお袋が言うには、ソイツ以外の守り人になれないらしい……」

 光留にはよくわからないが、魂が視えるという朱華や朱鷺子が言うのであればそうなのだろう。勇希もその辺りの事は二人を信じなさいとしか言わなかった。

「まぁ、巫女筆頭だった二人が言うのなら間違いは無いか。光留君の恋人だったりする?」

「違う。俺はソイツに嫌われてんだよ」

 正司はぽかんとした後、大笑いした。

「はははっ! お前さんも難儀だなぁ。もしや振られでもしたか」

「振られてない」

 光留にとっては笑い話にもならない。まだ傷心中だと言ってやりたいが、そもそも告白すらしていない相手だ。

 現在絶縁され、守り人になると決めたはいいものの、肝心の対象が不在で光留は心底困っている。

 正司はひぃひぃ言いながらまだ笑っていて、光留は盛大にため息を吐いた。

 それからしばらくして、正司の笑いが収まると、改めて光留を頭からつま先までまじまじと見た。

「しかしまぁ、この時代にそれだけの霊力があるとは。光留君は先祖返りなのだろうな。となると、やはり同じように先祖返りがいるのか……。いや、待てよ。あの伝承は本当なのか?」

 ぶつくさ言い始めた正司に、光留は首を傾げる。

「伝承?」

『凰鳴神社の名前の由来は、みっちゃんも知ってるでしょ~?』

「あ、あぁ……。確か、近親相姦に走った兄妹の兄が処刑されて、女が嘆き悲しんだからとかっていう……」

『そう、それ~。みっちゃんはもう、大体察しはついてるんでしょ~?』

 朱華の言う通り、光留はその悲劇を夢で体験している。

 ただ、実際にあったことなのか、という確証は得られていないがほぼ真実なのだろう。

「ふむ、光留君も知っているとなれば、やはり事実かもしれんな」

「何が?」

「その女は、死んでない、ということだ」

 光留は息を呑んだ。

 唯が不老不死なのではないだろうか、という疑念はずっとあったが本には当然そんなことは書いてない。

 やはり、ここにきて正解だったと光留は思う。

「そもそも、槻夜家はその近親相姦で悲劇的な結末を招いた二人の一族だ。一族は同じ悲劇を繰り返さないように、戒めとして苗字に彼と似た名を宛がった。その名は――」

「“月夜”、だろ」

「ほう、それも知っていたか」

「まぁな……」

 まさか自分がその月夜の生まれ変わりの可能性があるなんて、厨二病的なこと言えるはずはない。

 けれど、どこかでそんな気はしていた。自分の容姿が月夜に似ているのも、どこかで血のつながりがあるからでなければ説明がつかない。

 (確か、処刑される直前に、「我が子に会いたかった」みたいなこと思ってたんだよな……)

 その子の子孫であれば、さほど不思議でもないかもしれない。

「まぁ、お前さんは知っていると思うが、改めて言うと、月夜とその妹、名を“凰花”と言ったそうだ。当時では村一番の霊力を誇る兄妹だった。神託で選ばれた巫女姫と守り人というのも大きかったのかもしれんがな。それ故に、互いに依存していたのだろう。恋に落ちて凰花は身籠ったことをきっかけに、二人の関係が露見した。月夜は処刑され、凰花は出産後、娘を取り上げられ、自決しようとしたことで神の怒りを買い、不老不死の呪いを受けた。そんな伝承が残っている」

 凰花――それが、唯の真名なのだろう。けれど、何故かしっくりこない。

 光留はその名に何故か不快感を覚える。

(なんだ、これ……。別に、俺は凰花なんて知らないし……、夢でも何でか知らないけど、ずっと伏せられていたし……)

 整理のつかない感情に、光留は軽く頭を振って、感情を押し込める。

 ちらりと朱華を見れば、切なそうに視線を落としていた。

 朱華は、唯の過去を知っていたのかもしれない。

「――多分、俺の巫女姫は、ソイツだ。今は鳳凰唯って名乗ってる」

「なんとまぁ、既に出会っていたか。そして振られた、と」

「だから振られてない」

 引っ張る正司にイラっとしたが、話が進まなくなるので光留はムスッとしながらも口を開く。

「で、鳳凰が不老不死っていうのは確かなのか?」

『多分ね~。唯ちゃんとあたしが出会ったのは、五十年くらい前なんだけど、全然姿が変わらないも~ん』

 朱華が死んだのは戦後の頃だと聞いている。となれば、やはり不老不死というのはほぼ間違いないのだろう。

「……だとすると、本当に千年以上アイツは独りでいたんだな」

 唯の心情を思えば胸が苦しい。

 夫婦にはなれなくとも、二人の恋はいっときとは言え、安らぎと幸せを与えていた。

 兄妹でなければ人として当たり前の幸せだった。


 ――俺の可愛い巫女姫。


 そう呼ぶときの月夜の声は、光留の背筋が寒くなり、砂を吐きそうだと何度も思うくらい優しく甘ったるくて、ひとりの男として彼女を心の底から愛していた。その想いを知っているからこそ、月夜の代わりになれなくとも、唯を助けてやりたいと思ってしまった。

「光留君」

「何?」

 正司は先ほどの揶揄うような表情から、スッと真面目な顔になる。

「君の霊力は確かに高い。凰花――鳳凰唯という少女が本当に君の巫女姫なら君は相当苦しむことになる。それでも、守り人になりたいと思うのかい?」

「……あぁ。わかっている」

 光留がどんなに望んでも、唯はきっと光留の中にいる月夜を見てしまう。だから決して光留の恋は実らない。互いに苦しいだけなのはわかりきっている。それでも、守ると、彼女を救うと決めた。

 夢で見たように、命がけになることもあるのだろう。両親のように何度も死にかけるのかもしれない。

 物理的にも精神的にも危険なのは覚悟の上だ。

「そうかい。なら、私からはもう何も言わない。次は札の作り方を教えよう」

 夕暮れになり、光留は凰鳴神社からの帰りに街に出ることにした。

 朱華は朱鷺子と一緒に帰るとのことで、途中で別れた。

「夏休みの宿題終わらせて、満足してたな……」

 休み明けに実力テストがあることを思い出し、光留は参考書を買うべく本屋に向かう。

 目的の本を購入し、家までの道を歩いていると、ふとゾワリと悪寒が背筋を走る。

(っ……! この感じ、落神か?)

 修業の賜物か、最近は近くに落神がいれば気配が分かるようになった。

 光留自身、まだ落神と戦うだけの力はない。せいぜい札を投げつけて逃げるのが精いっぱいだが、落神の気配とは別に知った清浄な空気が流れているような気がした。

「鳳凰……?」

 まさか、本当に唯が近くにいるのだろうか。

 光留は神経を集中させて気配のもとを辿る。

(いた!)

 店と店の隙間に入り込んでいるのはぐにゃぐにゃとした軟体動物のような落神だ。ズボンのポケットに唯から貰った札があることを確認する。

 いざとなればこの札を投げつけ、逃げることを考え、光留はそっと様子を伺う。

 落神は壁に意識を集中させているようで、光留には気づかない。

 壁の前に、誰かが立っている。

 光留が確かめようとしたところで、ゴオオオーッ! っと炎が噴き出した。

「うおっ!?」

 驚いて飛びのく。視線を壁の方に向ければ炎が消え落神は灰となっていた。

 そして、落神で見えなかったその姿に、光留はやっぱりと息を吐く。

「鳳凰……」

 唯は驚いたように目を見開く。

「どうして……」

「たまたまだよ。……久しぶり、だな」

 唯は視線を下げ、逃げるように踵を返す。

 唯が身軽なのは知っている。このまま逃がすものかと光留は駆け出す。

「っ、待てよ!」

 ぱしん! と音を立てて唯の腕を掴む。

「放して!」

 唯の拒絶に光留は一瞬だけ泣きそうな顔になる。当然、唯は気付かない。

「悪い。痛かったよな……」

 光留はそっとその手を離す。

「……お前が、鳳凰が、俺のこと嫌いだってのはわかってる。でも、これだけは言っておきたくて」

 俯いて黙ったままだが、一応聞いてくれるらしい唯に、光留は苦笑する。

「俺、お前の守り人になるから」

 その言葉に唯はハッとして顔を上げる。

「っ、馬鹿なこと言わないで! 私の守り人は兄様だけよっ!!」

「うん。だけど、俺にはその資格がある。鳳凰を守れるなんて思ってない。だから、せめて見守らせてほしい」

「嫌よ! あなたなんか、絶対に認めない。私は、私はっ……!」

 泣きそうな唯の顔に、胸が張り裂けそうなくらい苦しい。けれど、もっと傷ついているのは唯だ。

 光留は抱きしめたい衝動に駆られたが、それは出来ないと踏みとどまる。

「別に、四六時中一緒にいたいとか、そういうわけじゃない。ただ認めてくれるだけでいい」

「嫌よ。嫌……いや……」

 幼い子供のように「いや」を繰り返す。

「わかった。今は強要しない。だけど、ひとつだけ教えてほしい」

 光留は唯の様子から、今は無理だと判断し、別の事を聞く。

「俺は、”月夜”の生まれ変わり、なのか?」

 その問いに、唯の瞳が揺れる。

 唯の目には以前よりもずっと薄くなった光留の魂の壁という形の枷が視えている。光留が月夜の生まれ変わりだという事実を彼がどう受け止めるのか。その事実を知ったとき、月夜の記憶に飲まれてしまわないか、不安ばかりが渦巻く。

 月夜を静かに眠らせたい一方で、もう一度会いたいと思う。けれど、その願いの為に光留の人生を壊したくない。

 そう思うのに、光留の真剣な目に唯は怯んでしまった。

 聞くまで逃がさないという強い意志を感じた。

 (兄様と同じ顔と声でそんな顔されたら……)

 頷きたくなってしまう。その答えを言ってしまいそうになる。

 けれど、どうなるかわからないのに賭けのようなことはしたくなっかった。

「……その答えを教える前に、私と一緒に行ってほしい場所があるの」

 唯からの唐突な誘いに、光留は驚いて瞬きする。

「別にいいけど……」

 首を傾げる光留に、唯はほんの少し安堵する。

「じゃあ、明後日の午前十時に凰鳴神社で待っているわ」

 そういうと、唯は光留の横をすり抜けて大通りに出てしまう。

 雑踏に紛れてしまった唯を見つけることは出来るだろうが、唯が譲歩したのもわかるので、光留はこれ以上追うことは出来なかった。

 しかし、唯に逢えたことでほんの少し気分が高揚していた。

「逃がすものか……」

 漠然とそう思った。思わず出た言葉に光留はビクリと肩が震える。

 今のは、月夜のようだった。今までこんなことはなかったのに、それだけ月夜の想いに引きずられているのかもしれない。

 とはいえ、やはり本当のことを知りたい。それでもし、光留が月夜の生まれ変わりだとして、何がどうなるわけではない。

 光留は光留のまま、唯を守っていきたいのだから。

 「そういや、凰鳴神社で何かあるのか?」

 唯にとってあまり気持ちのいい名前の場所ではないはずだ。

 「ま、行けばわかるか」

 光留も大通りに戻ると唯とは反対方向に向かって歩き始めた。

 

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