終章


 月曜日になり、光留はいつも通り学校へ登校した。

「よっ、光留! 今日も真面目だな~」

「普通だろ。ふわあ~」

 光留はいつも通り裕也に返し、大きな欠伸をする。

「ん? 寝不足か~? てか、まだ例の夢見てるのか?」

「……見てるっつうか、見せられてるっつうか」

 光留は相変わらず唯とよく似た少女と、自分とよく似た男のイチャラブ生活の夢を見ていた。

 唯が離れれば見ないはず、と言っていたが、見続けているということは、まだ唯はあのアパートに住んでいるのだろう。

(ま、当然だよな。引っ越すにしても転校するにしても手続きとかあるだろうし、すぐにってわけには無理か)

 そんなことより辛いのは、光留が唯に対して恋していることを自覚してしまったことだ。

 (しかも速攻フラれたし……)

 何が悲しくて告白すら許されない相手に恋をしてしまったのか。自分のままならない感情に悪態を心の中で吐きつつ、光留はまた欠伸する。

 そんな光留を裕也は不思議そうに見る。

「お前、なんか雰囲気変わった?」

「どこが?」

「どこってわけじゃないけど、何となく?」

「なんだそれ」

 光留自身は、特に変わったつもりはない。

 ただ、今まで視えていなかったものが視えるようになると言っていた唯の言葉は本当で、ふとした時に死んだ人間や、人ならざるものが視界をちらつく様になった。

 今も、数メートル先にある電柱の陰に、髪の長い白いワンピースを着た、半透明の女が恨めし気に道路を睨んでいる。

 この辺りで昔交通事故にでも遭ったのかもしれない。

 光留はそれをいないものとし、無視してスタスタと歩いていく。

 ほんの数か月前まで見えなかったものだ。気にはなったが、どうにかしてやろうとは思えない。そもそも、どうにかしようともする力もない。

 母や唯のようにそういった力が備わっているならともかく、この16年という人生で、光留には今まで縁がなかったし、これからも関わるつもりはなかった。

 それでも、時折絡んでくるモノはいて、そういう時は全力で逃げた。

(そういや、親父が守り人かどうか聞き忘れたな……)

 光留の父親は現在、長期出張中だ。今は京都にいるとかなんとか言っていた気がする。

 それも来週には帰ってくるようなことを言っていたから、その時にでも聞けばいいだろう。

「そういや光留、聞いたか?」

「何を?」

「校舎裏の幽霊!」

 光留はまたか、とため息を吐く。

「知らねえ。興味ない」

「そんなこと言わずにさぁ~、友達だろ~」

 情けない声を出す裕也。本当に野球部の期待の新人なのだろうか、と疑いたくなる。

「そんなことより、お前部活はどうした。再来週には県大会始まるだろ」

「そこは放課後きっちり頑張るから、問題ナッシング! 昨日も筋がいいってコーチや監督に褒められたしな!」

「あっそう……」

 目指せ甲子園! と張り切る裕也を横目に、光留はほんの少しだけ、裕也が羨ましく思った。

(こいつは、ちゃんと自分のやりたいこと見つけてるんだよな……)

 まだ将来も曖昧で、これと言ってやりたいことも見つからない。

 ふと、夢の自分を思い出す。

(あいつは、最初から役目があったんだよな……)

 唯とよく似た少女を守るという役目。そして、村の次期長としての役目。

 他人に用意されたレールではあったが、彼のやる気は本物だった。

 それは、ひとえに愛する妹の為だった。彼女を、幸せにするための手段であり、生きがいでもあったのだ。

 それが、最愛の妹を遺して、彼女の目の前で処刑されるという残酷な結末を迎えた。

(あの女の子は、やっぱり鳳凰なんだろうな……)

 唯は夢についてというより、単純に自分の過去を話しただけだが、光留にはあの少女は唯にしか見えない。

 彼女と同一人物であることは、ほぼ確信しているが、本人がそれを認めていないから断定はできない。

(せめて、本当に遠くに行くまでに聞ければいいけどな)

 まぁ、無理だろうな、と光留は思う。

 唯は、光留を本心から嫌っているわけではない。

 最愛の兄とそっくりな光留を見るのが辛いからつらく当たっているだけで、本当は光留の事をどう思っているのかわからない。

「あ、唯ちゃーん!」

 そんなことを考えていると、裕也が反対の方向から歩いてくる唯を見つけて、手を振った。

「おはよう、望月君」

「おっす! 今日も可愛いね」

「ふふ、お世辞が上手ね。望月君は……部活、午後からなんだっけ?」

「そうなんだよ~。期末テスト前だから朝練はないんだよ~」

「あらあら、野球部のエースさんも、学業からは逃れられないってことね。頑張ってね」

「サンキュ!」

 明るく裕也に笑いかける唯。もちろん光留に対して今までそんな態度は見せたことない。

 現に今も、光留と視線が合うと、スッと真顔になる。まるで、ゴミでも見たかのような目だ。

(きっついな……)

 いや、今までと変わらないと思えば耐えられないことはない。

 それでも、今はやっぱり少し堪えた。

「よう」

 それを隠しながら光留も、今までと変わらないように意識しながら挨拶する。

「おはよう」

 そっけない、実に冷たい態度だ。

 そこからの教室までの道のりは地獄だった。

 唯と裕也が並んで歩く。その数歩後ろを光留が着いていく形になり、今までだったら追い越してさっさと教室に入っていた。

 でも、今は唯の後姿から目が離せず、じっと見つめてしまう。横に並ぶ裕也が、羨ましいと、妬ましいと思ってしまう。

 我ながら女々しすぎる。光留は視線を無理やり剥がして小さくため息を吐く。

「唯ちゃん?」

 裕也と部活の事について話していた唯は、ふと振り返る。

 裕也が不思議そうに唯を見る。

 裕也は、その視線の先にどこかどんよりした雰囲気の光留がいることに気付いて、こそっと聞く。

「もしかして、光留が気になるの?」

 唯は、一瞬だけ憂いた表情をしてから外向けの笑みを浮かべる。

「そういうわけじゃないの。後ろからなんだか陰気な空気を感じたから、何かなって」

「あぁ……。まぁ、寝不足ってだけだから気にしなくていいんじゃないかな?」

「……そう」

「悪かったな、陰気な空気で」

 光留にもその会話が聞こえてしまい、嫌味を言ってやれば、唯はわざとらしい笑みを向ける。

「ごめんなさい。あなたのことを言っていたわけではないの」

 冷笑する唯との間に流れる空気の悪さに、裕也も苦笑いする。

「唯ちゃん、相変わらず光留のこと苦手なんだな」

「苦手じゃないの。嫌いなの」

 はっきりと口にする唯に、光留は顔には出さないものの心にグサリと槍が突き刺さる。

 逆に裕也は少しだけ驚いたように目を見開く。

「唯ちゃんが、そんなにはっきり言うなんて珍しいね。それだけ、光留が特別ってことなんだな」

「嫌いが特別?」

 光留がじとり、と裕也を睨む。

「唯ちゃんって、誰にでも優しいけど、光留にだけは態度変えるじゃん。でもそれって、逆に言えばそうしないといけな理由があるってことだろ? それだけ、特別な何かがあるってことじゃない?」

 唯はきょとりとする。

「でさ、前から思ってたんだけど、なんで光留の事だけ嫌いなの? 唯ちゃんなら、本当に嫌いな相手でもそつなく相手できそうだけど……」

 唯は外向きの笑みを浮かべながら答える。

「そうね。しいて言うなら、特別嫌いってこと」

 裕也の質問の答えになってないことはわかっている。

 けれど、唯にとってはそれ以上言うことは出来ない。光留も唯が本当に光留を嫌う理由を知っているから、胸が痛むけれど、それ以上は突っ込む気にはなれない。

 話している間に教室に着き、それぞれの席に座ると、唯はすぐにクラスメイト達に囲まれた。

 その斜め後ろの席で、光留はぼんやりとその様子を眺める。

 授業が始まっても身が入らず、気が付けば午前の授業が終わっていた。

 昼休み、光留は一人になりたくて、中庭へと足を向けた。

 時野学園は私立校だが、都心という立地柄、決して広い校舎ではない。そんな場所で一人になれる場所は多くないが、夏日ということもあって、中庭は人が少なかった。

 適当なベンチで空お仰ぎながら物思いに耽っていると、スッと目も覚めるような美少女が視界に入り込んだ。

「うおっ!?」

 驚いて光留は飛び退く。

「なんだ。寝ているのかと思ったわ」

「っ、鳳凰か。びっくりさせんなよ……」

「人を幽霊みたいに言わないで」

「お前みたいな美少女、彼女でもないのにこんなことされたら俺が殺される……」

 唯は呆れたように光留を見る。

 光留は少し距離を置いて、唯と視線を合わせないようにそっぽ向く。

「で、なんか用?」

「用があるから声をかけたの。じゃなきゃ嫌いなあなたとわざわざ二人きりになれる時を狙わないわ」

「あっそう。で、用って何?」

 光留が疲れたように聞く。唯は、ひとり分の間を開けて光留の隣に座ると、口を開いた。

「来週、学校を辞めるわ」

「そうか」

「さっき先生たちとも話してきた。アパートも、来月には引き払う」

「それをわざわざ俺に言うって、律儀だな」

 唯は俯いて、申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい。あなたを巻き込んで。……まだ、眠れないのね」

「まぁ、しょうがねえだろ。誰にだって予想外はあるしな」

「あなたのそういう優しいところ、好きだけど、やっぱり嫌い」

「どっちだよ」

「どっちもよ」

 女心はやっぱりわからない、と光留はため息を吐く。

「これ、あげるわ」

 唯が差し出してきたのは、5枚のお札だった。

「1枚は、眠る時枕の下にでも置いておくといいわ。絶対というわけじゃないけど、夢を見る頻度は減ると思う」

 光留は受け取ると、その札をしげしげと眺める。

「あとの4枚は?」

「落神や悪霊に投げれば、滅ぼすことは出来なくても、逃げるだけの時間稼ぎは出来るはずよ。ごめんなさい。時間が足りなくてそれしかできなかったの。足りなくなったら、どこの神社のお札でも大丈夫だけれど、凰鳴神社の邪気払いのお札の方がいいかも。あなたと縁のある神社だから、あなたのご先祖様が守ってくれるはず」

「助かる」

 唯は、これを渡す為だけにわざわざ光留を探してきたのだろう。しかも、唯自身が作ったものだ。

 嬉しいと思ってしまう現金な自分に呆れる。

 「じゃあ、用はそれだけ。……もう会うことはないかもしれないけれど、さよなら、槻夜君」

 多分、これが本当に別れになるのだろう。

 光留は言いたいことをぐっと我慢して、別れの言葉を告げる。

「ああ、さよなら、鳳凰――」

 唯は儚げな笑みを光留に向けて、その場を後にした。

 

 午後、唯が早退し、退学することを担任から伝えられると教室は騒然とした。

 それは、唯が誰にも別れを告げなかったからではあるが、唯一別れを告げたのは光留だけであったことを、この時に光留は知った。

「唯ちゃんが退学なんてびっくりだよ~、光留知ってた?」

 放課後、裕也が聞いてきたが、光留はそ知らぬふりをする。

「俺が知るわけないだろ。みんなが知らないのに、嫌われてる俺に挨拶なんて来るわけないし」

「そうかなぁ? それにしたって、光留動揺してないし」

「そう見えるか? これでも結構落ち込んでる」

「あ、やっぱり光留は唯ちゃんの事好きだったんだ~」

「そうかもな」

 裕也はぱちくりと目を瞬かせる。

「光留が素直なんて、珍しい~」

「うっせえ! もういないんだから隠す必要がないってだけだよ」

「それって、虚しくない?」

「いいんだよ。どうせアイツに嫌われてたんだから、俺は」

 裕也は「そうかな?」と首を傾げる。

 光留は気付いていないようだが、唯は光留をよく視線で追っていた。

 裕也は光留の親友で、よく一緒につるんでいたから気付いていたが、多分、唯が素直になれないだけで、本当は唯も光留の事が好きだったんじゃないだろうか、と裕也は思うのだ。

 最も、本人がもういないので確かめるすべはないのだが。

「んじゃ、お俺帰るわ」

「おう、気をつけてなぁ」

 のんびりとした裕也の声に手を振って応える。

「裕也も、部活頑張れよ」

「サンキュ!」

 明日から、唯のいない生活が始まる。

 きっと喪失感と味気なさでしばらくは誰も立ち直れないかもしれないけれど、いつかどこかで会える。

 そんな気がする。


「俺も、守り人について、少し勉強してみるか――」

 

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