第12話 冷憤する勇者の息子


「一つ聞かせてください」

「…?」

「守護天使レイディアントはその信仰心と槍の名手は元より、【八英女】随一の慈悲深さで後世まで名を残した。特にどんな罪人であろうとも殺人だけは許さなかったとも伝え聞いています。そんなあなたが何故、山中で盗賊たちを襲い、今も僕の両親を殺すなどと容易く言えるんですか?」

「…慈悲か」


 レイディアントは慈悲深さという言葉をまるでゴミとしてしか見ていないかのような嘲笑で答えた。


「貴様の言う通り、かつての我はどんな罪人にも更生する資格と可能性があると信じていた。スコアに従ったのもあの人の心の内の自分と同じような正義感に惹かれていたからだ。我もスコアのようにかくあるべきだと」

「魔界でその考えを改める何かがあったとでも?」

「いや…逆だ。魔界にて孤軍奮闘していた頃は仲間たちを助けるべく、より正義感を滾らせていた。さもなければとうに魔族たちの甘言にそそのかされ、我も魔王に従っていかも知れない」

「では、一体なぜ?」


 その問いかけにレイディアントは前髪の隙間から僕を睨みつけて、毒々しい怨嗟の念をねっとりと吐き出した。


「捕まった仲間たちを助け出そうと奮闘している最中、我は突然現れた石柱に吸い込まれた…以来およそ二十年の間、身動きを封じられていた」

「石柱?」


 何のことか僕にはさっぱり分からなかった。しかし隣のドロマーさんはすぐに察しが付いたようだった。


「それは多分スコアの封印術です。私達七人も同じく石の柱に取り込まれていましたから」

「ふ…ふふふ」


 それを聞いたレイディアントは更に陰湿で、それでいて自暴自棄になった様なそんな声で笑い始めた。


「ではやはりスコアは魔王に組していたという事ではないか」

「それは本当に違います。何か事情があっただけで、父が裏切った訳でもあなたを見捨てた訳ではないんです」

「同じことだぁっ!」


 ズンっという圧力と共にレイディアントの槍を持つ手の力が増した。ミシミシと壁からそんな音が聞こえる。結界で補強していなかったなら、すでにこのフロアごと消し飛んでいたかもしれない。


「スコアが何を考えていたかなど、今となってはもうどうでもいい。いや、むしろ感謝しているさ、我がこの世界で何を為すべきかを気付かせてくれたのだからな」

「為すべきこと?」

「ああ。封印は年を追う毎に弱くなっていった。そしてつい先日にそれが解かれたのだ」


 それはドロマーさんから聞かされていた事だ。その封印が解かれたことで幸か不幸か伝説の八英女が復活し、この世界に舞い戻ってきた。


「我はともかく形勢の不利を覆す妙手を思いつくことができず、一旦魔界から撤退することを決めた。力を振り絞り、魔界に張られていた結界を破ってな」

「レイディアント、あなた…あの結界をたった一人破ったのですか?」

「…母さんの封印術のことですね」

「ええ。私達も七人がかりでようやく人一人が通れる道を作れたんです。それを単独で」

「破ったというよりも無理やり潜り抜けただけだ。通り抜けることには満身創痍という言葉が可愛く思えるほどの状態だった」


 レイディアントは何かを思い出したのか、どんどんと息が上がっていく。


「魔界からの脱出が叶ったとて、もはや精根尽き果てて意識などすでに無くしたままに我は翼を動かしていた。それでもやがて力を失いあの山に辿り着いた……知っているか? あの辺りは賊の隠れ家があることを」

「ええ。有名な話です」

「…ならば皆まで言わずとも分かるな。精根尽き果てて動くこともままならぬ女が賊の蔓延る山林にいたらばどうなるか」

「…」

「我は辱められた。連日連夜に渡ってな。泣こうが喚こうが媚びへつらおうが、奴らは我の体を犯すことを止めはしなかった」


 僕は目を堅くつぶり奥歯をぐっと食いしばると深い深呼吸をした。するとレイディアントは再び暗く笑った。


「フ、フフ…我はこんな人間たちのために慈悲を持ち、慈愛を信じて戦っていたのかと……それから数日たったある日に心の折れる音を聞いた。いや違うな。今にして思えばあれば産声だ。我は悟ったのだ。この世界には生かしておく必要のない命もあるのだと」

「…」

「そう気が付いた時、指一つ動かすことのできなかった体に不思議と活力が溢れたよ。意識を取り戻してみれば我は血溜まりと死体の山の上に立っていた。あの時ばかりは今までのどんな信仰よりも救われた気分になったし、実際に我は救われた」


 僕はレイディアントの顔をまじまじと見た。そこには守護天使などという二つ名からは造像もできない程に邪悪な笑みを浮かべる女がいるばかりだ。


「なるほど、見事に『闇堕ち』していますね」

「堕ちただと!? ふざけた事を抜かすな、ガキがっ! 我は救われたのだ!」

「…それで? さっき言っていた為すべき事とは一体何ですか?」

「知れたこと。この世界を救うのだ」

「…魔王を殺しに行くつもりですか?」

「ああ。魔王を殺し、この世界のあらゆる悪を裁く。悪を根絶やしに、我と同じく善を為す意思のある者たちだけの世界を作る。選別されたより善良で敬虔な民だけが生きることを許される、理想の千年王国だ」


 レイディアントは翼に力を溜め、槍で押さえつけたまま僕たちに向かって羽を打ち込む姿勢を見せた。


「ここに運ばれたのはむしろ好都合。あの山の賊どもは既にみな裁いてしまった。ここの住民たちを選別し、共に悪を滅ぼす同士でも見つけることにする。その為にまず悪逆非道を極める貴様らにここで裁きを下そう…死ね」


 その刹那、僕は自分の首に押し当てられている槍を片手で掴んで前に押した。レイディアントの身体はそれこそ羽のように軽々と後退させられてしまった。


 驚愕しつつも手に力を込めて体勢を立て直そうとする。しかしどれだけ力もうとも片手で押さえているたっただけの僕を動かすことはできない。


「ば、バカな…!」


 やがてちょっとした動作で容易く槍を奪われてしまったレイディアントは体勢を崩すのをどうにか堪えつつ、僕を睨みつけた。そしてなりふり構わずに聖化で生み出した翼で例の攻撃を繰り出そうとする。


 だが、それもできない。


 瞬くことも許されぬ間に祈りによって生まれた翼を僕が剣で容易く斬り落としてしまったからだ。


 次いで僕は手にしていた父から譲り受けた聖剣・バトンを横薙ぎに振るった。刀身は空振りレイディアントにはまるで届いていなかったが、それによって生み出された凄まじい衝撃波は簡単にレイディアントを吹き飛ばし、反対側の壁に叩き付けたのである。


「がはっ…!」


 そして僕はぐちゃぐちゃになったパンの一かけらを拾うと、凛とした声を出した。


「アナタの身に起こった事には同情します。けれど、あなたのやろうとしていることは間違いだ。どう思っているかは関係ない…そして何よりも僕は食べ物を粗末にする人間の言う事に聞く耳を持ちません」


 その声がレイディアントに届いたかどうかは分からない。彼女は再び気を失ってしまったからだ。

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