私の推しはそんなこと言いません!!~俺様系海賊じゃなくてうさぎ系海賊になってんですけど!?~

一色まなる

第1話 海鷲は告げる 夕凪の中で

 海風にたなびくのは夜空の月のようにきらめく銀髪。琥珀色の瞳は強い意志がこもっていて、水平線の彼方を見つめている。時に何にもとらわれない風のように、時にはまばゆい太陽のように。


 さえぎるもののない大海の太陽に愛されたその四肢はたくましく、程よく焼けていて、むやみに飾り立てることないが一つ一つが吟味された衣装は彼の審美眼が確かな証左だろう。彼は海賊——— 海を荒らす無法者たちの首領でありながら、その所作はどこかの令息のように洗練されていた。


 それが彼、ヴァスティンという男。精悍な顔つきが沈みゆく夕日に照らされ、こちらを見つめていた。

「俺はこの世界で本当の自由を得た。お前のおかげだ」

 普段は首領らしく、威厳と自信にあふれた立ち振る舞いをしているのに、今日はなぜか神妙な雰囲気だ。まるで一世一代の商談に向かっているように。そう考えて私は少し思案した。なぜなら、彼にとって自分はただの異邦人であっただけだ。

 それに妙だ。彼にとって自由はすぐ傍らにあったもので、本当とかニセモノとかそういうものとは関係のないことなのに。生まれてすぐ傍らにあったものに真贋などあるだろうか。


「俺はお前が好きだ」


 ちかり、と目の前に星が飛び込んできた気がした。画面いっぱいに描かれた彼の肖像は構造から背景、そして光の明暗まで計算されている。一枚絵のスチルにくぎ付けになり、私は会話を進めることを止めてしまった。

 ゲーミング用の高音質のヘッドフォンから鼓膜に伝ってくるBGMは彼のテーマ曲をアレンジしたものだ。通常版であれば激しいロック調で疾走感があふれ、真夏の太陽のように輝くものだ。そして、今聞こえてくるアレンジバージョンは一転としてメインにストリングスを持ってきている。テンポも控えめになり、しっとりとした夕暮れの海辺のよう———、つまり今の状況に沿うように作られている。他のキャラにもメインテーマとアレンジバージョンがあるけれど、その中で私の中で一番に飛び込んできたのがこの曲だ。

(公式サイトで視聴した時からこれだ! って思っていたんだよね)


 聞き入ってしまいそうな曲に止められたが、今心の中で生まれてくる感情を冷ましたくない。私はそう思って自動会話送りのコマンドを入力した。自動で会話が進んでいくのはとても便利で、動く本を読んでいるような気分になってくる。無粋な”会話送り”なんて文字が画面の端にちらつくことがなく、このゲームのアイコンが小さく点灯しているのはこだわりを感じる。


 ヴァスティンは飾らず、率直な言葉で相手と向き合ってくれる青年だ。その率直さは相手に好意を伝えるときもそのままなのだと、どこか意外に思えた。美辞麗句を並べ立てるより、確かに彼らしい。この数週間、彼の生きざまを追ってきただけだけれど、そう思えた。


「お前と一緒にこの新しい海を駆けていきたい」

 

 ぎゅぅと胸が締め付けられるような感覚が襲ってきた。直接目の前で言われたわけではないけれど、薄い液晶画面から伝わってくる言葉が迫ってきて、一瞬言葉を失った。いけないいけない、と軽く頭を振って息を深く吸う。

 推しの告白シーンにたどり着けただけで感無量だ。ここから先のコンテンツはエンドロールを迎えてからだ。だというのに、目には大量の涙……いや、心の汗ともいうべきか。長かったような短かったような、ヴァスティン様……否、ヴァン様と駆け抜けてきたこの海の世界をまだ見られると思えばあふれてくる感情が液体になってくる。止めないと、と思えば思うほどにじんでくる。

 あぁ、こんな思いは絶対現実ではできないんだろうな、そう思う。何より、こんなに綺麗な海岸線なんてそうそうないし、彼のような人は現実にはあり得ないから。用意していたタオルに顔を埋めて、もう一度深く息をつく。

「ええ! もちろんですヴァン様っ!」

 顔を挙げたら、そこにあったのは見慣れたワンルームマンションの壁でも、実家の畳の部屋でもなく———。


 どこまでも広がる青い青い世界。綿を思いっきり広げたような白い雲に、どう見ても人工的な虹のような光の輪が空を横切っている。頬を撫でる風は秋の乾ききったそれではなく、湿気をふんだんに含んだ夏の海の風。

 じゃらり、と変な音がしたと思い私は腕を持ち上げようとした。しかし、いつも感じている重さより一回りも二回りも重たい。

「な、なにこれ……鎖?」

 アニメやゲームでよく見かける黒い鎖が私の右腕につながれていた。幸い左手は自由が利くけれど、右腕のつながれた先は……マスト? 船の中央にそびえているマスとは見上げればその先が見えない。風を受けて十分に膨らんだ帆は手入れが行き届いている。辺りを見渡しても人影がない。人が動いている気配はするけれど、なんとも不思議な光景。

「……どういうこと?」

 私——— 奈央は首をかしげて、空を見上げた。ここが日本どころか地球じゃないことは、虹に似た光の輪で分かった。虹と違う所は改装に分かれているわけではなく、淡い色合いが徐々に移り替わりながらどこまでも広がっているということだ。

 どちらかと言えば、虹のように細く長く広がるオーロラ、と表現した方がいいかもしれない。どちらにせよあんなもの、那央の記憶ではゲームの世界でしかありえないものだ。赤から橙、黄色から黄緑へと移り変わっていく光の帯を眺めていると、だんだんと心が落ち着いてきた。


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