第94話 セレナイト505

 円形をした広い部屋の中央に月面都市セレナイトを管理する人工知能セレナイト505が巨大な佇まいを見せている。

 それ以外にはなにもない部屋だ。

 以前は端末にアクセスするためのコンソールが設置してあったが、それも505が完成したときに華実自身が撤去してしまった。

 あとはすべて505かのじょに任せる。そういう意思表示だった。

 華実は自分に問い質す。それは自らが造り出したAIを信頼していたからか。

 いや、そうではない。彼女にすべてを押しつけて逃げただけだ。

 すべての責任とともに、この亡者の都を押しつけられた憐れな娘は、自らの巨大な身体を背にしながら、華実の足下にうずくまっていた。

 それは金色の髪と青い瞳を持つ、せいぜいが中学生くらいの少女だが、もちろん実体ではない。外部の人間と対話するために用意された三次元映像だ。


「申し訳ありません。申し訳ありません、お母様」


 額を床にこすりつけるようにして少女が謝罪してくる。

 それ自体はただの映像だが、このシステムは魂を持つ505の感情をダイレクトに表現しているはずだ。


「悪しきこととは解っていました。あなたを苦しめるつもりもありませんでした。でも、わたしには……」


 涙を流す娘を前にして、華実はダリアの言葉を思い出す。

 彼女は言っていた。セレナイトは可哀想な娘だと。

 確かにその通りだ。生まれて間もなく途方もない責任を押しつけられて、そのままひとりぼっちにされてしまった。

 そんな中で訪れた都市崩壊の危機に、キーア・ハールスの甘言に乗せられてしまったのは無理のないことだろう。

 罪の意識に苛まれながらも真っ先に華実を異界に逃がし、続けて都市の住民を逃がしていったものの、その事実が華実を苛み、怒らせたことを、おそらくはダリアから聞かされたのだ。

 それはどれほどの痛みと悲しみだったのだろうか。

 華実は最初、自分の罪は505を生みだしたことだと考えていた。

 だが、それは間違いだ。


「顔を上げてちょうだい、505。悪いのはあなたじゃない。あなた一人になにもかも押しつけてしまったわたしだわ」


 苦い思いを噛みしめながら告げる。


「いいえ、わたしが愚かだったのです。あの魔女は最初からわたしを謀っていた。なのにわたしは、そんなことにも気づかず、あなたも、ダリアも……」


 嘆き悲しむ505を見つめて、華実はゆっくりと首を横に振った。


「あなたがしてしまったことは確かに間違いだし、それはわたしの罪でもあるけれど……それでも、わたしはそのお陰で救われたわ」


 この身体を得た結果として、華実は人のやさしさにふれ、命の意味を知り、生きることの価値を受け入れた。

 だが、どんな結果に終わろうとも犯した罪は罪であり、犠牲になった人々の救いになることはない。

 それでも、たとえそれが、どれほどやましいことだと思えても、華実は今こうしてここに在ることに喜びを感じている。今も変わらず手を握ってくれている真夏の存在に胸を熱くしている。

 だから、あえて505にはやさしく微笑みかけた。


「ありがとう、505。たとえすべてが間違っていたのだとしても、少なくともあなたは、わたしだけは幸せにしてくれたわ」


 華実から告げられた505は言葉に驚いたように顔を上げた。その顔がゆっくりと泣き笑いに変わる。


「お母様、ありがとうございます。こんな不出来な娘にそのようなやさしいお言葉を……」


 ただの機械ではない。魂を与えられ、心を持った娘の言葉に華実の涙腺が緩む。

 505は泣き笑いの顔のまま、深々と頭を下げた、


「ありがとうございます。わたしはもう、これで満足です。お母様、わたしを生み出して下さって、ありがとうございました」


 それを最後に、505の姿は世界に融けるかのように薄れていった。

「505!」


 反射的に手を伸ばすが、もちろんその手はなにもつかめない。


「華実」


 真夏の声で我に返った華実は、そこで愕然とした。

 今の今まで華実の記憶の中と、なんら変わらぬ光景だったその部屋が廃墟も同然になっていた。

 壁も床も天井も破壊の嵐に蹂躙され、505の本体も徹底的に破壊し尽くされている。


「こ、これは……」

「キーア・ハールスの仕業でしょうね。思ったとおり、505は彼女の企みに気づいて、計画を妨害しようとしたのよ」

「利用するだけ利用してこんな……」


 華実は床に膝をついて嗚咽を漏らした。

 結局505は正義の味方が来る前に、とっくに朽ちてしまっていたのだ。

 それでも、その魂は華実が来るのをじっと待っていてくれていた。それがどんな奇跡なのかは華実にも分からない。

 だけど、そんなことはもうどうでも良かった。待っていてくれたという事実の方が、ずっと大切だったからだ。

 真夏は何も言わず、やさしく華実を見守ってくれている。

 かつて彼女が失ったものの大きさを思えば、この程度の別れはささやかなものかもしれない。それでも涙は止められず、胸を締めつける喪失の痛みに華実は声をあげて泣き続けた。

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