第83話 もうひとつの戦い

 その日は市の花火大会が開かれることになっていた。

 華実を見送って以来、なにをする気にもなれず家でゴロゴロしていた和人は、さすがにこのままではいけないと考えて、気分転換のために河原で打ち上げられる花火を見物に行くことにした。新月のためか、この日は星がよく見える。


「天体観測を始めたなんて言ってたけど、ああいうのも全部嘘だったのかな」


 恋人の身体に宿った別の少女は、夜歩きを心配する和人に、何度となくそんな言い訳をしてたものだ。

 ダリアに宿っていた本物の華実が、その少女によって倒された時は、さすがに少女を恨みもしたが、思い返してみれば当の華実は、自分の身体を奪ったはずの少女を憎んでいなかった。

 むしろ、彼女の存在に救いを得ていた気がする。


「結局俺はまだ、なににも分かってないのかもな」


 経緯については組織の人間から説明を受けたが、それはただの概要で当事者達の心情までは含まれていない。


「それに彼女はやさしい人だった」


 思い返してみれば、偽りの華実とは何度も会って話をしている。当然ながらその人柄は、ある程度知ることができていた。

 ぼんやりと記憶を辿りつつペダルを漕ぎ進めていると、前方に見知った人影が現れる。


「あら、笹木さんじゃない」


 武蔵幸美が軽く手を振って合図してくる。


「ああ、武蔵さん。久しぶり……」


 考えてみれば廃工場の一件で会ったきりだった。あの時は助けてもらったのに、ちゃんとお礼も言ってなかった気がする。

 なにをどう話そうかと迷うが、相手の方はとくになにも頓着していないらしく、サラリと言いたいことを主張してくる。


「幸美で呼んで下さい。名字はあんまり好きじゃないんです」

「あ、ああ、分かったよ。幸美さん」


 とりあえず言い直してから、また迷う。この少女は華実の親友らしいが、とくに変わった力を持たない一般人のようだ。彼女の事情をどこまで知っているのだろうか。


「あれから千木良さんとは会いましたか?」


 結局先に訊かれて、和人は曖昧にうなずいた。


「まあ、いちおうね」

「みんなは今、最後の決着をつけに……」


 幸美の言葉は、ふいに途切れた。

 なにかとんでもないものを見てしまったかのように目を見開いて口をポカンと開けている。

 慌てて和人がふり返ってそちらに目をやると、ちょうど河の上に光り輝く物体が浮かんでいた。眩くてよく判らないが、西洋の鎧を着て槍を掲げた人のようにも見える。


「な、なんだありゃ?」


 さすがに仰天して自転車に跨がったまま立ち尽くしていると、突然幸美が荷台に飛び乗って叫んだ。


「追いかけて!」

「ええっ!?」

「早く!」


 混乱しつつも押し負ける形で、和人はペダルを漕ぎ始めた。後ろに幸美を乗せたまま素早くUターンすると、その物体を全力で追いかけ始める。

 物体の移動速度は意外に遅いが、それだけに幾人もの人の目に留まりそうなものだ。だが、たまにすれ違う人々は、それが目に入らないかのように平然と歩いていく。


「どうなってんだ!? なんで誰も騒がない!?」

「分かんないけど、ひとつだけハッキリしているのは、あいつの名前はセラフといって、あれが千木良さん達が戦ってる敵だってことよ」

「あんなものが!?」


 話しながらも懸命にペダルを踏みしめて、そいつの後を追いかけていく。ちょうど河を遡って上流に向かう道だ。一般車両通行禁止の立て札を横目に、土手の上を延びる河川管理用通路を直進していく。

 そこも普通にアスファルトで舗装された道で、違反して通る車両も多いが、時間帯によるものか今は人通りもない。ガードレールもなければ街灯もなく、一歩間違えれば土手の下に転がり落ちかねない。自転車のライトだけが頼りだった。

 前方にはセラフの妖しい輝きが一定の速度で移動しているのが見える。それが、突然進路を変えたのを見て幸美が叫んだ。


「坂を下りて!」


 和人は自転車を巧みに操って言われるままに河川敷へと続くスロープを駆け下りていく。道はそのまま河川敷に沿って続く自転車道に合流していたが、その道の途中に人影があるのが目に入った。

 そいつは自分の自転車を道に停めて、ぼんやりと空を見上げている。正確には頭上を旋回するセラフの姿を。

 和人がそいつの自転車のあたりまで直進すると、幸美は走っている自転車から後方に飛び降りて、着地と同時にそのまま猛然とダッシュして人影に飛びかかった。


「うわぁぁっ!?」


 人影のものと思しき声が響き、二人が草むらをゴロゴロ転がる。


「なにしやが――」


 さらに抗議の声をあげかけるが、直後に爆音が轟き土煙が上がったのを見て、さすがにそいつは黙り込んだ。

 間一髪――それも、これ以上はないというくらいにギリギリのタイミングだった。

 煽りを受けて和人も転倒したものの、地面を転がってから、なんとか無傷で身を起こす。

 見れば停めてあった自転車は一瞬で粉砕されていて、道の真ん中に大きなクレーターができていた。その真ん中から狙いを外したセラフが再び宙へと舞い上がっていく。

 狙われた人物は腰を抜かしたかのように草むらの上に座り込んで、茫然とその姿を見つめていた。

 駆け寄ってみれは、どうやら同世代くらいの少年のようだが、まったく見知らぬ顔だ。


「幸美さん!」


 とりあえず姿を捜して声をかけると、彼女はよろめきつつも、草むらの上から立ち上がった。


「離れていた方がいいわよ。たぶん、あれはこの人しか狙わない」


 少年を差して幸美が告げる。


「お、俺!?」


 仰天して少年がふり返った。

 和人はそいつの腕をつかむと、無理やり引き起こす。


「座り込んでちゃ、避けられるものも避けられないぞ!」

「ひ、ひぃっ」


 頷くどころか情けない声をあげて、また座り込んでしまう。


「おいっ!」


 焦って怒鳴りつけるが、その間にもセラフは虚空を、ゆっくりと旋回して次の攻撃態勢に入ろうとしていた。


「くそぉぉっ!」


 和人は少年の身体を王子様がお姫様を抱っこするときのように抱え上げると、無我夢中で走り始める。


「笹木さん!」


 驚きの声をあげながら幸美が追いかけてきた。


「無理よ、そんなんじゃ逃げ切れない!」

「君こそ、逃げろ! ついてきたって巻き添えになるだけだ!」


 そうやって言葉を交わしている間にも、セラフは狙いを定めるかのように頭を下げて――次の瞬間、先ほどに倍する速度で突撃をしかけてきた。

 避けるどころか反応する暇もない。単純な体当たりとはいえ、三人をまとめて挽肉にするには、じゅうぶんすぎる威力を持っている。

 だが、その途上で、突如としてセラフの側面で爆発が生じる。なにが起きたのかなど、もちろん和人にも分からなかったが、セラフが大きく狙いを外し、きりもみを起こしながら大地に激突する姿だけはハッキリと見えていた。

 思わず足を止めて、茫然とそちらを眺めていると、見知らぬ少女がふたり、和人達の左右をすり抜けてセラフに向かっていく。


「お、おい?」


 状況が理解できずに声をあげると、今度は背後から聞き覚えのある声がした。


「お怪我はございませんか?」


 大きなリボンが印象的なロングへの少女だ。以前会ったときと同じように着物を着て、穏やかな笑みを浮かべている。思い出すのにやや時間を要したが、名前は神庭殊那だ。


「知り合い?」


 幸美に問われてうなずく。


「ああ、いちおうね。今の華実の仲間。組織とやらの人間だよ」

「東条家です」


 やんわりと告げて殊那は一同の前に進み出た。

 前方では先ほどの少女達が武器を手にセラフに斬りつけている。

 甲高い金属音が響き、装甲の一部が弾け飛ぶが、セラフは突如赤い光を発すると彼女たちをすり抜けて、こちらに向かって突撃してきた。

 息を呑む和人の前で、殊那は袖から取り出した札を手につぶやく。


「汝、何処いずこへとも至ることなし」


 瞬間、セラフの前進が止まる。そいつ自体は明らかに突進を続けているのに、なぜかその場で足踏みでも続けているかのようにピクリとも動かない。

 そこに背後から追いかけてきた少女達が、再び斬撃を浴びせた。

 身動きできないそいつは、為す術なく斬り刻まれて、最後は光の粒子となって虚空にかき消える。

 和人は抱えていた少年を、やや乱暴に地面に下ろすと深々と息を吐いた。


「助かったぁ……」


 一方の幸美は緊張を解くことなく殊那に問いかける。


「ねえ? なんでセラフがこんな所にいるの?」


 殊那は幸美がその名前を知っていることについて、とくに疑問に思わなかったらしく、素直に答えを返してくる。


「神隠しの被害者は魔術によって洗い出しましたが、そこの方のように中途半端に魔力を持っていると探知にかからないことがあるんです。そのため、この人を目印にして、どこかで別のゲートが開いたのでしょう」


 地面に座り込んでいる少年は、未だに状況が理解できないらしく、ただ目をパチクリとしていた。


「神隠しの被害者か……」


 それについては和人も説明を受けている。つまり、この少年は異世界人の魂を移された存在で、本来の彼ではないということだ。


「幸いというべきか、セラフは簡単な結界を纏っているらしく、通常は魔力と無縁な者には見えないようです。しかし、人を襲うようなことがあれば話は別です。異常に気づいた人間から身を隠せるほど強い結界ではありませんから、すぐに大騒ぎになるでしょう」

「マズイわね」

「ええ、しかも確認されたセラフはこれで三体目。他の場所にはわたし達の仲間が向かっていますが、一つのゲートから現れるセラフが一体のみとは限りません。これ以上増えると、さすがに厄介です」

「あんなものが何体も……」

「おそらく千木良さんとそのお仲間は、今この瞬間にも何百という数を相手に戦っているはずです。それを思えば楽なものですが……」


 殊那の言葉を聞いて和人は蒼白になっていた。


「いったいなんなんだよ、あれって? あれも神隠しと関係があるのか!?」

「いえ。あれ自体はあちらの世界の存在ですが、それを送り込んできているのは、おそらくこちらの世界の魔女です。華実さんは今、この世界を守るために戦っているんですよ」


 それを聞いて和人は本物の華実が最期に口にした言葉を思い出した。


「だから……千木良華実は正義の味方になったってことよ」


 正義の味方――元の華実は幼い頃からそれに憧れていた。

 そして彼女はそれが現在の華実だと信じたのだ。

 彼女の夢を、彼女の身体に宿った別の誰かの魂が、彼女の身体を使って実現した――つまりは、そういうことだった。


「あいつは華実の夢を体現しているのか……」


 理解して胸が熱くなるのを感じつつも、同時に痛ましさも込み上げてくる。


「けど、それじゃあ、あいつ自身の夢はどうなるんだ?」


 意図せず華実の身体を得てしまった現在の華実。彼女はずっと本物の華実のために戦ってきたのだ。

 それはどう考えても幸せなこととは思えなかった。


「大丈夫よ」


 声に目をやると幸美は夜空を見上げていた。


「この戦いが終われば千木良さんだって未来を手にすることができる」

「無事に……帰ってきてくれればいいけど」


 先日、華実は永遠の別れであるかのような言葉を和人に告げた。

 もしあれが死を予感しての言葉だとしたら……


「大丈夫よ」


 もう一度繰り返してから幸美は続けた。


「少女坂さんが必ず彼女を守る。絶対に死なせやしないわ」


 その言葉を聞いて殊那がうなずいた。


「ええ。姫ならばきっと」


 和人はなにも言わずに星空を眺める。

 今は亡き本物の華実はこの空のどこかから彼女を見守っているのだろうか。

 無力な自分にはなにもできない。現在の華実を手伝うことも、見守ることも、励ますことさえできないままだ。

 目を開けたままで、そっと祈る。彼女とその仲間たちが無事に戻ってくることを。

 一度は恨み、憎しみさえ抱いたが、今は彼女のやさしい笑顔をもう一度見たいと素直に願っていた。

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