第73話 夏休みといえば

 ここしばらくの間、陽楠市は晴天続きだった。

 武蔵果実店の二階にある自室にいても、やや汗ばむような気温だったが、今はまだ窓の外から吹き込む風と扇風機で凌いでいる。幸美は窓際に吊した風鈴が風に煽られる度に涼しげな音を立てるのが好きだったが、この狭い部屋に六人も詰めていることを考えると、間もなくエアコンの出番となるだろう。

 集まっているのは真夏、千里、華実に地球防衛部の火惟と希枝を加えた面々だ。

 大きめのテーブルの真ん中にはいつものようにお店の果物を積み上げてあり、皆がそれを思い思いに頬張る中、幸美はそこに突っ伏すようにして一人愚痴っていた。


「結局、わたし一人が除け者のまま事態は進んでいくわけね」

「除け者になんてしてないわよ。これまでの経緯はぜんぶ教えてあげたでしょ」


 対面に座っている真夏が、桃の皮を器用に剥きながら答える。

 彼女が言ったとおり、真夏はここまでの事情をすべて話してくれていた。ディストピアと呼ばれる異世界のことも、一年前の惨劇も、今人知れず世界の陰でなにが起きているのかまで、なにひとつ包み隠すことなく事細かに説明してくれたのだ。

 それは華実も同じで、きっと誰にも知られたくないはずの秘密を部外者の幸美に打ち明けてくれた。

 正直なところ幸美はずっと不安だった。

 親友とはいっても幸美にはなんの力もない。こういう場合、物語においても「あの娘は一般人だから何も教えないのが彼女のため」とか「あの娘は日常の象徴だから、なにも知らずにいて欲しい」などという一方的な善意で蚊帳の外に置かれるのがありがちなパターンだったからだ。

 だが、彼女たちは日常と非日常の垣根よりも幸美に対する友情を優先してくれた。

 当然ながら初めてそれを聞かされた日には、その悲劇の重さに涙が止まらなかったが、今はなんとかいつもどおりに振る舞えている。


「だけど、結局わたしは戦いには連れて行ってくれないのでしょ?」


 聞いた話では地球防衛部の武器を手にすれば誰しも超人のようになれるとのことだったが、今回真夏は初めて幸美の同行をキッパリと拒否した。


「相手が悪すぎるわ。実戦経験のない人は連れていけない。乱戦になってしまうと、幸美を守り切る自信がないの。わたしとしても我が身の力不足が嘆かわしいわ」


 美味しそうに桃を報張りながら答えてくる。武蔵果実店でもオススメの逸品で、ほどよい硬さと爽やかな甘みがセールスポイントだ。


「お前で力不足だと俺たちはどうなんだよ」


 火惟が呆れ顔で言った。


「むしろわたし達が全員真夏くらいに強ければ、幸美も連れて行けたんじゃないかしら?」


 華実の言葉に希枝が無言のまま同意した。

 溜息ひとつ吐いてから、幸美は梨をひとつ手に取ると、テーブルの上で転がすようにしながらつぶやく。


「みんなが命懸けで戦ってる間、わたしひとりが留守番か……」


 ぼやいてはみるが、本当は幸美にも分かっている。自分のような素人が首を突っ込んでも邪魔になるだけだ。

 それでも部外者の幸美にすべてを打ち明けてくれたのは、真夏の友情が表層だけの薄っぺらなものではないことの、なによりの証明だろう。


「なに、そんなに心配するような話ではない。お土産に月面饅頭を買ってきてやるから、のんびり待っていろ」


 こんなことを言うのはもちろん千里だが、それを華実がジト目で睨んだ。


「ないわよ、そんなもの」

「じゃあ、月面煎餅」

「ない」

「月面キーホルダー」

「月の石で我慢しなさい。それなら道端にでも転がってるから」

「つまらない街だな」

「それは否定しない」


 ふたりのやり取りを幸美はぼんやりと眺める。どうやら華実は少し変わったようだ。以前のような儚げな印象が嘘のように消えている。


「それにしても、ここのスイカはうめえな」


 三角にカットされたスイカを手に火惟がつぶやく。その隣では希枝がやはりスイカを手にしているが、ふたりの食べ方は対照的だ。豪快にかじる火惟に対して希枝は小さな口で少しずつ頬張っている。こちらの少女も人造人間とのことだが、そのことに幸美はまったく抵抗を感じていない。それはおそらく希有なことであるはずだが、幸美本人にとっては普通のことだった。

 桃を食べ終えた真夏は居住まいを正すと軽く咳払いしてみせた。そして全員の顔を順番に見て回ったあと厳かに口を開く。


「さて、今回こうしてみんなで集まったのは、これからの戦いに備えてやるべきことをやっておくためです」


 そこまで聞いただけで火惟と千里は早くも嫌そうな顔をしている。

 幸美はとりあえずテーブルから身を起こして、真面目に聞く姿勢を取った。学級委員の鑑が、ここでだらけていては示しがつかない。

 真夏が笑顔で続ける。


「わたしたちがやるべきこと。それはもちろん――」


 もったいぶってから、真夏は拳を握りしめた。


「夏休みの宿題です!」


 宣言すると同時に火惟と千里がガックリとうなだれ、華実も軽く肩をすくめる。


「まさか一学期最後の日に登校しただけで本当に宿題を出されるなんて……」


 悲しそうに千里がつぶやく。


「それでも普通より少ねえんだよ。俺らは倍あるぜ」


 天を仰ぐようにして火惟がぼやいた。もちろん見えるのは古びた木目の天井と電灯くらいだろうが。


「だいたい命懸けの戦いに出向く前に、なんで宿題なんだよ? 生きて帰ってからで十分じゃねえか」

「ダメです。そういうことを言う人は、結局ギリギリまでやらないことをわたしは知ってます」


 真夏に指摘されて火惟はとぼけるように視線を逸らす。おそらく火惟は中学時代も宿題をギリギリまで残していて、幼なじみの真夏はそれを知っているのだろう。


「まあいいじゃない。ここで宿題を片づけてしまえば、これからの戦いで、死んでも死にきれなくなるでしょ。せっかく宿題をやったのにって」


 冗談めかして華実が言うと、希枝が真顔で頷いた。


「確かに」

「あなた達も今日までやってない口なの?」


 幸美が訊くと、希枝は真剣な顔でうなずき、華実はばつが悪そうに笑った。


「以前のわたしは敵と差し違えようなんてバカなことを考えていたからね。どうせ死ぬなら宿題なんてしなくてもいいやって……」

「それは確かにバカげてるな」


 火惟が気楽な調子でつぶやくと、これに華実は意地の悪い顔を向ける。


「あなたの場合は、宿題と差し違えるくらいの覚悟で勉強した方が良さそうだけどね」

「俺の成績知ってんのかよ!?」

「わたしが教えました」


 しれっと答える真夏。


「なんのために教えてんだよ!?」


 火惟がくってかかると、真夏はやはり涼しい顔で答える。


「大羽くんの恥を拡散するためです」

「ひでえよ! 悪人だよ、お前!」

「だが、そこがいい」


 とことん真顔の千里。


「良くねえよ、ぜんぜん!」

「バカな!?」


 千里は心底驚いたように目を丸くした。

 そんなバカげたやり取りを眺めているうちに幸美の口元にも自然と笑みが浮かんだ。


「はいはい、そこまで。駄弁ってると時間がなくなるわ」


 幸美は軽く手を打ち鳴らして場を沈めると、テーブルの上の食器を床に置いてあったお盆に移して宿題の準備をする。


「それじゃあ、みんな。粛々と始めるとしましょうか」

「宿題だけに」

「分からないところは教えあってもいいけど丸写しはダメよ、極力自分の力でやり遂げること」


 幸美が言い終えると、ギャグを無視された千里が微妙に悲しそうにしていた。


「分からないところしかないけどな」


 火惟はなぜか得意げに言った。


「ええ」


 にこりともせずに追従する希枝。意外なことに彼女も勉強は苦手なようだ。


「希枝はまだいい。数学だけは得意だし」


 千里がふてくされていると、真夏が横から身を乗り出すようにして告げる。


「はいはい。あなたには、わたしがつきっきりで教えてあげるから」


 その申し出に千里は素直に嬉しそうな顔をする。

 幸美は仕方なく場所を移動して火惟と希枝をサポートする体勢を取った。


「わたしもお忘れなく」


 華実が言ったが、彼女の場合は宿題をやっていなかっただけで、勉強ができないわけではない。

 ふと、幸美は思う。

 これから始まるという空前絶後の戦いを終えたあと、こうしてもう一度みんなで集まることができるだろうか。

 不安はぬぐえなかったが、幸美にできるのは、やはり信じて待つことだけだった。

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