第60話 少女の心
部長の咲梨が弟が気になるといって山の上から魔法で飛んで帰ってしまったため、残されたメンバーはマイクロバスで集合場所に戻り、そこで解散することとなった。
弟とはいっても実際には従弟らしいが、どういう経緯のゆえか咲梨はその少年とふたりで暮らしている。
北斗は円卓支部長として事後処理などの仕事があるらしく、まだ現場に残っていいて、バスで送ってくれたマーティンも、すぐにそちらに戻るとのことだった。
「家まで送っていくわ」
真夏の言葉に華実は遠慮して首を横に振りかけたが、そこで思い直す。
「そうね、お願いするわ」
素直に受け入れると、真夏は嬉しそうに笑ってから、華実の自転車のサドルに跨がった。
「なんで……?」
本気で意味が判らなくて訊くと真夏は親指で自分の自転車を指さす。それには千里が跨がっていた。
「ふたり乗りしてきたからね。どうせなら、わたしが漕いだ方が楽でしょ? 華実の家までは上り坂の連続だし」
「それはまあ、そうなんだけど……」
華実はなんとなく自分の身体の汗のニオイが気になったが、よくよく考えたら自分の身体と考えること自体、図々しく思えて複雑な心境になった。それが顔に出たのだろう。真夏がくすくす笑う。
「なんて顔してるのよ?」
「笑うことないでしょ」
よほど変な顔でもしていたのだろうか。ぼやきながらも横座りで自転車の荷台に腰を下ろす。
その様子を微妙な笑みを浮かべつつ眺めていた火惟が軽く手を挙げて言った。
「んじゃあ、俺は泉川を送ってくから」
なにか言いたげな様子だったが、結局はなにも言わずに希枝と並んで自転車で帰っていく。
一方の希枝は挨拶もなく去っていったわけだが、それが彼女のスタイルなのだろう――などと思っていたら、真夏が意外なことを口にした。
「かわいいわね、希枝ちゃん」
「え?」
「緊張して固くなってる」
「緊張?」
「気づかなかった?」
「なにに?」
「あの娘、大羽くんのことが好きなのよ。だから緊張して、こっちに手を振る余裕もなかったの」
「彼女が大羽くんを……」
指摘されて思い返してみると、そんなふうにも思えなくもない。
真夏は前に向き直ると疲れを感じさせない声で告げてきた。
「それじゃあ行くわよ。しっかりつかまっててね」
「え、ええ」
彼女の腰に手を回して抱きつくと、その柔らかな感触に思わずドキッとする。長い髪から良い匂いがして、なんだかこのままずっと、しがみついていたいような気持ちになった。
(いやいや、それはなんだかアブナイでしょ)
自分の気持ちに焦りを覚えるが、それでもついつい考えてしまう。
(真夏はわたしのことを本当はどう思ってるんだろう?)
聞いた話では本命の夏庭涼香以外にも、たくさんの少女をはべらせていたと聞くが……。
(いや、だからそんなことを気にすること自体変でしょ)
華実が悶々としている間にも自転車は軽快に夜の町中を走っていく。
山を下りると相変わらず空気はジメジメしていて、まとわりつくような湿気が不快だったが、こうして走り出してしまえばそれも気にならない。
空には三日月が浮かび、夜の田舎町は生き物たちの声で満ちている。先ほどまでの戦いが嘘のように平和な空気で満ちていた。
ぼんやりと北斗の言葉を思い返す。彼はこの日が真夏の誕生日だと言っていた。真夏の申し出を断るのをやめたのも、それが気になったからだ。
北斗はもちろん、それを知っていそうな火惟も真夏にはなにも告げた様子がない。
それはおそらく、それを告げることが彼女の傷にふれることだと考えたからだろう。その考え事態は間違っているとは思えない。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
このまま誰もなにも言わないまま過ぎ去るに任せていいのだろうか。
たとえそれが傷にふれることだとしても、誰かかが口にするべきことではないのだろうか。
チラリと視線を後ろを走る千里に向ける。
(あの娘はちゃんと、それを真夏に言ったのかしら?)
同居人なのだから、真夏の誕生日くらい知っていそうだが。
そこまで考えたところで華実は頭を振った。
彼女が言ってくれているなら、それでいいという話でもない。問題なのは真夏の友達として自分がどうするかだ。
悩んでいる間にも自転車は上り坂をすいすい上って、やがて街灯の向こうに自分の家が見えてくる。
答えを出す間もなく、そこに辿り着き、華実は名残惜しさを感じつつ、真夏から腕を放して自転車を降りた。
「それじゃあ、今日はゆっくり休んでね」
あの戦いのあとで、しかも多くの死者や怪我人を目にしたとあっては、そうそうリラックスできるものではない。
しかし、だからこそ真夏は明るく穏やかに、そう言ってくれたのだろう。
華実が自分の自転車を受け取ると真夏はアッサリ背を向けて、横で待っている千里の方へと向かう。
「あの……」
考えがまとまらないまま、それでも華実は真夏を呼び止めていた。ふり返った彼女の瞳には、やはり穏やかな光が宿っている。
一年前の事件で、深い悲しみを心に刻み込んだはずの少女が見せる明るい笑顔。そこには嘘や偽りの影など微塵も見受けられない。
しかし、そんなことがあり得るのだろうか。
人間が家族を、友達を、仲間を――この世で一番大切な人を失ってなお、悲しみに打ちひしがれることなく立っていられるものだろうか。
あるいは剣の腕ばかりではなく心の強さも常軌を逸しているのか。
いや、そこまで強ければ他人の心の痛みなど理解できないはずだ。そんな人間が人の心を救えるずもない。
真夏は違う。出会ったその日から、彼女のやさしい言葉は、暖かな眼差しは華実の心を癒やしてくれた。
きっと誰よりも――こんな運命を背負ってしまった華実よりも傷ついているはずなのに。
「どうしたの?」
不思議そうに華実の顔を覗き込みながら真夏が笑いかけてくる。
「誕生日……」
躊躇いは振り切れないながらも、意を決して告げる。
「誕生日おめでとう」
精一杯の想いを込めて口にした言葉に、真夏はごく自然に反応した。
「そう、知ってたのね。ありがとう」
彼女の微笑みには揺らぎも亀裂も入らない。
「大羽くんも御角さんも知らん顔してるから、サプライズでも狙っているのかと思って、今日は大人しくしていたら、そのままなにも言わずに返っちゃうんだもの。しばらく合わなかったからって薄情な人たちよね」
ごく普通の少女のように拗ねていた。
道理で今日はどこか様子がおかしかったわけだ――そう単純に締めくくるには、やはり抵抗があった。
バスの中で月を見上げていた真夏の顔は、ひどく寂しげだった気がする。
分からない。
理解できない。
真夏の存在は華実の中でいつの間にか、これほどまでに大きくなっていたが、その本音がまるで把握できずに華実はうつむいた。
そこに、千里が歩み寄って話しかけてくる。
「華実、今日は泊めて」
「え?」
「一度友達の家に泊まってみたかった」
「あっ、それじゃあ、わたしも……」
追従しかける真夏に千里が手を出して待ったをかける。
「ひとりで泊まってみたい」
「ええ~~っ?」
真夏は思いきり不満そうな顔をしてみせる。
「千里ってば誕生日にわたしをひとりぼっちにする気なの?」
「フフッ……わたしのいない孤独を噛みしめろ」
なぜか悪そうな顔で言う千里。それを横目で睨む真夏だったが、すぐに苦笑して肩をすくめると、元の笑顔に戻って華実に向き直った。
「華実、悪いけど、この娘のワガママを聞いてくれる?」
「え、ええ……」
正直、迷いはあったが、断りにくい流れだったこともあってうなずく。
「じゃあ、明日の朝……そうね、十時頃に迎えに来るから、ちゃんと良い子にしてるのよ」
「大丈夫、わたしはいつでも良い子」
言い切る千里をやや疑わしげな目で見たあと、真夏はふたりに手を振って自転車を走らせた。
「また明日――」
慌てて華実が告げると、少し離れたところで真夏はふり返って手を振ってくれた。
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